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音楽を冒涜する某人材会社のCM

 テレビ・ラジオのCMには昔から様々な音楽が使われており、その中にはクラシック音楽も良く使われている。

 雰囲気やイメージを醸成するのに音楽が欠かせないものであるからには、これは当然の現象であり、昔私が舞台音響をしていた時も様々な音楽を使わせていただいた。

 ただ人が作った曲を使わせていただくわけなので、表現の自由は有れども、使用許諾を含め作曲家や演奏家への最低限のリスペクトをもって、曲のイメージや背景に配慮しながら使用したつもりではある。

 しかし、最近のCMの中には音楽を間違ったイメージを与えるケースで使用する場合も見受けられ、音楽を大事にする自分にとっては許せないと思うケースが時々ある。

 その代表的なケースが某人材会社○タッフサービスのCMである。

 かのCMには、かれこれもう20年近くチャイコフスキー作曲の弦楽セレナーデの第一楽章の冒頭の部分が使用されており、いわゆるテーマ音楽存在として定着してしまっている。

 CMでは、「部下に恵まれなかったら」とか「会社に恵まれなかったら」とか悲劇を揶揄するような形で、滑稽な音楽として使われている。

 しかし、あの弦楽セレナーデをちゃんと聴いたことのある人ならわかると思うが、あの曲はそんな滑稽な面を微塵ももつ曲ではなく、非常に純粋で美しい曲である。 

 それこそ、心を洗われるほどの美しい曲なのである。

 故にあの曲をCMに使うことを決めたCMプランナーや、○タッフサービス社の社長や広報担当はかの曲をちゃんと聴いて使用を決めたのかと疑問を感じてしまう。
 以前、この弦楽セレナーデがプログラムに出ていた日本のオケのコンサートに出かけた時に、この曲が始まった途端に会場から笑いが起きたことがあった。

 この弦楽セレナーデが大好きな私は、この会場の笑いに結構傷ついた。

 あのCMのおかげで、かの曲に間違ったイメージが世間にしみついており、CMに関係ない純粋なコンサートでも聴衆の笑いを誘う結果になってしまったのである。

 しかし、何度も書くが弦楽セレナーデは笑いの要素など何もない甘美な美しい音楽である。

 私にとっては、チャイコフスキーの弦楽セレナーデをあのような形でCMで滑稽に扱うことは音楽に対する非常な冒涜だという気がするのである。
 もちろん、日本には表現の自由というものはあり、CMにとって音楽は単なる部品の一つかもしれないが、どうせ使うのならもっと音楽をリスペクトした使い方をして欲しいと思うのである。

晩秋に聴きたい音楽「弦楽セレナーデ」(チャイコフスキー)

上海の景色

上海の景色

今朝、上海の街を歩いていて、曇り空と紅葉した銀杏などの樹々のコントラストに非常に感銘した。
恐らく、私は一年のうちでこの季節が一番好きである。日本ではこういった風景は11月の終わり頃であったような気がするが、上海では12月のこの時期にこのような風景が訪れるようである。
淡いグレーとも、セピア色ともつかぬ空に、僅かに散らばる黄色になった街路樹。掃除される前の散らばる落ち葉。ひんやりと冷え切る前の、ちょっと湿り加減の空気。こんな朝を散歩するととても気持ちいい。
ヨーロッパかどこかの公園を歩いているような気分になる。札幌の中島公園もこんな風景を持っている。
 こういった季節になると必ず聞きたくなる曲がある。

それが今回紹介するチャイコフスキー作曲の「弦楽セレナーデ」(作品48)である。チャイコフスキーの代表作ともいえるべき曲だが、「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」などに比べると、クラシック好き以外の方にとっての知名度はそれほど高くないように思う。
 一時、某人材会社のTVコマーシャルにBGMとして使われたことがあり、聴けばわかる人も大勢いると思うが、そのコマーシャル内ではこの曲が非常に滑稽に扱われていて、この曲を大事にする私としては非常に心外な扱われ方であったので、あの時のイメージでこの曲を聴いて欲しくないのが本音である。

 さてこの曲はタイトル通りヴァイオリンなどの弦楽だけの音楽でモーツァルトへの敬愛から書かれたといわれる。チャイコフスキーの真骨頂ともいえる叙情的で流麗かつメランコリック(物思いに沈み憂鬱なさま)な旋律が非常に印象的な曲である。この曲のユニゾン(違う楽器が同時に同じ旋律を奏でること)の部分や絡み合うハーモニーが美しく、特に第3楽章は「エレジー(哀歌)」と作曲者自身に名付けられとも言われ、聴いているこちらも非常に強い哀愁に駆られ感銘深い。
 この曲の演奏で私が好きな版はカラヤンとベルリンフィル」で演奏された版で、普段小編成の弦楽合奏で演奏されるこの曲が、オーケストラ編成で演奏される音の深さと厚みはまた格別の味わいである。
次々とCDのミリオンセラーを世に送り出し、美しさを売り物にして儲けている娼婦だとまで揶揄されたカラヤンの真髄を見せるようなこの演奏は一聴の価値がある。

晩秋を迎えた上海の風景の中、是非この曲を聴いていただきたいと思う。