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半月無視の日本の新暦七夕は間違っている。

昨日は7月7日の七夕ということだったが、七夕の由来を紐解いていくと日本の七夕は間違っているもので、意味のない行事に成り果てていることに気が付く。

 昨年に書いた「2014年07月21日 中国の七夕の絵は大間違い」というブログで書いた内容とほぼ同様の論理となるが、日本の七夕が明治の改暦以後、新暦つまり太陽暦の7月7日に実施することになった時点で意味が分からない行事となっているのである。

 
 何故ならば「七夕」というのはその文字が示す通り、7日の夕べ(夜)という意味を持つ行事であり、7月7日に実施することに意味がある行事なのであるが、太陰太陽暦上で初めて意味が成立するのであって、新暦上では意味が成立しないのである。

 では何故に太陰太陽暦の7月7日なのか?

 新暦で言えば7月7日は、1年をほぼ12等分した月で数えた7番目の月の7日目になり、つまりその年の190日目の日ということになるが、この基準だと毎年太陽の位置こそほぼ同じになるが、結局それだけの意味しかない日なのである。

 これに対して旧暦の太陰太陽暦で暦を数えると7月7日という日は特別な意味を持っていることがわかる。
 太陰太陽歴では1ケ月を月の満ち欠けを基準として定めているので、新月を起点として数えれば毎月15日は必ず満月であり、毎月7日や22日は必ず半月となるのであり、つまり7月7日は必ず半月なのである。
(有名な三日月がその名称で呼ばれるのは、旧暦の月の数え方に由来するものである。)

 故に、七夕の伝統行事というのは、必ず半円の半月の状態が空に浮かぶ夜だったということになり、日本でも明治の改暦以前は太陰太陽暦の7月7日の夜に行われていたものとなる。

 そしてこの時期、天体ではちょうど天の川の銀河が南中するころであり、天の川を挟んで、彦星のわし座アルタイルと、織姫星の名のこと座ベガが向き合う姿が見えるころであり、これに白鳥座のデネブを加えて夏の大三角形などとも言われる風景が見える時期なのである。
 この彦星と織姫が向き合うところに船に見立てられる半月が天の川を渡ることから七夕の伝説が成立しているのである。

 つまり、太陰太陽暦の7月7日の夜であるからこそ、彦星と織姫という役者が天体に揃うのであり、半月という脇役が揃っている時期なのである。
 これが新暦で数える7月7日では、半月になるとは限らず満月や新月など月の形は毎年一定ではないし、彦星と織姫も夜中に観察に適さない位置となる。

 ましてや関東などは梅雨真っ盛りであり、空の星を観察するのに全く適さないのである。

 つまり明治の改暦で新暦の7月7日に移動させられた七夕は、日付こそ7・7だが本来の伝説の元になった天体ショーとは全く切り離された明治政府による官制行事であり、伝統行事として意味を持たない間違ったニセ伝統行事になったのである。

 それ故に、私はこの新暦の七夕はいい加減に止めたほうが良いと思っており、太陰太陽暦に基づいた日付に移すべきだと考えている。

 まあ今の日本政府は太陰太陽暦による暦の数え方を公式には認めていないようだが、明治の改暦以後意味の分からなくなった節句の数々のことを考えると、季節に基づいたほかの節句もやはり元の太陰太陽暦に基づいた位置に戻すのが正しいであろうと考える。

 先日明治時代の産業発展の遺跡群がユネスコの世界遺産に認められた際に、強制労働という負の遺産に対して韓国から横やりが入ったが、私からすればかの明治の改暦もやはり影の部分を現代に残していると負の遺産だと感じ、明治が残した負の遺産は想像より遥かに多いのではないかというのが私の認識となっている。

無責任な前任者の後始末

 日本の首相は過去2代無責任に職務を放り出したと言われるが、彼らにも同情すべき点は多々ある。

 小泉元首相の郵政改革路線の多難な続行を引き継いでしまった安倍晋三元首相。

 そして安倍元首相が党のしがらみを優先した結果、参院選で敗北し、その状況の重圧に耐え切れなくなって職責を放り出した後にその責についた福田康夫元首相。

 そして福田元首相が衆参のねじれ現象による国会運営の難しさに職を投げ出した後に職についた麻生首相。

 麻生首相は本来衆議院解散の役割を担って首相の責についたはずなのに、前任者のつくった無責任なイメージを払拭できず、結局解散を先延ばしにした結果先の衆議院選挙の大敗北を招いてしまった。

 いずれも前任者の負の遺産に振り回され、結果自らも無責任な状況を作り出してしまった構図となっている。

 しかし、どんな場合でも物事を引き継ぐ場合は必ず前任者の負の遺産は存在する。

 プラスであったりゼロからスタートできる場合はほとんどない。

 何故ならば状況がプラスで有るならば前任者が辞める必要はなかったからだ。

 このことは今回ほぼ首相に就任することが決定している民主党の鳩山代表にも言え、自民党や麻生首相が残した負の遺産、例えば補正予算でばらまいてしまった予算の財源は国の借金として残っており、新任の鳩山さんがどれだけその予算の不当性を訴えてみたところで、既に国会という正式な手続きを踏まえて執行されてしまった以上、麻生首相個人から取り戻せるものではなく、またそれらが無かったものとして国政運営をスタートできるわけでもない。結局はその悪い状況をそのまま引き継がざるを得ない。

 しかし悪い状況を無責任な前任者のせいにしたところで、何の進歩が生まれるわけではなく、その前任者の負の遺産を片付けることから後継者の仕事は始めなければならない。

 これはどんなポジションでも通る道で、やり通せなければ結局は自分も無責任のドミノ倒しの中に並んでしまうことになる。

 このドミノ倒しを止めるには前任者の負の遺産もあわせて背負うという相当な意思と覚悟が必要で、引き受けたポジションの前任にどんな無責任な人がいようとも、自らがその後始末しなければ結局は何も始まらないし、そういった意味で職責を放り出した2代の首相は就任時に負の遺産への意識が足りず、プラスの面にだけ目が行き過ぎて負の遺産の整理を怠った結果の本人の無責任を生んでしまったといえる。

 今回の政権交代によって就任する予定の鳩山次期首相にとっては、前首相・前政権与党が築いてしまった相当の負の遺産を引き継がなければなならいと思うが、そこを解決できなければ結局前には進めないと思われるので国民のために是非頑張っていただきたい。