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日本でスマホの普及が遅い理由

 先日、日本で一時帰国した際に感じたのは、思ったよりスマホが普及しておらず、ガラケーが結構踏ん張っているなという印象だった。

 こちら上海で暮らしていると、ケータイと言えばほとんどがスマホのような印象でiPhoneに限らずHTCやサムソン製のスマホが氾濫しており、携帯電話の7~8割がもうスマホなのではないかという気がする。

 これに対して日本でのスマホ普及率は、見た感じでは5割程度のような気がしており、実際ネットで調べたところ、49.8%というデータを発見し街での印象が裏付けられた形になった。

 はて、日本は何でこんなにスマホ普及が進まないのだろうと考えてみた。

 かくいう私も日本で継続使用している携帯電話は3Gのガラケーのままである。

 まあ、私はたまに帰国するときにしか使わないのでガラケーでもそんなに問題はないが、やはりスマホの便利さに慣れてしまうと、日本でもスマホを使用したくなる。

 そこで気になってAUショップで料金などを調べようとパンフレットをもらってきたのである。

 はてはて、どういう契約になるのかなとパンフをいろいろ読み込んでいくと、どうもスマホは専用の料金プランがあるようで、いずれも非常に高い。

 3Gの携帯なら月額基本料金が最低500円とか1000円とかで利用できるのに、スマホを利用するとなると最低月額5000円くらいのプランに入らなくてはならず、たまにしか使わない自分にとっては電話番号を維持するだけにそこまでの金額はちょっと高すぎる気がしたのである。

 しかもWIFIルーターだけを契約してタブレットPCで接続というのはどうも出来ないようで、スマホの契約が必要だとのこと。

 中国の料金システムに慣れた私にとってはなんじゃこりゃという契約体系である。

 私が現在中国で契約している回線は3G回線の月額88元のプランで、300Mの無料?通信量が含まれており、家の中のWIFIなどと併用すれば、まず月額の定量を超過することはなく、つまり電話代と合わせても基本料は88元=1450円ほどで済んでしまっている。

 それから考えると日本の通信料金が高過ぎるような気がする。

 実際通信料の単価から考えて安い高いか分からないが、家のWIFIとの組み合わせでの安上がりに済ますことの出来ない日本の料金体系はどうも不合理であり、ここにキャリアと端末は一体で営業展開されてきたSIMロックのかかった日本の携帯電話の市場の実体がある気がする。

 つまり日本の携帯市場はキャリア側が通信量に関わらずどうしても月額6000円を収入として欲しいわけであり、キャリアがはじいているそろばんの設備コストの意識が裏に見えるのである。

 それに対して中国の料金体系はスマホでもガラケーでも共通の、ほぼ通信量に応じた従量制であり、使う量を抑制すれば節約できるのだが、日本のスマホはそれが難しい料金体系になっているのである。

 つまりそこが日本のスマホ普及を伸び悩ませている原因のような気がするのである。

 まあスマホに頼らなくても多機能な日本のガラケーは便利に使えるので、敢えてスマホに変える必要が無いというのもスマホが普及しない理由かもしれないが、日本のキャリアはもう少し料金体系をSIMフリーの時代にあったものに見直すべきだという気がしてならないのである。

日本の携帯電話や新幹線技術の真価

 現在広く普及し始めているiPhoneや各社のアンドロイドOSのスマートフォンに対して日本の携帯電話端末は世界の市場から切り離された状態で独自に極度に進化したという意味でガラパゴス携帯=ガラケーなどとしばし揶揄されることがある。

 そのガラケーという言葉にはどこか侮蔑の意味が含まれ、無駄で過剰な機能が多すぎてコスト高になっているため世界市場で勝てない商品だという意味で使われている。

 実際にかつて日本のNECや京セラが中国市場に進出したが苦戦をし、市場からの退出を余儀なくされたという事実もあり、そういったガラケーに対する評価が定着する理由になっている。

 しかし、このガラケーの中国市場における失敗を以て、そのガラケーが築いてきた技術そのものをまでを否定するのはいささか行きすぎであるという気がする。

 その理由の一つとして、ガラケーはまず日本市場でそれなりに商品として成功したものであったこと。

 そして、現在のスマートフォン市場をリードしているIPhoneは、日本のガラケーにもヒントがあったとされていることなどが挙げられる。

 つまり、ガラケー自体には非難されるような無駄な技術があるわけではないという気がしている。

 では何故、世界市場に広がらなかったか?

 まず第一に日本市場が十分な大きさを持っていたために、日本メーカーは海外市場を求めなくても利益があったために、海外戦略という視点に欠けてしまったとこと。

 そして第二の理由として日本のガラケーの技術進化は、端末メーカー主導ではなくキャリア主導で進んだため、キャリア側のサービス提供が不可欠な形で進化が進んできたということ。

 つまり0円携帯に見られるように日本の携帯端末は、端末を売ることが主ではなく、キャリア側の契約数増加のためのツールとして進化させられてきたわけで、端末が沢山売れることよりキャリアの契約数が増え基本料収入や通信量収入が増えることに重きを置いて端末が開発されてきた。

 この点が原則SIMフリー(端末とキャリアを自由に選択できる)の海外市場と大きく異なり、結局日本の携帯端末はキャリア側のサービスコンテンツの提供なしにはその真価や魅力を発揮できないような進化となってしまったのである。

 しかしそこに気が付かない日本の端末メーカーが日本の成功を以て製品に市場競争力があるのだと勘違いしたのか、中国へ進出し失敗することになるのである。

 当たり前だが中国市場では、通信回線の貧弱さもあってキャリアの提供するサービスは日本とは全く違う独自の進化(SMSを使った情報提供など)をしたため、日本のキャリアとメーカーが育てたようなコンテンツ能力は中国では同等に発揮できないのである。

 つまり端末を支えるキャリアのシステムインフラがあってこそ、日本の端末は生きて真価を発揮するのであって、端末だけではただのコスト高商品になってしまったことがガラケーの世界進出の挫折である。

 しかし、そのコンテンツ提供をキャリアの束縛ではなくインターネットとの融合でもたらしたのがスマートフォンであり、通信料ではなくネットを通じたコンテンツ配信と端末販売で利益を上げるモデルとしたため、キャリアに束縛を受けずに世界中にコンテンツサービスを提供することが可能になったのである。

 そこがキャリアに束縛されたガラケーとフリーなスマートフォンの違いであるが、逆に言うと機能的に違うのはそことインターフェイスくらいなような気がしており、そういった意味では日本の技術は技術として何ら過剰なものはなく、寧ろかなり先進的であったということができる。

 日本製品というのは、新幹線などを見ても分かるように、単に機械単体だけでは、その能力や機能は世界と比較してあまり差が無いよう見える場合も多いのだが、それを支えるシステムとともに運用される場合においては、安全性や安定性、機能などにおいて無類な優秀さを発揮する場合が多い。

 まあその総合性で見ないと本当の真価が見えてこないというのが日本の技術の説得力の弱さでもありコスト高に見える原因であるが、これはちょっとしたPRアイデアや発想が足りないだけで、巷で言われるような技術の優秀さの過剰であるはずもない。

 日本メーカーはこういったシステムトータルで展開する能力や優秀さを伝える術をもっと身に着けるべきで、そこが出来れば国際市場でも十分力を発揮できるという気がしている。

原文

iPhoneは現代のラジカセ

 以前から感じていたことであるが、iPhoneというのは現代版のラジカセのような位置づけなのかなという気がする。

 もちろん外観や中身が一緒というわけではなく社会的位置づけという意味である。

 ラジカセというのは言うまでもなく「ラジオカセットレコーダー」のことで、つまりラジオ、カセットレコーダー、アンプ、スピーカーがオールインワンで一体になった音楽再生機器であり、それまでバラコンと呼ばれていたステレオ機などをコンパクトにしたものとして非常に広く普及した。

 後にはCDやMDの登場により、CDラジカセやCDMDラジカセなどの商品も出来たが、それらを含めてそれまでラジオ放送や高級ステレオを持つ人しか楽しめなかった音楽を、ラジカセの普及が個人で音楽を楽しむという行為を可能にし、スタイルの普及に繋がっていったという気がする。

 また同様にiPhoneもそれまでいろいろ在野にあった電話、ネット、音楽プレーヤーなどをコンパクトにオールインワンで一つに集約し、分かりやすいインターフェイスによって簡単な直観的操作が可能になったためのヒットした商品であると思う。

 このiPhoneの登場によりそれまでITには縁の無かった人にも大きく普及することになり、ITのイロハも分からなかった人たちがITに近づいたような印象を与えることに成功したのである。

 つまり在野にあった技術をコンパクトにオールインワン化して使いやすくし、それまで音楽やITに縁遠かった初心者たちを取り込むことに成功したという点が共通しているように思えるのである。 

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 日本にもガラケーと呼ばれる多機能電話は既に普及していたが、インターフェイスの面でキー操作にこだわっていた点で必ずしも使い安とは言えず、魅力的とは言えなかったのだが、それを克服したのがiPhoneといえ、技術的に凄いというよりも、分かりやすさの勝利ではあった気がする。

 もちろん、ラジカセもiPhoneもオールインワンゆえの性能の限界はあり、音楽もITもハイレベルなものを求める者からするとおもちゃ同様のようなこのラジカセとiPhoneだが、結果的に売れているということは「ハイスペック」より「使いやすさ」を求めたほうが商売としてはうまくいくという一つの見本のような結果となっているのである。

 ただ、その盤石に見えたiPhoneもやはり創業者のSジョブズ氏が亡くなって以後、勢いがなくなって来ていて、どうもマイナス点がちらほら目立つようになってきた。

 例えば地図の失敗の例に見られるように、商売を欲張ったのか自社の技術を過信し、他社技術を排除しようとして失敗する状況に陥っている。

 そしてもう一つの理由として在野からiPhoneへ新たにインターフェイスに取り込める要素が底をついてしまったのかなと思えるのである。

 アップル社にはインターフェイス以外にそれほど強力な独自技術が備わっている訳でもないため、統合する要素が新たな刺激要素のはずだったが、どうも新分野を開拓できない状況に陥っているようである。

 最新のiPhone5Sに至っては、画面が大きいとかカラーバリエーションが多いとか、本体機能ではなく枝葉の部分にしか主要改善項目が見られなくなってきており、いよいよiPhoneの革新的ブームも終焉という感は否めない。

 私も昔ラジカセを買ってもらった時は嬉しかったが、だんだんその機能制約や音質に不満を感じてきて結局バラコンを求めるようなったように、オールインワンツールと言うのは入門段階としては最適だが、結局入門用は入門用でしかなく、iPhoneもまたIT初心者を喜ばせるおもちゃとしては十分過ぎるものではあったが、逆に言うとそれ以上の物でもないため、そろそろその最初の役割は終わりになりそうな気がする。

 まあラジカセの登場により音楽を語る人が増えたのと同じように。iPhoneの登場により俄かIT信者が増え、何も分かってないのに偉そうにITを語る輩が増えたのは苦々しくもあったが、普及という意味では意味のあった存在と言えるかもしれない。