Tag Archives: ポピュリズム

安易な妥協を許さない決断

 日本のみんなの党の某国会議員Kさんが渡辺代表から出て行ってくれと言われ離党届を提出したことがニュースになっている。

 どうやら他党の連携を巡って意見が対立したということが背景にあるようだ。

 この件に関する評価については、代表の独裁的運営ではないかなど、関係者双方に対
していろいろ批評はあろうが、私から見ると渡辺代表の方が筋が通っているという気がする。

 私自身、特に渡辺代表や彼の政党を支持しているというわけではないが、渡辺氏の立場を理解すれば少なくとも離党した人に対する同情はできないという気がする。

 元をただせば渡辺氏は数年前に自民党にいては議員として筋を通せないないとして一人で飛び出していたような人物であるわけで、その中身はともかく多数派に流されず自分の信条に信念をもって筋を通し、ここまで政治活動を行なってきている。

 もし今回K議員が動いたようにそういった数合わせの論理だけでポピュリズム的に動く生き方の選択を望むならば、自民党を飛び出さないでいたのが一番得であったわけで、それにも関わらず敢えて飛び出して1人でも戦おうとしたような人物である。

 そういう人にとっては自らが作った政党において、数合わせのために選挙対策のためだけに相容れない主張を持つ他党との連携を探ろうとする姿勢は、とても許せなかったのではないかと思われるのである。

 現時点の政権とかにまるっきり遠い段階で、数合わせのためにの安易な妥協を許せば、存在意義自体を問われ何の得にもならないことを彼自身がよく知っているのであろう。

 まあどんな社会でも人間が多く集まれば多く集まるほど、人の数だけ違う考え方があるのは当然で、それ故に色んなシーン妥協が必要な場面が出て来るのだが、そんな中でも「寄らば大樹」的な安易な誘惑に負けず、初心を貫徹するような姿勢は、政策の中身はともかくその本気度は信用できるという気がする。

 今の世の中、選挙対策のためにコロコロと主張を変える政治家が多いことを考えれば、こういった頑固とも言える姿勢と決断は貴重である。

 今の世の中、主張の中身はともかく本気の人間を探すことがまず大変である。

道州制主張の向こうに見える権威主義

 日本各所で検討されてる道州制、広域行政を行ない行政のスリム化のメリットがあるとされるが、どうも某政党の行なうこの主張には疑問を感じ眉唾でこれを見ている。

 確かに、日本で道州制を行なうメリットはそれなりにあると思われ、例えば関東で言えば現在は東京・千葉・埼玉・神奈川がそれぞれの行政区分に分かれて自治行政を行なっているが、もはや現状では生活圏としては首都圏という括りで考えた方がよいわけで、そのため道州制によってこれらをまとめ大きい行政単位で効率よく運営した方がいいという主張は理解できよう。

 しかしながら、これを主張する某政党の行動を見ていると、道州制は単なる手段に過ぎず、本当の要求は単なる国からの権限移譲による国の干渉の排除にあるような気がしている。

 つまり委譲と言えば聞こえはいいが、行政官僚からの権限はく奪による権限集中という目的の実現という方が現実の状況に近い気がする。

 大阪都構想なども同様で、市と府の二重行政の解消による無駄の排除という言葉は一見もっともらしいように聞こえるが、要するに命令系統を一本化して意見が異なる者を排除する権威主義のためのエクスキューズのようにしか見えないのである。

 それが証拠に大阪市立大学の学長任命に見られるような、学内選挙による推薦選出を否定し、権限者は俺だとして恣意的に学長を選ぼうと権限を振りかざす姿は、例えルール上そうであっても、どうも民主主義を否定した権威主義的な振る舞いに見える。

 要するに道州制も都構想も行政の効率化を目指すと言いながら、その実態は道州制で国から権限を奪い、都構想で対立者を排除し、下からのビルドアップも否定し、ただ選挙で選ばれた首長を最大の正義として自らのポジションに全てを集中させようという権威主義指向の形が見て取れるのである。

 道州制自体は住民自治の一つの形として、下からのビルドアップがきちんと実施されるならば求めて良い形だと思っているが、国という足かせを外して権限を強化し、首長が権威主義的に権限を振りかざす為の手段だとするならば、独裁者の誕生を許すだけのような気がしており、その具体的な中身についてはきちんとした吟味が必要なのではないかと私は思っている。