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新国立競技場案アンケートに見る現在の日本人の意識

 引き続き、新国立競技場に関する話となってしまうが、どちらの案が選ばれるかは別として、先日示されたA・B両案への日本国内での反応に現在の日本人の意識指向を見ることが出来る気がする。

新国立競技場案 左がA案 右がB案

 まあこの2案のデザインを大雑把に相対評価してしまえば、A案は環境調和を重視し、B案は先進性を重視したデザインと言ってしまうことができる。
これについて例えばYAHOOサイトの行ったアンケートでは約5割近くがA案を選択し、B案の4割弱を大きく上回っている。 

 

ヤフーのアンケート

ヤフーのアンケート

つまり、デザインの先進性より環境や調和を優先する意見が強いのが今の日本国民の意識ということになる。

 これが、例えば30年くらい前だったらどうであろうか?

 30年前、つまり1985年であれば恐らくA・B両案からの選択なら間違いなく、B案を望む声が多かったのではないかと想像する。
 或いは今回のような計画の見直しなどは発生せず、当時もザハ案があればそのままの計画で建設が進んでいたように思えるのである。
 1985年と言えば、つくば科学万博の開かれた年であり、近未来を意識した先進型デザインのパビリオンが沢山並び、さらにこの年から経済バブルに向かって急激に成長する先進思考がまさにピークの時期であった。
 街を見ればスポーツカーやカラフルなマイカーが沢山走っていたのを思い出すわけで、そんな時代にザハ案はぴったりだっただろう。

 あれから30年(きみまろの漫談じゃない)、街はシルバー塗装の軽乗用車だらけになり、大型車やスポーツカーは一部のちょいワル親父が乗りまわすだけになった。
 少子高齢化により、街から子供が消え、介護サービスが社会の課題となっている。

 こんな時代に選考されかかったザハ案は、先進的なデザインは一旦称讃されかかったものの結局コスト高を言われ否定されるという結果になっている。

 さらに再提出されたA・B案の相対比較についても、やはりより調和を重視したA案が好まれている結果となっており、ザハ案よりは比較的「和」の要素が入っていると思われるB案でさえ、更に和が見えるA案には人気の面で及ばない状況となっている。

 これが例えば今の上海であれば、ザハ案・A案・B案を並べればザハ案を選ぶのは間違いなさそうだし、恐らくA案を選ぶことは絶対にないと思われる。

 まあ私自身も最近の中国の先進デザイン嗜好への反発もあって、今回のA案の自然調和のスタイルは結構気に入っており、コンペの有利不利は別にしても、現代社会であのデザインを日本が国立施設として採用できたなら世界に誇れる素晴らしい選択だと感じている。

 A案は今回懸念された空調をつけないという条件も逆に日本の伝統の知恵を生かす結果となっており、スタジアムを囲む緑の存在や木の構造物が建物の熱の上昇を抑え、季節風を取り入れる形で内部の暑さを和らげるという工夫がなされるなど、随所に自然を生かす智慧が発揮されている。
 数年前にサッカーのW杯招致でカタールが用意するという全空調スタジアムが話題になったが、この新国立競技場案は空調を捨て自然を生かす意味でカタールの施設の真逆の発想なのである。

 一部で指摘される植生部分の維持費の懸念についても、確かにスタジアム単体で考えれば割高に見えるのだが、周辺の神宮の森の緑地整備費・維持費と一体として考えれば、スタジアムに直接付属しているかどうかだけの差である。

 寧ろ空調費を抑えたためのコストダウンの結果のコストなのではないかと考えられ、つまりその意味で言えば植生の部分におけるコスト差はA・B案ともほとんどないのである。

 まあ最先端の電気を駆使したハイテク技術というのも、もちろん日本の誇れる技術の一部だとは思うが、日本には古くから生きる庶民の生活の知恵というものも存在する。

 日本人が震災後の節電時期を経る中で、改めて思い出した伝統的な避暑対策の知恵が実はA案には見て取れるのであり、デザインとしても調和を望む成熟した国民意識が多くA案を選んでいる結果となっているのではないかという気がする。

 こう考えると震災前と後では新国立競技場に対する要求理念が全く違っていた可能性があり、もしアンケートの結果の通りにA案が選ばれるなら、震災後だからこそ選択された結果だったのかも知れないのである。
 今回最終的にどちらの案が選ばれるかは分からないが、Aのようなものを望んでいる人が多いというのが今の震災を経た日本人の意識なのではないだろうか。

復興への焦りが見える復興

 ここしばらく眺めていた日本の震災復興報道を通じていろいろ感じたことはあるが、多くの人の思いの焦りがあり、復興計画が制度などうまくかみ合ってないもどかしさがあるなという気がした。

 また、現在進んでいる復興事業も完成品を急ぎすぎているのか、本当に大丈夫なのだろうかという疑問を感じる点も少なくなかった。

 まあ計画に携わっていない外野からの無責任な声になるが、例えば被災地域の土地のかさ上げを行なって津波の被害を防ごうという発想は本当に大丈夫なのかという疑問が湧く。

 確かに低地のまま放置するより被害は減るかもしれないが、単に土地をかさ上げしただけでは、狭い入り江状になった地形の下ではかさ上げをしてもその分だけ水はせり上がって来てしまうのではないかという気がするのである。
 このあたりは既に専門家の分析が済んでいたのなら失礼な話になるのだが、素人目から見ると土地のかさ上げ対策だけでは不十分に映り、津波の勢いを吸収して導く谷のような役割を持った構造が必要なのではないかという気がする。
 そうしないと行き場を失った津波の水は結局せり上がって被害は減らないように思えるのである。

 また被災地の商業的な復興計画に関しても、大型商業施設を誘致して、それを核に従来からの商業事業者たちへの振興を図るといったような計画を見かけたが、それもどうなのかなという疑問を持った。
 大型商業施設が来たら、地元の商店街など基本的に太刀打ちできないからである。
 大型商業施設の進出による商店街のシャッター街化はこれまでも何度も繰り返されてきた歴史であり、単に誘致しただけでは共生はあり得ないのがこれまでの常識なのである。
 しかも、商業施設の誘致だけでは人口の流出が止められないわけであり、そうでなくても日本全体が高齢化と人口減少のトレンドに向かっている趨勢の中で、被災地を従来の都市開発の発想でグランドデザインしても、恐らく人口の減少、つまりマーケットの縮小は止められずうまくいかないだろうという気がするのである。

 被災地の方々には酷な現状だが、日本の戦後復興は人口増加の中で成し遂げられたものであり、人口減少トレンドの中では復興の道のりはなかなか苦しいものになると思われ、今の発想からの転換が必要だという気がする。

 ただ、逆に考えると子育て支援などの対策など人口増加に対する対策を十分行えれば復興が進む可能性もあり、そのためには今のような完成品を求めて開発を急ぐ姿はやはり違うのかなという気もしなくもない。

 復興を急いで街を早く綺麗に整えたいという気持ちはわからなくはないが、今はまだ可能性がありそうな種をできるだけ多くばらまく時期なのではないかという気がしており、うまく言えないがそれが結局は地元のためになるというような気がするのである。
 

震災関連報道に隠れた政治の動き

 ちょっと緊急で日本に一時帰国した。
 日本では㋂11日の震災発生4周年を前にして、震災関連報道一色になっている状況となっていた。
 未だ復興がスムーズに進まない状況を改めて知ることになった。

 特に福島では原発の事故の影響で、自宅に戻ることを断念するほど何も復興は進んでおらず、行われているのは目先の除染作業と汚染水の処理だけである。

 まあ、この報道自体は否定すべきことは何もないのだが、どうもこれらの報道に隠されて、国会の動きなど政治関係の話題がどうも隠されてしまっているといった印象がある。

 例えば政治と金の動きの追及の動きや、自衛隊の文官統制を止めることが閣議決定で決まってしまったというような結構大きな動きが政治の世界で起きているにも関わらず、テレビ報道からは消えてしまっている。

 この文官統制の廃止は、戦前の反省をもとに設けられた制度で、政治と軍隊の暴走を防ぐために設けられた何重ものロックの一つであったはずだが、またもや憲法解釈と同様にあっさりと閣議決定などという手段で、ルールを取り外されてしまった印象である。

 どうしてこの時期にそんな重要な決定をしたのか非常に疑問であるし、何よりも報道でほとんど論じられないのが不思議な話である。

 震災報道で心痛めつつ現状を知ることも大事だが、あまりにも震災一色に報道が塗られてしまい、その陰で何が起きているのかが非常に気になる最近の日本の雰囲気である。