(前回の話はこちら)
上海に戻る予定の最終日、きっぷは夕方の列車を予約したので帰るまでは相当時間がある。
宿でぎりぎりまでのんびりしていても良かったのだが、どのみち12時にはチェックアウトしなければいけないので、午後はどこかで予定をつぶさなければいけない。
調べてみるとこの寧海県にはほかにも観光地が幾つかあるようなので、せっかく来たので、それらの幾つかに足を伸ばしてみることにした。
で、向かったのが「梁皇山」という場所。
大峡谷といったような情報があったので、景観を楽しむような場所なのだろうとこの時は思っていた。
この時点では、あんなことになろうとは思いもよらなかったのである。
朝8時半にスマホで車を呼んで、早速梁皇山へ向かった。
(朝食は上海で買っておいた菓子パンが役にたった。)
同じ寧海県内なので、近いのかと思っていたら車で1時間近くもかかった。
中国の行政域の広さはなめちゃいけない。
運転士はこちらが外国人だと気づかないらしく、しきりと色んな話を話しかけてくる。
全部は聞き取れないのでなんとなく相槌を打ったりと適当に流してしまった。
最後にまた来たときはよろしくといって名刺までくれた。
さて、梁皇山につくと、前方の山の高いところに吊り橋のようなものが掛けられていた。
うわぁ、ずいぶん高いところにかけているなぁ、まるで水府村(現茨城県常陸太田市)の竜神峡大吊り橋みたいだと思った。
そこまで茨城に似なくてもと思ったが、橋とかをつくって観光の目玉にしたい地方の人間の発想は実は日本も中国も同じなのかもしれない。
さて、まずふもとの事務所で腹ごしらえをして、事前に買っておいた入場チケットを引き換える。
後から分かったのだが、私が事前に買ってあったのは入場券だけだったのだが。内部には色々とアトラクションというか、登山下山のための補助施設があり、それらを利用するには度々費用を払う必要がある。
麓では、これらの通し券が売られており、結果的にはその通し券を買った方が得のようである。
私が感じた限りそれらのアトラクションを避けて登山下山は出来なかった印象なので、もしここを訪れる人がいるなら、現地で通し券を買う事をお勧めする。
さて、この梁皇山は何が目玉かというと、なんとあの上空に見えた吊り橋がガラス橋ということ。
私はそこまで興味はなかったが、時間つぶしが目的でもあったので周りの人に押し流されるように登山口に向かう。
この登りはじめた当初は、疲れたらギブアップして程ほどのところで帰ってくれば良いと思っていた。
ところが道は、ほぼ一筆書きの順路になっており、引き返すことはあまり想定されていない。
そのことに気づいたときは時すでに遅しで、引き返すことさえつらい位置まで上がってしまった。
息がゼイゼイ、汗がだらだら、日ごろの運動不足が体に堪える、
いや、それだけではなく、旅行の荷物全部を背負ったまま登り始めてしまったのである。
パソコンや着替えなど全部である。
周りを見渡すと、みなほぼ手ぶらで登っている。
私だけ一人でハンデを文字通り背負っていたようである。
そういえば似たよう事が10年前くらいにあり、万里の長城にパソコンを背負って上ったことがある。
どうやらそういう宿命のようである。
小さな子供や老人に次々に抜かれる。
まあ夕方までに駅へ行ければよいと思い、数十メートルを登っては5分休憩しといった非効率なペースでゆっくり登った。
タオルはとっくにびしょびしょで、途中でシャツも着替えた。
途中登山補助のための面白いアトラクションのようなベルトコンベアがあった。
当然有料であり、Wechatで費用を払って搭乗する。
その乗り方が変わっていて、進行方向に向かって後ろ向きに座る。
つまり後ろ向きに登っていく状態になる。
確かに進行方向に顔を向けて座ると転げ落ちる方向になるので、この方が安全だという事だろう。
所要時間は5分程度であってあったが、息の上がっていた私にはちょうどいい助けであり、休憩時間となる。
このベルトコンベアを降りてもまだ登山道は続く。
ただ、この直後こそまだ急な階段を登らなくてはならなかったが、徐々に傾斜は緩くなり、横移動の距離の方が多くなる。
そしてとうとうガラス橋の入り口につく。
当然ここも有料で費用を払う。
さあ橋を渡り始める。
橋桁がガラスなので当然100M以上の下の谷が透けて見える。
ガラスが割れない限りは安全だと分かっていても、やはり落下の恐怖で足がすくんでしまう。
手すりに捕まりながらゆっくり進む。
時々、橋の上で駆け出す人がいて、揺れる橋さらにこちらは更にビビる。
そういうマナー違反の人は係から注意されるのだが、悪ふざけをする人はなかなか減らない。
何とか10分くらいかけて渡りきる。
ただ、個人的には渡り切ったことよりも、ここからまた下山しなければならないことに、不安を感じる。
途中で滑り台のような施設があると看板が出ていたのだが、下りれども下りれどもなかなかその設備にたどり着けない。
下りなので呼吸的には登り程にはきつくないが、今度は膝とか腿とかに負荷がかかり、結構プルプル来る。
そんなプルプルがきつくなって来たころに、ようやく滑り台の入り口にたどり着く。
費用をWechatで払うと、迷彩服のズボンを履くよう指示される。
よく見るよお尻の部分がさらに補強されている。
つまり、滑り台で服に穴が開かない為の保護という事のようである。
自分の番が来て滑り始めると、ボブスレーのコースのような長い滑り台が、右へ左へ畝って長い距離続く。
正確には図ってないが、5分程度かかったような印象であり、総延長としても1キロは優に超えていたのではないだろうか?
この滑り台のおかげであっという間に谷の低い位置までたどり着く。
ここからはきつい傾斜もなくゴールまで僅かのようである。
ゆるやかな道を数キロ下ると、先ほどの出発点の管理事務所にたどり着く。
足ががくがくであるが、まだお昼を回った程度の時間である。
さてどうしようかと地図を眺める。(続く)