日本人が主語を省略する理由

 中国に来てからもう10年以上経つので、中国語での会話もそれなり使えているが、未だに中国語を使うときに抜けない癖がある。

 それは「我」などの主語を省略してしまうことである。

 自分のことを説明する際も、相手に質問する際も、頭の中の日本語の原文から中国語に翻訳して話す場合が少なくないので、そうすると「あなたは行ったことがあるか?」から「あなたが」が抜けてしまい、「行ったことある?」と言ってしまうのである。

柴又の寅さん像

柴又の寅さん像

 そういった場合、結構「私?」と聞き返されることがよくあった。

 中国語だと「誰」を言わないと、動作主体が確定できず、相手も一応自分のことだろうとは思いながらも確認で訊き返してくるのである。

 まあ日本語そのものが主語を省略することの多い言語だということが根本の理由なのであるが、私にとっては何故日本語がこのように主語を省略するのかは結構長年の疑問の一つだった。

 で、最近落語を聞いていてよやくその疑問が解けた。

 日本人が主語、つまり動作主体を言わないのは、日本語が動詞部分の言い回しによって主語を言わなくても誰が動作主体か分かるような言語体系になっているからだと言える。

 どういうことかと言えば、日本語は言い手、聞き手、動作主体、男女によって言葉の使い方がそれぞれ使い分けられている。

 尊敬語、普通語、敬語、謙譲語など日本語は相手との立場関係に配慮した言葉のオンパレードで、ここに男らしいや女らしい、若者らしいや老人らしいなどのバイアスが加わったりして非常に複雑に構成されている。

例えば動作主体が自分であれば「する」というところ、「なさる」と言えば、動作主体がおよそ目上の人だと想像できてしまう。

 男女間でも同様で「でしょう」など丁寧な言葉遣いなら女性的、「だろ」などぞんざいなら男性的とおおよその分類が可能で、まあ男女の性別の厳密な区分は出来なくても、大よその性格傾向は類推可能になる。

故に会話の登場人物が限定されていれば、いちいち言葉で主語を言わなくても誰が動作主体かはほぼ確定するのであって、わざわざ言う必要性は非常に少なくなるのである。

このような動作主体による言葉の使い分けが日本語の最大の利点ではあるが、ただ同時に外国人が理解するのが難しい部分でもある。

分かり易い例を言えば、この日本語の特徴を最大限に利用した芸能が日本の落語であり、動作主体によって言葉が使い分けられる日本語で無ければ落語の人物の描き分けは非常に難しく、英語での落語は芸として成立し難しいのである。

英語の場合、演者がいくら声色を使い分けしたとしても、喧嘩のシーンでお互いに「YOU、BAD」「YOU、NO GOOD」などと言っていたのではどちらがどちらなのか分からない結果となってしまうのである。
 これが日本語だと「どうすんのよ」「うるせー」の一言ずつの喧嘩を一人の人間が演じていても男女の喧嘩が成立するのである。

 さらに私もよく中国人たちの日本語文章を直しているが、彼ら彼女らもこの言葉の使い分けに苦労している。
中国人たちが書いてくる文章の中には、時々変に主語をだけを省略し、動作主体や聞き手を考慮しない言葉遣いで書くので、誰に書いている文章なのか全くわからない文章が出来上がってくる時がある。

その場合まず極力主語を省略するなと指導する。

すると全ての文章に主語がついてくるので、これはこれとして日本語としてはかなりうざい文章になってしまうのだが、動作主体がわからないよりはマシになる。

そこから名詞を代名詞へ置き換えたり、動詞部分の言葉遣いを加えながら主語を省略できる部分をみつけたりして、文章を整えていくのが私の指導パターンだが、ここが一番大変な部分である。
日本人にとっては当たり前の文章でも、外国人はどの主語が省略できるのかの匙加減が非常に難しいらしいのである。

日本語側の私が主語を省略する癖が抜けないように、中国語側にとって主語の省略はハードルが高いようで、主語をほぼ必須とする外国語と、省略可能な日本語の言葉のトランスレーションは結構難しいということのようである。





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“日本人が主語を省略する理由” への3件の返信

  1. 同じくアルタイ語族に属する韓国語やモンゴル語も主語を省略する傾向にあると言われています。

    確かに日本語は「動詞」により主語を推測することができると考えられるが、あくまでも「推測」です。一方、中国語として、「主語」を省略すること自体で、不確実性という違和感が生じて文が成り立たなくなると言っても過言ではありません。

    周りの中国語を学んでいる日本人の友人が会話の時、どうしても主語を省略してしまうことが多いのです。「主語省略」による不確実性の違和感がなかなか学習者に伝わらないので、中国語教師が辛抱強く何度も何度も是正しているそうです。確実に意思を伝えることを言語の機能、若しくは言語のベースとしてきた世界中のほとんどの言語。韓国語や日本語が主語を省略する大きな理由の一つとして、「ただでさえ音節の長たらしい言語なので、主語を付けると更にめんどくなる」という説もあります。

    確かに、「你我他」のような一音節の中国語の代名詞に比べて、日本語の「あなた、わたし、かれ、かのじょ」などは音節が長く、会話するたびに、一々話すのがめんどいとされるでしょう。韓国語はともかく、日本語のような5つの母音しかない言語の場合、複雑な意味を伝えるため、言葉の音節数を伸ばす以外の方法がありません。大和言葉としての「あまてらすおおみかみ」などの超長い言葉の誕生もそれに関わっているそうです。言葉自体が複雑になっているため、「主語省略」せざるを得ないという実状に至りました。ちなみに、島国系の言語の多くは音節数を伸ばす傾向にあるそうです。島の生態から考えると、原始言語として最初から複雑な意思を伝える必要がなく、またそのような状態がかなり続いたのではないかと想像がつきます。

    中国語は言葉ごとの音節数が少ないため、主語を加えても特に長たらしくならずに、日本語みたいに「推測に任せる」のではなく、確実に意思を伝えられる上、言語としての躯幹・根本がしっかりとしていると考えられます。

  2. インドネシア語、マレー語も、主語が抜けやすい。主語どころか、~に、~へ、~からを言えば、行く、来る、いる、などの動詞も省略可能。

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