歴史好きの見識

世の中には歴史好きを自認する人は少なくなくないが、彼らは本当に歴史の内容を分かって歴史好きを自認しているのかという疑問が時々涌く。

 特に日本の歴史が激しく動いた時期に対して戦国ロマン幕末ロマンなどと言う言葉を平気で口に出し、武将や中心人物たちをヒーロー化する人に対しては特にそういう疑問が強い。

 言うまでもなく「歴史」が指す言葉の意味の半分は古今東西国内外問わず戦争と権力闘争や権力統治の歴史であり、歴史が動くところのほとんどに戦争があり、血で血を争う闘争の歴史がある。

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 しかし歴史を語る多くの人は、どちらの勢力が勝ったとか負けたとかそんなことばかりを語り、戦争を行なえば勝ち負けに関わらずほんのわずかな例外を除いてどちらの勢力にも多数の死者が発生して来たのが人間の歴史の現実なのに、そこを語る人は少ない。

 しかしながら戦争が起きて、その戦いで死んだ兵隊一人一人の親兄弟家族たちは、総大将の勝敗や世の中の流れに関係なく肉親の死を悲しんできたはずであり、そういう悲しみが戦死者の数だけ存在してきたはずなのだが、歴史好きの視野にはどうもそういうことが忘れ去られている気がする。

 例えば天下分け目と言われた関ヶ原の戦いについて、東軍の徳川家康が勝ったことは誰もが良く知るといころであり、小早川秀秋が裏切った云々の流れは良く語られるが、両軍の兵に実際どのくらい犠牲者が出たのかなどは、諸説あることもあって詳細を言える人は少ない気がする。

 まあ数対数の戦争でしかなかった時代の、何千何万騎のうちの兵隊一人の誰が戦死して誰が生き残ったなどは、世の中の全体の流れの中では全く関係ないことであるかもしれないが、その兵一人一人は人間であり、その肉親にとってはこの時代として仕方ないことだったこととはいえ、やはり悲しい出来事であったはずである。

 にも関わらず、現代の歴史好きたちが、その生死を胸先三寸で左右してしまう権力者たちの動きにばかり目を向けて、末端の名もしられぬまま命を落としていた数多くの兵隊たちの存在をないがしろにして、ただ歴史が好きだととか、あの武将は凄かったなどと言ってしまう感覚は果たしてどうなのかという気がしている。

 ましてや、過去の歴史史実や人物を捉えて、そこに自分を重ねて酔っている政治家や政党、経営者たちの姿を見ると、やはり人に対する感覚を疑いちょっと嫌悪感を抱いてしまう。

 歴史の史実に関心を持ち、正確に見極めたり知ったりする事は決して決して悪い事ではないが、政治家のように人の上に立つ人たちなら尚更のこと、兵は将棋の駒ではなく人である事を意識し、歴史とは権力統治者の系譜だけではないことをもっと意識するべきで、軽々しく武力行使やリストラを口にするべきではないと思う。



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