日本の東京都知事選に向けて、他県の知事経験者というか、直前までほぼ現職である知事たちが都知事選への立候補をしようとしている。
もちろん本人たちにはそれなりの考えがあっての行動なのだと思うし、何ら法令などに反することはないのだと思うが、傍から見るとやはり人としての良識を疑ってしまう。
特に「捨てられた県民」の立場を考えれば、前回当選した選挙のとき語った「県民のために」などの言葉は何だったのかと考えざるを得ない。
彼らを信じて一票を投じた県民の心を思えば、その心中は「浮気のような裏切り」に近いものではないのだろうか?
地元のためと耳あたりのよい言葉を振りまきながら、落選したわけでもないのにあっさりその地元を捨ててもっと条件の良いポジションへ鞍替えをしようとする人は例え任期の4年の実績があったとしても、やはり地元からすれば「裏切り者」に他ならない。
もしK県民やM県民に、都知事選の結果に対する「拒否権」があれば確実に行使したいのではないか。
こんな自分の地元を捨てた人がのうのうと他の土地で大きな顔をしているというのは捨てられた側からすれば耐え難いはずなのである。
もし元知事側にそんな県民一人ひとりの生活を支え、そして人に支えられているという自覚があればこんな安易な行動は取れないと思うのであるが、まあ実際に行動できてしまうということは、立候補する本人は結局は県民のことを考えているのではなく自分のことしか考えていないということであろう。
つまりは彼らが地元の知事選で語った「県民のために」という言葉も都知事選へのステップ、或いはその上を目指すための「方便」であった可能性が高いのである。
故に今回目指す都知事というポジションも、彼らにとっては単なるステップアップのための階段であると考えている可能性は捨てきれず、今回彼らが口に出すであろう「都民のために」という言葉もまた当選のための「方便」である可能性が高いといわざるを得ない。
こんな名誉欲に駆られた「浮気性のヨソモノ」を選挙に簡単に通してしまうほど、東京都民の良識は駄目になっていないと信じたいが、選挙は良識が通用しないのが選挙であったりもするのでなかなか未来は明るくならないのかもしれない。