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鳥の巣を発見

上海の街路樹の鳥の巣

上海の街路樹の鳥の巣

 先日、家の近所を歩いている時に、路上の街路樹の上に鳥の巣を発見した。
 小枝をかき集めボールのような丸い塊に組み上げ、巣をつくっている。
 巣の中に雛鳥がいるのかどうかは分からなかったが、番いの親鳥のような2羽が巣のそばで仲良さそうに枝に止まっていた。

上海の街路樹の鳥の巣

番いの鳥と鳥の巣

 もしかすると雛は孵っておらず、まだ卵の状態なのかもしれない。
 自分自身ほとんど鳥の事は分からないので、どんな種類の鳥なのかも分からないが、こういった鳥たちを見上げて見守るのは嫌いではない。
 上海の本当の中心部ではこんな鳥の巣は見たことはないが、ちょっとだけ中心部から離れると、こんな鳥の巣を良く見かけることが出来る。
 日本にいた時には気がつかなかっただけなのかも知れないが、こういった鳥の巣は見たことの無く、上海に来て初めて見たちょっと新鮮な冬の光景である。

上海版花粉症が発症??

 日本国内で花粉症であったことは以前にも書いたが、上海に来てからのこの数年間、日本への一時帰国をした去年を除いて、ほぼ花粉とは無縁の暮らしをしていた。

 だが、どうも今年になって様子が違ってきたような気がする。

 上海にいながらどうも花粉症らしき症状が出てきたのである。
 どうにも鼻がムズムズし、くしゃみを連発する。鼻水もでるようになった。さらに肌が痒い。
 断っておくがシャワーは毎日浴びてるので、不潔で痒いわけではない。でも、どうも肌がムズムズする。

 これはどう考えても花粉症の症状だ。
最近夜遅くなっているので、抵抗力が落ちているということもあるかも知れないが、それは今に始まったことではない。やはり花粉症と考えるのが妥当であろう。

 うーん上海版の花粉症か?そうだとしたらこれは厄介だ。
せっかく花粉症から逃れて上海に移り住んだのに、これでは上海に住む意味が無いじゃないか!(笑)
(もちろん花粉症の理由で上海に来たわけではないが)

花畑

花畑

 まあ思い起こせば、最近万博準備のために街が整備され、花が植えられたり街路樹が増えたりしている。
 まさかこれらが影響しているのではなかろうか?そう考えたくなるほど町は急激に変化しているし、私も去年までこんな症状は出なかった。
 詳しくは、病院に行ってアレルギー検査などを待たなくてはならないが、それらが原因の花粉症であったならこれは厄介なことである。

 どうも私は都会生活は向かない田舎の体質らしい。そんな心配がもたげながら今日もくしゃみに悩まされている。

原文

街路樹の悲しい姿

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まるで縄でがんじがらめになっている囚われの姿のよう。

ライトアップの照明を無理やりしばりつけられている街路樹の昼間の姿。

見上げるのさえ悲しくなる。

愚かなライトアップ

万博が近づくに連れ上海の街もあちこちで化粧直しが行なわれ、完全に表面的な施しではあるとは言え、まあ古めかしいものは隠され全体に小奇麗になりつつある。
しかし、それも時々行き過ぎを見かける。

 その一つが今日見かけたこのライトアップ。普段は緑美しい街路樹の通りに下から煌々とライトをあて、かつよく分からない煌びやかな電飾を設置している。

愚園路のライトアップ

愚園路のライトアップ

まあこの光景、見ようによっては美しいように見えなくもないのかもしれないが、完全な成金趣味的な悪趣味のような気がする。

 まあ美的感覚の違いはさておいたとしても、街路樹に対する配慮はまったく行なわれていないといっていいだろう。

 かのような強い光を長時間植物に当てれば植物にも悪い影響が出るのはほぼ分かりきった話なのに、どうもこの国はチャンイーモーよ
ろしく見た目の美しさだけを追求し、それを求める過程で多くの犠牲を強いるというのが国民の常ののようだ。

 このような照明器具が設置され、電飾が絡み付けられている姿は醜いとしかいいようがない。
これが物言わぬ動かぬ樹木であるから誰も文句を言わないものの、動物や人間であったら虐待として大問題である。

万博を行なう国の国民の意識はまだまだこんなものかとビックリしてしまう。

晩秋に聴きたい音楽「弦楽セレナーデ」(チャイコフスキー)

上海の景色

上海の景色

今朝、上海の街を歩いていて、曇り空と紅葉した銀杏などの樹々のコントラストに非常に感銘した。
恐らく、私は一年のうちでこの季節が一番好きである。日本ではこういった風景は11月の終わり頃であったような気がするが、上海では12月のこの時期にこのような風景が訪れるようである。
淡いグレーとも、セピア色ともつかぬ空に、僅かに散らばる黄色になった街路樹。掃除される前の散らばる落ち葉。ひんやりと冷え切る前の、ちょっと湿り加減の空気。こんな朝を散歩するととても気持ちいい。
ヨーロッパかどこかの公園を歩いているような気分になる。札幌の中島公園もこんな風景を持っている。
 こういった季節になると必ず聞きたくなる曲がある。

それが今回紹介するチャイコフスキー作曲の「弦楽セレナーデ」(作品48)である。チャイコフスキーの代表作ともいえるべき曲だが、「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」などに比べると、クラシック好き以外の方にとっての知名度はそれほど高くないように思う。
 一時、某人材会社のTVコマーシャルにBGMとして使われたことがあり、聴けばわかる人も大勢いると思うが、そのコマーシャル内ではこの曲が非常に滑稽に扱われていて、この曲を大事にする私としては非常に心外な扱われ方であったので、あの時のイメージでこの曲を聴いて欲しくないのが本音である。

 さてこの曲はタイトル通りヴァイオリンなどの弦楽だけの音楽でモーツァルトへの敬愛から書かれたといわれる。チャイコフスキーの真骨頂ともいえる叙情的で流麗かつメランコリック(物思いに沈み憂鬱なさま)な旋律が非常に印象的な曲である。この曲のユニゾン(違う楽器が同時に同じ旋律を奏でること)の部分や絡み合うハーモニーが美しく、特に第3楽章は「エレジー(哀歌)」と作曲者自身に名付けられとも言われ、聴いているこちらも非常に強い哀愁に駆られ感銘深い。
 この曲の演奏で私が好きな版はカラヤンとベルリンフィル」で演奏された版で、普段小編成の弦楽合奏で演奏されるこの曲が、オーケストラ編成で演奏される音の深さと厚みはまた格別の味わいである。
次々とCDのミリオンセラーを世に送り出し、美しさを売り物にして儲けている娼婦だとまで揶揄されたカラヤンの真髄を見せるようなこの演奏は一聴の価値がある。

晩秋を迎えた上海の風景の中、是非この曲を聴いていただきたいと思う。