昨日、ある会合に参加したときの話である。
日本滞在歴6年と8年の中国人女性同士の会話の輪の中にいたときだが、彼女たちは中国人どうしなのに何故か日本語で話していた。
日本人がほとんどの会なので彼女たちも基本的には日本語を使いこなせるというのは理解出来るが、だからといって中国人同士のときまで日本語で話すのは不自然に感じた。
「中国人同士なんだから中国語で会話すれば?」と私は笑いながら伝えた。
すると、彼女たちはもう既に頭の中の思考回路が日本語で回ってるし、日本語でなければ表現できない言葉がたくさんあるので、どうしても日本語のほうが便利でついつい日本語での会話になってしまうと答えた。
確かに中国語では、あまり細かい表現が出来ない。
細かいニュアンスを伝えるのにも苦労する。
それ故、中国語は日本人にとって学習が比較的楽な部類に入ると思うが、やはりある程度会話能力を身につけても思ったような表現が出来ない。
それは自分の能力の問題もあるとは思うが元来中国語には表現の幅が少ないのも一因のように思う。
狭い島国の中の狭い社会の中で熟成されてきた日本語と、広い大陸の中で常に幅広い異文化との接触を繰り返してきた中国語では、自ずと要求される表現の幅が違ってくるのは当然のことで、とにかく共通言語を持つことが最優先なので中国語の語彙数が限られてしまったのは仕方のないことのように思える。
しかし、現代になって社会が熟成してくると、この語彙の少ない中国語に表現の限界が見えてきたことは否めなく、中国語にもどんどん新しい言葉が生まれているとは言われるが日本語の持つ表現の幅にはまだまだ追いついておらず、日本語を堪能になった彼女たちにとっては、日本語のほうが便利だと思うのは仕方ないことであろう。
このような話を聞いてこんな言語を持てた日本人としてちょっと誇りに思えた。
ただ理屈として納得してはみたものの、やはり中国人同士が日本語で話す風景はどこか滑稽だ。