昨日、上海は梅雨入りが宣言された。
日本同様にここから一か月程度は断続的にくずついた雨模様の天候が続く。
ところで、日本には五月晴れ(さつきばれ)と五月雨(さみだれ)という言葉があり、どちらも五月という言葉がついているが、そもそもは梅雨時の天気現象を指す言葉である。
今でこそ、五月晴れといえば多くの人が5月の大型連休の頃のスカッとした青空をイメージしているが、本来は梅雨の合間の晴れ間を指す言葉である。
明治の改暦以前は、五月こそ梅雨時で長雨の季節であった。
逆に6月は真夏の扱いであり、日照りの続く「水無月」なのである。
つまり、五月晴れとは明治の改暦によって時期がずれてしまったにもかかわらず、言葉だけ残ってしまったため言葉とイメージがあべこべになった例の典型となっている。
同様に、五月雨も梅雨時のだらだらと断続的に降る雨を指すのであり、つまり梅雨の雨が五月雨なのであり、現代の六月の雨ということになる。
このように一年の中でおおよそ五月だけが、明治の改暦前からの古い月名を引きずって現代に言葉だけが残っている状態であり、「五月雨」はともかく「五月晴れ」は本来の言葉とは違うイメージで使われてしまっていることになる。
ちなみに今年2021年の旧暦5月はまさに昨日6月10日より始まり、6月10日が旧暦5月1日となっている。
つまり旧暦(太陰太陽暦)の5月の始まりと共に、上海では梅雨入りとなったわけであるが、これからが、五月雨の季節であり、そしてたまに五月晴れが現れる時期となる。
そして来週の月曜日は端午の節句(端午節)となる。
もちろん端午の節句も旧暦5月5日なのだから必ず梅雨時の行事という事になる。
このあたりは以前「端午節句「青空で泳ぐ鯉のぼり」の図は間違い」で書いたので、詳しい説明を省くが、暦の月と季節がずれたおかげで現代では「鯉のぼり」ですらイメージが狂っているのである。
明治の改暦というのは世界に同期するためには必然的な対応で仕方なかったことかもしれないが、それに合わせた市中の世俗文化へのケアを怠った明治政府の罪は小さくなく、日本の伝統文化が壊されてきたのである。
「五月晴れ」はそろそろ本当の意味に戻して「六月晴れ」に言い直しても良いのではないだろうか?