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ウィルス性胃腸炎

 先日の24時間絶食の後、少しずつ食事を開始したがやはりお腹の急降下は止まらない。
 月曜日に出勤はしたものの、脱水症状状態で非常に体がだるく思考が働かない状態となった。

 まあ何とか日々の最低限の日課だけはこなしたが、余分な作業に取り組むほどの余裕がなく起きているのさえ辛い状態だった。
 病院に電話して相談したところ、もう一度来てくださいと言う事だった。

 そして再び病院へ。

写真はイメージ

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 今度は血液検査などを経て、炎症などの反応がなかったため、細菌性ではなくウィルス性の腹痛と診断された。

 ネットでウィルス性胃腸炎を調べてみると確かに症状と一致し、通常1~2日で治るようだ。

 医師によれば抵抗力がおちてウィルスが入ると、体の中で悪さをするらしい。

 そういえばここしばらくの病気は全て抵抗力の低下から来ているもののような気がする。
 歳を取ってきたということだろうか?

 とにかく、再び点滴を受けた。

 そして、5日目の今日、徐々に症状は回復しているような気がするが、まだお腹は止まりきってはいない。

 まあ過去のひどい腹下しも3日が平均だったから、慣れたくはないがもう慣れてしまった。

 まあお蔭様で体重がかなり減ったが、そろそろどうにかしたい。
原文

24時間絶食令

 昨日の朝、目覚めた時にどうもおかしかった。
お腹は痛むし、何となく吐き気もある。
実際に吐くことはなかったが、かなりむかついた。
お腹はどうしようもなくピーピーだった。
水を飲んでもすぐ流れてしまう。

その前の晩は安徽省料理を食べた。一緒に食べに行った同僚にメールで確認するが、同僚は熱はあるもののお腹は大丈夫らしい。
 そういえば自分だけ羊肉を食べ、その同僚がほとんど食べなかった野菜の炒めものや、冷菜で出て来た干し豆腐と豆も疑わしい。
 或いはそれらが昨晩飲んだサプリと反応したか?
とにかく食中毒的な勢いで体調がおかしくなった。

 幸い、昨日は別の理由で耳鼻科を予約してあり病院へ行く予定があったので、病院へ着いてすぐ受付で内科も追加予約した。

 耳鼻科に続いて内科を受診すると何か食べ物が合わなかった、つまり食あたりのだろうということだった。
 そこから早速点滴を受けなさいと言うことで3本計4時間の点滴となり、帰るころは夕方だった。

写真はイメージ

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 さらに24時間の絶食令が出た。なんと水も駄目だと言われた。
腸の中の残留物を全部出してしまえということらしい。

腸の中に残留物がある状態で物を食べても流れてしまうし、腸の悪玉菌に栄養を与えるだけのようだ。

 この絶食令に、その日予定していたある会の集まり・・・焼き肉の予定だったがキャンセルせざるを得なかった。無論、この状態ではちょっと満足に食べられそうにない。
 まあここのところ少し体重が増加気味だったからダイエットだと割り切るしかない。

 で絶食が現在まで続いており、当初空腹感で苦しむことを想像していたが、お腹の痛みが勝り空腹感は意外にもなかった。
 しかし空腹感も感じられない程、腸がじわじわと痛むということであり、流石に食べていないということでちょっとふらふらする。

 ところで今回、医者から矛盾する指令が出てちょっと困った。
 絶食令とともに薬をもらったのだが、その飲み方に「食後」とあった。

 食べるなといいながら、食後とはどうすればいいのだろうか???
質問すればよかったのだが、聞き忘れ夜になってしまったので、結局水も飲むなとの絶食令を優先し、薬は後回しにした。

 それがいいのか悪いのか分からないが、「食後」ということは胃に負担もあるのだろうから水も無しに吸収されるとも思わず、絶食令解禁後に飲むことにした。

 絶食令解禁=つまりスペイン語でいうデサユーノ(絶食明け=朝食の意味)の状態である。

 さてさて昨年お腹を壊した時は3週間続いたが、今回はどうであろうか?

危うい?中国の医療器具

今回手術で入院した時、待遇や設備という面で言えば中国で入院していてもそれほど不安は感じなかったが、では「中国医療」全体について全く不安を感じなかったかというと、実はそうではない面がやはりあった。

 一番不安を感じたのは医療器具の点である。

 それは、点滴を受けていた時の事だったが、点滴チューブについている調節弁で点滴速度を調整しようとしてもうまく調節できなかった時があった。

 かつて20年ほど前に日本で入院した時や中国で下痢で点滴を受けた時はこの調節弁で点滴速度を調節できたはずなのだが、どうも今回の調節弁はうまく機能しない。

 たまたまこのチューブの調節弁だけ出来が悪いのか、中国では総じてこうなのか分からないが、とにかくこの時の調節弁は微妙な調節が出来るものではなかった。

 まあこれにより気分が悪くなるなど不便はなかったので特に気にすることもなかったが、本来医療に「たまたま」は許されず、これで気分が悪くなったら怖いものがある。

 何となくこういった医療器具にも日中の文房具の差ような精度の差を感じずにはいられなかったのである。

 さらに今回私につかわれていた点滴針には逆流防止弁がついていなかったようだった。

 まあこのこと自体は調べてみると、イコール欠陥医療器具ということには全くならず、特別な条件の点滴ではない限り逆流防止弁の採用は必須ではなく、例え点滴が終わって逆流しても何時間も放置しない限り心配するようなことはでもないようである。

 しかしそうはいっても、少なくとも過去に点滴を受けた病院では全て逆流防止弁が採用されていた気がするので、今回点滴中にトイレに動いた時に、チューブに血が逆流しているのを見てちょっと焦ったのを覚えている。

 物の考え方の基本として常に万が一の事を考える日本人としては、この逆流防止弁はあるととても安心なのだが、医療的に必須でない部分にはコストがかかってないという面が何となく中国的医療器具事情の象徴に見えてしまうのである。

 もちろん日本だって100%逆流防止弁が使われているわけじゃないようだが、今回VIP病室なのに?てことを考えると、病院全体で採用していないということが容易に推測できて、やはり中国的判断なのかなと感じずにはいられないのである。

 まあ今回の件は、エアバッグをつけた安全装備の車に慣れてしまうとエアバッグなしの車が危険に見えてしまうという程度の事で、イタズラに中国医療に不安を感じてもいけないのかもしれない。

 しかし今回入院中に見たニュースで「注射針の使い回しで肝炎の集団感染」などという見出しを目にしてしまうと、この国の医療の水準の常識はいったいどこにあるのか不安にならざるを得ない面は確かにあり、今回の医療器具がその安全意識の象徴であるような気がしてしまったのである。
 

鼻茸手術のその後の経過

手術を行なったのが先々週の木曜日の午前であった。

まあ、自分の備忘録として一応その後の経過も書き記しておこうかと思う。
 手術直後の午前11時半頃に目が覚めたが、鼻からの血が止まらずティッシュで滴る血をどんどん拭いていた。

 その直後お昼ご飯は出なかったような気がする。

 その後翌朝まで、出血による炎症か、微熱の状態が続き大量の汗をかく。
夕方、夕飯は出たが自分ではほとんど食べられず、オカズとご飯をほんの数口食べただけで、あとは食欲がついて行かず諦める。

 血がなかなか止まらないので夕方以降、上半身を持ち上げた状態で寝るよう安静令が下り、以後退院まで頭を低くしてはならないことになった。

 出血を吸収する手段も、ティッシュから顔にガーゼを固定する方式に変わり、以後1~2時間おきに看護婦さんがガーゼを換えに来てくれた。
 準備していたティッシュが底をついたのでちょうど良いタイミングでもあった。

 そしてこの手術の晩は、そんな状態と鼻の出血で体調が安定しない状態が続き、発汗と発熱を繰り返し、次の日の朝まで深く眠れない状態が続いた。

 ところで、この部屋はNHKテレビが見られることが途中で分かったのだが、こちらは手術後ずっとボーっとしており、あまり集中してテレビを見る余裕はなかった。
 そして消灯時間頃、未だ汗をかいており、暖房は暑すぎるので切ってもらったが、一緒にいたアイさんは実は寒そうで、夜中に咳き込んでいたことを覚えている。
 思えば気の毒であったが、こちらが気を使えるほどの状況になかったので仕方なかった。
 

 手術翌日の金曜の朝は寝不足でちょっと体が重く眠かったが、NHKの朝のニュースからずっと見る余裕が出来てきて、この段階からかなり正常な思考が出来るようになった気がする。

 この日の朝食は肉まんと茹で卵と御粥の朝食が出て、この頃からなんとか自分で一通り食べられるようになった。

 その後シーツ担当がシーツを交換しに来たので、手術後に初めてほんのちょっとだけベッドから下り立った、が、まだまだ頭が重くふらつく状態であった。
 しかも相変わらずまだ出血は続いているのでシーツ交換後はまた頭を上げて横になり、午前中は点滴とガーゼの交換の繰り返しだった。

 
 午前11時にお昼ごはん。
 この時点ではまだ右手に点滴につながっているため箸が使えず、アイに手伝ってもらわないと食事ができない状態で、匙を持ちながら、アイに肉を切ってもらって匙に乗っけてもらって食事をする状態だった。
 半分くらいは何とか食べられたが、体調的に完食はまだちょっと辛い状況だった。

 その後、午後も点滴が続く。

 手術後からこの頃までこちらが汗を沢山かいていたので、1日に2~3回アイに寝巻を換えてもらい、その度に体を拭いてもらった。(ただし下半身は自分でやったが、、)

 そしてこの日の点滴ノルマが終わった時に、針の刺しっぱなしは痛いし不便なので、看護婦にお願いして一旦抜いてもらい、翌日の点滴針はその日にさしてもらうことにした。
 こうしないと寝るときに迂闊に寝返りも打てないし、右手が拘束されて不便だからである。
 そしてこの針を抜いた直後から、精神的にも開放された気分になりこの日の夕飯からは自分で食べられるようになり、トイレなどかなり自分で動けるようになった。

 そしてこのタイミングで、会社の同僚や友人が何人か見舞いに来た。

 鼻にはガーゼがついたままで、出血状況もまだまだだったが、会話はかなりリラックスな状態で、少しは気を遣う応対が可能になった。
 

 手術3日目の土曜の朝、執刀してくれた担当医が現れ、鼻の状態をチェックするために診察室に呼ばれた。

 ここでようやく鼻の穴の中に詰めた綿とガーゼを手術後初めて抜いてみる。

 ガーゼを抜いた瞬間に持たされた顎下の容器の中に血がドボドボ落ちる。

 うわぁ、まだこんな出血状態なのかと自分は思ったが、担当医にとっては想定内のようで意外と冷静だった。

 血はまだ完全には止まってないが、大量にこぼれたのは溜まっていたからであって、状況は血の量が示すよりは落ち着いてきていたようだった。

 とはいえ、止血していないことには変わらず、また脱脂綿を詰め込まれる。

 本来この日に退院する選択肢もあったのだが、この朝の診察状況にこの日に退院するにはちょっと無理だなと悟り、当日の退院を諦める。
 退院したかったのは実はある会合があったからであるが、さすがにこの状況での参加は無謀であったことを自覚する。。

 ただこちらが自力で行動できるようになったので、朝食のあとにアイのヘルパーを打ち切った。

 そして一日ボーっと点滴を受けながらうつらうつら過ごす。

 食欲も復活し、食事もほぼ完食できるようになった。

 日曜日、朝から点滴はあったが、昼には終わり、昼過ぎに退院することになった。

 この時点で鼻のガーゼは一応とれることになった。

 しかし、まだ脱脂綿は鼻の穴に詰まったままであり、そのまま外を出歩くと外観上恥ずかしいので、看護婦さんにマスクをもらい鼻のあたりにティッシュを当てて退院した。
 自宅用の薬として点鼻薬、抗アレルギー薬、抗生物質を渡される。

 明けて月曜日、元の耳鼻科で診察を受ける。
ここで鼻の脱脂綿を交換される。

 この日から会社の勤務は始まったが、鼻に脱脂綿が詰まり、マスクで隠す日々が続く。

 昨日土曜日に再診の結果、鼻の脱脂綿も取れることになった。

 まだ鼻の奥に少し違和感があり鼻水にまじって鼻血があるが、概ね正常になった気がする。

 術後10日でようやく鼻で呼吸が出来るように解放された気分である。

 3月4日現在、今のところはこんな状況である。

腹痛でローカル病院にて点滴5時間

一昨日、友人の田舎に行った時、食べた何かが悪かったのか、食堂で食べた夕飯が悪かったのか、はたまたスイカの食いすぎ、冷水の飲みすぎ、、、原因はいずれともつかなかったが、昨日は朝から絶不調だった。
市販薬を飲み、凌ごうとしたが結局治まりきらず、会社を上がった後、友人に付き添ってもらい病院に直行することにした。 海外保険などはとっくに切れていたので、金銭的なものを考えローカル病院に行くことにした。虹許路にある武警上海総隊医院である。

病院の椅子

病院の椅子

 ここは去年もやはり腹痛の際訪れており、軍・警察の管理下にあるのでローカル病院のなかでも比較的安心できる病院な気がする。
 病院についたら受付で病状を簡単に説明した後、まず集銀台で初診料を払う。12元。 
 
 そして診察室に行く。
 目の前で前の患者が医師と話しているすぐ後ろで待つ。プライヴァシーもへったくれも無い。自分の番が来て病状を説明し、診察台に横になり、聴診器と触診で診察を受けた。どうやら腸炎ということである。薬は必要かときかれたので、家に買い置きが無いと答えると、じゃあ薬も出してくれることになった。点滴もするかと問われたのでお願いすることにした。

こんなことを医者が患者にいちいち聞くかなぁと思うのだが、処置が一つ増えるたびにお金が絡んでしまうので、こっちの患者に対してはちゃんと選択権が与えられているようだ。

 で、医師に処方箋をもらったら、また集銀台である。飲み薬と点滴の代金である。針代や容器代まできちっと計算されている。こちらの病院は先にお金を払わないといちいち受け付けてくれない。ちなみに180元ほどであった。

 その領収書と処方箋をもって今度は薬の窓口へ行く。不機嫌そうな薬剤師の女性が黙々と仕事をしていた。飲み薬と点滴薬を雑然とまとめ渡された。さらにこれをもって点滴担当の窓口へ行く。点滴用の液の準備をしてもらうためだ。
 席は何番だときかれたが、任せると答えると一番上の籠を取り出し、じゃあ19番ねということで輸液所(点滴所)へ行った。

VIP病室もあるようだった

VIP病室もあるようだった

 ベッドがいくつかと椅子が壁際にずらっと並ぶ。VIP用の個室もあるようだが、私は当然椅子席である。私の19番の席はカップルに占領されており、いちいちどいてもらうのも面倒なのでそばにあった22番の席に変更し、看護婦にもその旨告げた。患者も適当なら病院も適当なもんである。

点滴中の人たち

点滴中の人たち

 そして看護婦がやってきて間違いがないかどうか名前を確認し、左手の甲に針を刺し点滴を開始した。待合室ではオリンピックの卓球放送が流れていたが、こちらにあまり余裕も無くテレビはほとんど見なかった。
私が来たとき全部で20人くらいの患者がいたであろうか?病状の重そうな患者はいないようで比較的みな穏やかなであった。

点滴は手の甲に

点滴は手の甲に

 で、ここから延々5時間近くの耐久レースが始まった。小さいパックが二つ、大きい500mlのパックが一つ、これはブドウ糖のようである。小さいのはどうやら抗生物質が入った薬と思われる。
 点滴中もおなかがシクシクしたが、薬を飲もうにも付き添いの友人を帰してしまったので水を飲むことさえ不便であった。友人を帰す前に水くらい買っておいてもらうべきだったが、結局水なしで薬を飲み込んだ。

ひたすら点滴の時間が続く

ひたすら点滴の時間が続く

私がいる間、次々と患者が入れ替わったが、結局私ほど長くいた人はいないようで、私の後に来た患者も先に帰ってしまった。
 点滴が終わったのが12時ちょうど。ナースコールで看護婦を呼び点滴をはずしてもらい、解放となった。途中物凄い音の雷が鳴り、雨も降っていたらしいが、病院を出たときにはすっかり止んでいた。

ナースコールのボタン

ナースコールのボタン

 飲まず食わずの5時間だったので腹が減り、病院を出た直後にすぐそばのコンビニに立ち寄ったら賞味期限から一日以上立っていた冷麺が置いてあった。思わず買いそうになっていたので、危うく轍を踏み返すところであった。つうか病院のそばのコンビニなんだからもっと衛生管理しっかりしろぉ!といいたい。
 中国での食べ物には十分気をつけたい。