巷ではPRソングだやマスコットだのテーマ館デザインだの、万博に関する多くの事でパクリ疑惑が指摘されているが、そもそも万博を開催させようという考え方自身が、国家発展モデルのパクリのような気がする。
パクリという言葉が悪ければ模倣と言い換えてもよい。
今回の上海万博は2年前に行なわれた北京五輪とともに中国の国家的一大プロジェクトとして位置づけられてきたことは多くの人が知るところだと思うが、五輪と万博を重要視するというその戦略こそ、東京五輪と大阪万博という日本の戦後2大イベントを倣ったものだということができる。
「五輪と万博を機に街を整備し、かつ全国の都市間に新幹線網を張り巡らせ、港湾や空港を整備していくなど基盤を充実させ経済で世界に比肩する国家となる。」
と、主語をつけなければ日中どちらの国の説明しているのか分からないほど、その発展モデルは酷似している。
そして最後にはご丁寧に豊かさの象徴としてディズニーランドまで準備しようというのだから、その模倣振りは徹底している。
まあ中国という国が、このような戦略をとる背景には日本の戦後の経済成長に対する憧れというか嫉妬のようなものが国家首脳部にあったということは想像に難くない。
日中間の戦争が終った時点では、両国の経済力にそれほど大した差があったはではないのに、五輪と万博を経てぐんぐん経済成長し世界の中で発言力を増していった日本に対し、大国といわれながら経済の世界では遅れを取った中国は、なんとか日本に追いついて追い越したいと考えていたに違いない。
それゆえに、日本と同じ轍の戦略をとったのだと想像できる。
「日本と同じパターンの戦略をとれば中国も同じように発展できる」そう考えたのだと思う。
つまり国家戦略をぱくったのである。
今回の万博の入場者数の目標7000万人が、過去最高だった大阪万博がターゲットにあることから見ても、日本の発展モデルを猛烈に意識していることが良く分かる。
確かにこれらの戦略はほぼ当を得て、中国はまさに経済大国としての目覚しい発展を遂げつつある。
ただ、既に先を歩いてしまった我々日本人からみると、この日本の歩んできた経済発展の歴史は本当に良かったのかと振り返り反省し始めている部分があるので、同じ轍を進もうとしている中国に対してやはり同じように先行きの不安や成長時の歪みの不安を感じる部分はある。
また40年前に日本が目指していた豊かさの価値観とは違う価値観が、既に世界を支配し始めており、それは上海や中国も例外ではなく、国家が戦略的に目指す豊かさとは違うものを追い求めているのが今の一般市民生活であり、そのズレが今回の入場者数の目標との差異となってそのまま現れているような気がしている。
今回のテーマである「より良い都市 より良い生活」は、40年前の大阪万博のときであれば、まあしっくり来るものであったかもしれないが、今の時代感覚ではちょっと古臭いと感じるのは、やはり万博の存在そのものが模倣プロジェクトであるからにほかならない。
時代を見据えた上で、きっちり練られた万博開催であったならば、このようなパクリ疑惑だらけにはならなかったであろうというのが私の推論である。