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某ブロガーのせこさを真似てみた

あるブロガーの方が、セコイ姑息な真似をやっていたところを発見したので、真似したところ見事成功した。

 実はこのブログシステム、日付を操作すると再びトップページに掲示されるというちょっとした欠陥がある。

 故にそのブログ主はそうやって何度も日付を操作し、己のブログを1日に何度もTOPページに表示させ、アクセス数を稼ごうとしている。

 システムの欠陥とはいえ、随分セコイ行動である。

写真はイメージ

写真はイメージ

 まあ、私はアクセス数にこだわっているわけじゃないので、そこまでしてアクセス数を稼ぎたいわけじゃなく今回の操作は今回限りのテストにするが、私にはそこまでしてアクセス数こだわる人の意図が分からない。

 アフリエイトの収入ためなのか本業の宣伝のためなのか。

 社会的に立派な肩書きを持っている方のはずなのに、システムの盲点を突いて他人を出しぬいて抜け駆け的にからくりを使って点数稼ぎとは意外とやっていることはセコく姑息である。
 
 これが彼の言う中国で生き抜く知恵ということなのか。

 平日の日中に仕事もせずに崇明島へ出かけるだの、犬や猫が危険だの高みから物知り顔で言葉を発するブログを熱心に更新し、他人事ながら仕事はどうしたのか心配になってしまう。

組織に恋々としない姿勢

 件の清武の乱と呼ばれる巨人球団を巡る報道で、昨日清武さん側からのコメントの記事が出ていたが、議論の中身はともかく組織に恋々としない姿勢は素晴らしいなという気がした。

 彼は元いた組織へリスペクトも残しつつ、きちんと過去は過去と割り切った立場で言葉を発している。

 まあ解任された時点の経緯を考えれば当然の姿勢ではあるが、そうはいっても世の中には、組織を離れると言ったはずなのに完全に袂を分かつことが出来ず、組織を離れた後もその組織のネームヴァリューによりかかったり、組織に恋々とした態度を見せる人も少なくないのは事実である。

 かと思えば、組織を離れた後に、都合の悪い時は「私は辞めたからもう関係ない」といいながら、別の場所では「元○○です」と過去の肩書をちらつかせ二枚舌を都合良く使い分ける不届きモノも時々見かける。

 まあ組織を離れた経緯がどうであろうと、離れたなら恋々とせず潔く距離を置いて進むのが袂を分けた相手への最低限の礼儀であるはずなのにそれが出来ないというかわからないのである。

 こういう組織を離れたはず人間の「俺は外から貢献している」という勝手な思い込みに基づく恋々とした中途半端な態度・行動は、実は残った人間にとっては迷惑な場合が多い。

 その意味で読売新聞に一貫して身を置いてきた清武さんが、解任後恋々としない態度で巨人球団と相対せるのは凄いことだなと思ってしまう。

びっくりな自称ライターさん

 私もこうやって時々ブログを書くように、文章を書くことは嫌いじゃないのだが、特にライター気取りになっているわけでもなく、仕事の合間に自分の中だけで留めておくのはもったいないような事を時々書いているのだが、世間にはたまに困った「自称ライター」さんがいる。

 まあその人の文章の良し悪しについては特に言うつもりはないのだが、何が「自称」なのかというと「ライター」と呼ぶに値しないから「自称」をつけて区別している。

 何が値しないのかというと、とにかく約束を守らない、仕事として文章を請け負って書いているという意識がまるでないのだ。

 つまりプロとしても自覚がない。例えプロでなくてももう少しライターとしての自覚があってもよいような状態なのだ。

 例えば文章の締め切りや原稿の形式など、お客さんやこちらの指定があるにも関わらず、締め切りを守らなかったり指定した形式を守らず自由気ままな文章を書いたものを平気で提出してくる。

 実はこの「自称ライター」さんに数度ほどある仕事を依頼したときがあったのが、結局締め切りに間に合わず私が下手な文章で埋めなければならないことが度々あった。

 あるいはインタビュー形式の文章を依頼したのに気ままなレポート形式で上がってきたりする。

 さらにある場所を取材したいので、人を紹介してくれと言われたので紹介してあげたのにも関わらず、それっきり取材にいった形跡もない。お陰で紹介したこちらの顔も丸つぶれになってしまったこともある。
  

写真はイメージ

写真はイメージ

 どうもこの「自称ライター」さん、口が軽すぎるようで、あれやります、これやりますとあちこちで吹いて、本来なら最初にやるべき仕事があるはずなのに後から来た仕事が魅力的だと、最初の仕事をほったらかして後からの仕事に飛びつくらしい。
 当然、あの仕事はできなくなりましたとの連絡もない。

 やるべき仕事について催促すると、よその原稿の仕事があって今忙しいという答えが平気で返ってくる。実は本も書いているらしい。請けた仕事への責任感もへったくれもない対応だ。

 そんなこんなでこの「自称ライター」さんに対しての仕事が信用できなくなり、数年前から一切新たな仕事を依頼するのは止めたのだが、どうも最近も色んなルートを通じて「あれを書かせてくれ」「これを書くから」などとアプローチがあることが漏れ伝わってくる。

 でも結局アプローチしてきた題材で文章が上がってくることはなく、また口先だけだったようだ。

 そんなさなか、この「自称ライターさん」がほったらかしにした仕事にしたお陰で、会社に数万元の穴があいたことも判明した。
 これだけ迷惑をかけているにも関わらず、この「自称ライターさん」はこれらの状況を通して一度も謝りに来たことがない。

 もう怒りを通り越してあきれてしまう。

 実はそんな「自称ライター」さんもやはりブログを書いているらしく、間もなく100万アクセスをゲットするらしいとの情報を風の噂で聞いた。

 やるべきこともやらず、他人に迷惑をかけながら自分の城だけはのこのことしっかり守って築いていたわけである。

 このブログを読むと、上述の仕事が忙しいとこちらの依頼を断っていた時期に、実は車の免許を取っただの上海近郊をドライブしただの、個人の時間を十分満喫していたことも判明する。

 さらに、「これだけの仕事のノルマを毎月やります」と本人自ら宣言したその月から結局ノルマをこなさず、東南アジアへ旅へ出てそれをご丁寧に報告している状況も判明した。

 このブログとこちらに対する仕事ぶりを付き合わせると、「自称ライター」さんの仕事に対する発言がいかにその場の方便だらけであったかがよくわかる状況になっている。

 他人への迷惑を顧みず、他人にいい顔だけを見せるブログを続けていることに人として「恥を知れ」とこの自称ライターさんに言いたい。

原文

肩書きをつけた講演士

最近、セミナーなどでよく講演する人の肩書きに疑問を感じることがある。

○○博士、○○士、○○専門家etc,,,

しかし、特別な賞などの受賞記念講演等の場合を除き、頻繁にこれらの講演活動を行っている方の肩書きは実は講演業・講演士が正しいのではないかと感じるときがある。

 つまり、○○博士というのは例え嘘ではないにしろ、本業として成り立っていない、つまり彼らにとってその肩書きは実はライフスタイルにおいての本業ではなく、講演やセミナーでお金を稼ぐための看板道具ではないのかと感じるのだ。

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 我々の普通の感覚からすれば、本来本業に集中していれば講演活動など忙しくて滅多に出来ないと思われるのに、かなり頻繁に講演活動を行っている○○博士はかなり多い。

 結局彼らの本業は○○博士ではなく講演士なのだ。
 そういうタレントでもないのに露出の多すぎる人は、彼らの本業の面で活躍をもう一度見直したほうがいい。

 そういった講演活動が忙しい人は、本来のその肩書きの職業に集中できていないはずだ。

 そういった肩書きを商売道具にした講演士が最近世の中にはびこっている。

 そのような彼らをありがたがり、ヨイショすることまた愚かなること然りである。

 大きな肩書きをもとにセミナーで語る人、実はそれらの肩書きは単なる仮面かもしれないことを忘れないでおきたい。

原文

名刺の広告効果

 最近、名刺のデザインをリニューアルし自分の会社の事業を名刺の裏に並べたら途端に忙しくなった。
 まあ忙しくなったのは名刺のせいではないと思うが、少なくとも日本人同士の単なる集まりのときに、いちいち自分の会社を説明せずとも良くなった。
 以前は名刺を渡しても「何をやっている会社ですか?」と聞かれてちょっと悲しかったものである。
 もちろん、正式にビジネスとして成立させるまで持っていくには、きちんと会社紹介の資料を持っていく必要があるのだが、その取っ掛かりのための「ミニ会社紹介」としての名刺の威力は絶大である。
 ただし、今回変えたのは主に裏面だけで、表面はまだ素直すぎるデザインのような感じで、まだまだインパクトが弱い気がしている。

 基本的に会社の中で名刺を大量に消費するのは私だけなので、デザインの変更に関してはかなりわがままがきき、従って次回の再印刷の前にさらなるインパクトを求めてデザインの変更をしようかと考えている。
 名刺も一つの広告としてとらえ、できれば会社の説明を一言も発しなくても会社のことを理解してもらえることが理想である。
 そんな名刺になんとか挑戦したい。