Monthly Archives: 9月 2012

結膜炎

 先々週の発熱に続いて、実は先週の初めから結膜炎が発症していた。

 目から目やにがどんどん出てきて瞼が腫れてしまったので慌てて医者に行った。

 実はその2週間前に耳鼻科、次に発熱で内科に通っていて、今度は眼科となんと3週続けて同じ病院の違う科に通うことになった。
 以前から顔見知り受付の方も流石に、私のこの状況には苦笑していた。

 さてさて診察を受けると、どうやらその前の週の発熱の原因の延長の症状のようで、雑菌の抵抗反応が目にも来てしまったような話だった。

 しかもなんと特に治療法はないとのことで10日ほど治癒するのを待つしかないというお話だった。(がーん)

 ただ、雑菌がさらに入って化膿などの危険があるので、消毒用の目薬を点すようにと2種類の目薬をもらった。

 特効薬がないとは何とも心もとなかったが、ひたすら抵抗力を高めるほかないということで、ビタミンとかを相当意識して接種することになった。

 この目が悪い状態というのはとても不便で、日常の動作そのものは特に支障がなかったが、パソコンの画面を見たり文章を書いたりするのに集中力というか、力みを必要とさせられ、とても仕事に影響が出てしまった。

 集中力の欠如を目のせいにしたくないが、やはり目に支障があるとどうにも集中できないのである。

 そして昨日今日になってようやく目のゴロゴロが無くなった印象である。
ただ、視力が落ちているのか疲れているのか、パソコンのニュースの文章を読むのは正直って言ってまだ疲れる状態である。

 もちろん中国語の文を読むのは更に疲れるので、今月になって読んだ量は先月の半分にも満たずけっこう仕事に影響が出ている。

 視力の復帰までもう少し我慢が必要なようである。

 まあこれまでの馬車馬のような時間を考えたらいい休養とも言えるのだが、、、

昔の恋人に再会してきた

 ブログの順番が前後してしまったが先週日本に一時帰国した時に昔の恋人に再会してきた。
とはいっても、本当の恋人ではなく音楽の恋人、、、サントリーホールとの再会である、。
 私が中国に渡ってから訪れていなかったから、かれこれ6年以上この場所を訪れていなかったことになる。

 私がこの場所を恋人と呼ぶからには、それなりの恋い焦がれた歴史があるからで、実はピーク時には年150回近くもこの場所通った。
(向こうが招いてくれたことはないので、片思いの恋とも言えるが、、、)

1990年3月4日に小林研一郎さん指揮日本フィルので「フィンガルの洞窟」から始まった恋は、それ以後ン百回の逢瀬があったが、私が中国に来てしまったことにより途絶えてしまっていた。
 

サントリーホール

サントリーホール(本当は撮影禁止です。)

 そしてようやく今回6年以上ぶりの再会が実った。

 今回聴いたのは島津楽器さんの冠コンサートで、広上淳一さん指揮の都響の演奏だった。
 どちらも日本でトップクラスの評価を得てはいるが、普段はこのオケと指揮者の組合せでの演奏はなく、主催者側が企画として敢えてぶつけてみたという気がする。

 そして座席はP席という、ステージ後方の指揮者と向かい合うような位置に座る席をとった。
  ここを取ったのはチケット代が一番安いというのも大きな理由だが、演奏中の指揮者の表情や動きを全て観察でき、オーケストラと一体感になって音楽を味わえるというのが非常に楽しい席である。

 そして、いよいよ一曲目のグリンカ作曲の「ルスランとリュミドラ」序曲が鳴り始めた。

 あ

 その瞬間私はあまりにも懐かしい音の響きに感極まった。
 この曲は決して冒頭から感激するとかそういった曲ではないし、どちらかと言えば楽しげな雰囲気なので、乗っけから感動するような曲ではない。

 しかし、この空間がもたらす豊な響き方との再会に、私は思わず感極まってしまったのである。

 この空間を離れていた6年以上の時間、今いる上海生活の中ではどうしても得られなかった渇きを潤す響きを感じた。

「ああ、ここに帰って来られたんだな・・・・」
 
そのことが単純に嬉しく、音楽が響き続けるほどに心がどんどんと潤されることに喜びを隠せなかった。

 演奏家たちにとっては小手調べのようなこの曲で、レベルが高い低いの問題もゼロではなったように思うが、私にとってはそこに音楽が響いていることが嬉しかったのである。
 
ただ音楽が響いていて、そこにいることが嬉しい、、、やはりサントリーホールは私の永遠の恋人かなぁと思ってしまう。

無責任に投げ出した人が未だ平気な顔

 何年か前に仕事を無責任に投げ出して放置した人が、まるで当時の無責任さの状況の責任を感じて無いが如く、未だに堂々と顔を出している。

 彼は投げ出した職責の大きさをまるで分かってないのだろう。

 分かっていたら恥ずかしくて二度と顔など出せないはずだ。

 分かっていても顔を出したいなら、あの投げだした日々以降、日々のの償いや信頼回復のための努力の日々があってもいいはずだ。

 しかし彼にはまるでそれが感じられない。

 あの日、彼がポジションを投げ出して仕事を放棄したこと。

 ずるずると逃げ出して行ったこと。

 それは周りの人がよーく覚えている。
 
 私は仕事を無責任に途中で投げ出す人間を絶対に信用しない。

 苦境に追い込まれそうになるたびに、周りの人間への影響など無視して、自分だけ助かろうと自分の領域に逃げ込むやつ。
 
 そんな奴は絶対信用できないし、そんな奴に仕事を任せるなどとてもできない。

 「わが愛しの上海」こと山之内 淳、こいつだけは絶対に許せない、
原文