年明け直前の12月31日に、上海の観光地外灘で36人もの人が将棋倒しで圧死するという痛ましい事故が起きた。
外灘で行われるカウントダウンイベント目当てに大勢の人が押しかけていたようで、私は今回は行かなかったがその混雑ぶりは数年前に同じ場所・同じ時間にいたことがあるのでなんとなく想像は出来る。
ただその年は非常に寒かったので、今回よりは人出が少なかったんじゃないかと思うが、それでも結構な人数が出ていた。
日本人からすると、今回の事故についてもう少し警備によって人数制限とかできなかったのかという感想も出るが、今回現場付近でお金がばらまかれたとか何とかの噂があり、必ずしも人数制限だけでどうにかなるものでもなかった気がする。
日本もかつて2001年に明石の歩道橋で花火帰りの見物客が将棋倒しで死者が出た事故もあったが、あれは警備計画に無理があって事故が発生してしまったが、群集心理が働いた今回の事故とはどうも違うという気がする。
どうも中国人というのは群衆になればなるほど群集心理が働くというか、元々周囲への配慮が得意な人々ではないので、周りが見えずにわれ先へと行動する分だけパニックがより深刻化する傾向があるようである。
かつて私もこの中国の群衆状況に巻き込まれ、怖い思いをしたことが2度ほどある。
1度目は、某欧米系家電量販店が上海に開店した際に、開店日に店へ行ってみた時のことである。
私が行った時は既に長い行列が出来ていて、横に5~6人で縦に100m以上の行列となっていた。
最初は大人しく行列に並んでいた周りの市民たちだったが、前が進まないのに段々と後ろからのプレッシャーが激しさを増してくるので、徐々に前に押し出されるようになった。
警備員たちは、ガードレールのような車止めで人の流れを押しとどめ、前方のグループとの間隔を保っていたが、ある瞬間後ろからの流れにそのガードレールが決壊し、途端に人々が前へ前へと走り出すことになったのである。
こちらも突き飛ばされそうになりながら、もみくちゃになりながら周りの流れに流され前に進むしかなかった。
とどまっている方が危険を感じたからであり、中国人達の群衆の中に身を置くことの怖さをこの時初めて知ったのである。
そして2度目は2年程前に元宵節に豫園に行った時である。
たかだか幅20m程の道路の幅に、おびただしい人の流れが蠢いていてあたかも私の地元常磐線の朝のラッシュが横に3~4倍に広がっているいような状態で、ほとんど身動き取れないほどだったのである。
まあ当時現場にはそれほど危険な要素はなかったので、その日は無事には済んだが、何かちょっと起きたら命が危ないなと思える程芳香性の無い押し合いへし合いの凄い状態だったのであり、上記の件で中国人の集団心理の怖さを知っているだけに、やはり怖さを感じちょっとビクビクしていたのである。
実は上海ではこんなイベントの日だけでなく、普段からいつでもパニック的である。
例えばバスへの乗車一つとっても、普通のバス停では誰1人もな並ぶ者はなくバラバラな位置で待っており、バスが近づくのが見えてくると、横並びであった人たちが少しずつ他人より優位な場所に立とうと徐々に肩を前に迫り出し足を迫り出し、車道側に競って近づくような行動をとるのである。
そしてバスが到着した途端に入り口にわーっと列も作らず群がる。
まるで餌に群がる池の鯉の如きの風景のパニック状態となる。
まあバスの始発駅のような行列用通路が設置されている場所であれば、大半の人は諦めて並ぶようだが、そういう場所でさえ並ぶのを嫌って先頭付近でバスに乗ろうとする人も未だ少なくない。
彼らは並ぶのが相当嫌いなようにしか思えず、行列は無駄なんじゃないかと思っている節があり、実はイベントなど特殊な環境でなくても日常からこのようなパニック的行動を毎日の様に繰り返しているのである。
2010年の上海万博では、中国人の行列マナーの悪さがさんざん有名になったが、5年たった今でもマナーの面ではほとんど変わっていないのが現実である。
こういった文化状況の国で、今回の外灘のような事故が起きても何ら不思議ではなく、私としてはあの場にいなくて本当に運が良かったなというのが正直な感想である。
日本でも明治神宮や成田山の初詣など大勢の行列が毎年発生するが、日本人が行儀良いのと警備方法がツボをついているので、近年ではどんなに混んでいてもパニックになったことはないし、ここ数年元朝参りでその手の事故はなかったような気がする。
もちろん警備の対応が甘ければ、明石のような事故や昨年末の東京駅100周年スイカ事件のようなことは起きる可能性があるのだが、やはり大きな事故が起きることは滅多になくなった。
今回の外灘の事故を受けて、中国当局はどういった反省をし対応を取るか分からないが、現地外灘の警備云々を考えることも大事だが、普段のバス乗車マナーなど基本的な集団行動意識から見直さないと根本的な解決にはならないような気がするのである。