24年前の記憶

 もう24年も経ってしまったんだと改めてびっくりするが、忘れられない「事故」がこの日起きている。

 かの日航ジャンボ機墜落事故である。
 身内が亡くなったわけではないがその記憶は鮮明だ。

 翌日の海外旅行(サンフランシスコ経由ハワイ)を控えてうきうきで過ごしていた自分だったが、6時40分ごろニュース番組にニュース速報のテロップが入ってきた。

「羽田発大阪行JAL123便が消息を絶った模様」

 この瞬間の驚愕の気持ちはいまだに忘れない。
 その瞬間にえもいわれぬ悪い予感に襲われたのを覚えている。

 この文明万能の時代の、しかも日本で飛行機が行方不明になるような事態が起きるなど想像だにしなかった。

 東京―大阪間といえば日本の発展の象徴のような区間であり、そんなところで飛行機が行方不明になんぞなりようがないと信じていたからだ。

 それが現実に起きていた。

 そのニュース速報の瞬間からずっと焦燥感に襲われ続け、ずっとテレビにかじり付けになった。

まずなかなか機体が見つからなかった。バミューダトライアングルのようなミステリーも一瞬頭を翳めたが、そんなこと東京ー大阪間で起きようが無い。

 夜中に群馬と長野県境で何か燃えているという情報が入った。でもなかなか現場にちかづけず、どういった状況なのかまるっきり把握できなかったが、とにかく墜落したことは確かなようだ。

 ニュースで読み上げられる乗客名簿の名前に聞き入りながらずいぶん遅くまで、、、結局何時に寝たのか覚えていなく、、、完全な徹夜はしていないはずだがほとんど眠れなかった。

 そして朝になってテレビ中継でたった4人生き残った乗客が助けられる姿を目にした。

 そんな衝撃をそのまま抱えながら、サンフランシスコ行きの飛行機に乗り、ハワイでの休暇を過ごしたが、この事故で受けた衝撃はずっとひきずったままだった。

 くしくもこの1985年にはつくばで科学万博が行われ、「科学万能」さえ言われかけた年であるが、この事故は科学を持っても防げない人の命のもろさを知った出来事であった。犠牲者の冥福をお祈りします。

 



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