日本の国歌に「故郷(ふるさと)」を加えたらどうか

日本の法律では国歌として「君が代」が定められている。

まあこの「君が代」は日の丸とともに国旗・国歌の論争のもとになっている。

この「日の丸」「君が代」は長らく国旗国歌とされてきたが、実は法律として定められたのは1999年になってからで、それまでは慣習的に使われてきただけであった。

この法律ができてから、公立学校の入学卒業式では起立斉唱が義務のように言われるようになり、またそれに違反した教師が処罰され、それを不服とした教師が教育委員会を訴えるなど何かと社会問題化している。

個人的にはこの国旗国歌の制定については消極的には同意するものの、公立学校とて国が建てた学校ではないし、憲法が保障する思想の自由などから考えれば入学式や卒業式における斉唱や掲揚は強制されるものではないものと思っている。

起立斉唱を参加者に求めるのは、どう見ても権威主義的な軍隊教育のように見え、多様な人間が生きる現代社会での教育にはそぐわないと思えるからである。

ただ、今回はこの是非についてはとりあえず横へ置いておいて、日本の国歌というものについて考えたい。

まあそもそも国歌が必要なのかという議論も本来はしなくてはならないが、一応国家体裁として必要なんだという前提で、考えてみたい。
さて、現在国歌となっている「君が代」について、そもそも一体どのくらいの日本人が歌詞の意味を理解して歌っているのだろうか?ということに疑問を感じている。

正直言って、私もよくわかっていない。

一応日本語だから言葉の一つ一つの単語の意味は分かるが、全体として何を歌っているのか理解していないのである。

戦時中に、天皇の歌として扱われたこともあったようだが、どうやらそれも違うらしく、誰が何を思って詠んだ歌なのかは現代でもはっきりしない。
一説には平安時代の恋の歌だと解釈する説もあるが、それとて定まった説ではない。

つまり、われわれ日本人は歌詞の意味もはっきり分かっていない歌を、たぶん国のことを表した歌だろうと咀嚼せず適当に飲み込んで歌っているだけなのである。

このように「君が代」は国歌として法律で定めた割には随分根拠も内容のあやふやな歌であり、むしろ国体復古を目論んだ右翼系の「王政復古」の意図で法律定義したのが結局正解のような気がしてならない状況である。

故にそんなあやふやな「君が代」は、例えみんなが歌えたとしてもどれだけ日本人にとって意味のある存在かは不明であり、国歌として適当なのか疑問を持ってしまう。

これらのことから実は個人的には「君が代」より、「故郷(ふるさと)」のほうが現代の国歌にふさわしいと思っている。

この「故郷」はそもそも大正時代に長野出身の高野辰之氏の作詞、鳥取出身の岡野貞一氏の作曲によって作られた学校唱歌である。
唱歌であるが故に、誰にとっても歌いやすく、心に残りやすい歌となっており、実際多くの人に歌われている。

まあ歌詞については現代となっては多少古い言い回しにはなっているが、何を意味しているかは理解できるし、多くの人の心に通じるものがある点においては君が代の比ではないだろうに思うのである。

そして、心に染み入ってるからこそ、ふとした瞬間に不意に口をついて出る。

例えば戦時中に特攻へ出撃していったパイロットが機上で歌っていたという話もあり、日本人が共通して心の中に持っている歌は結局「君が代」ではなく、「故郷」ではないのかと思うのである。

故に国家を強制されない意味の国歌として「故郷」を強く推薦したいと思う。

さらにこの歌は決して国を限定しているわけではないので世界の人にも自由に歌ってほしいし、それぞれの「故郷」のイメージは違えど、故郷への思いは通じるものがあるのではないかと思っている。

まあ今の「君が代」を退かせたい意図があるわけではないので、法律定義としては並列でも良いが、国際スポーツ大会や卒業式はこちらを採用できるよう国歌に加えてほしいという気がするのである。





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