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古着屋の増えた日本

  昨年久しぶりに訪れた日本で感じたのは古着屋(リサイクルショップ)が異様に増えたということ。

 実は実家に帰った途端に両親に連れていかれたのが古着屋で、とにかく安いから一度覗いてごらんなさいということだった。
 まあ、これまで人生の中で古着屋なんぞ一度たりとも足を運んでみたことのなかった私なので、古着屋という言葉のイメージは決して良くなかったが、とにかく行ってみた。

 行ってみると、以前は靴屋かおもちゃ屋チェーンか何かが入っていた建物をそのまま利用したものらしく、私の中の古臭い古着屋のイメージとはちょっと違った。

近所の古着屋の店内

 店内広しとラックに非常に多くの服が吊るされ、普通の衣料品店舗とあまり変わりのない印象を受けた。

 それぞれの商品の値段を見てみると、確かに両親の言う通り200円・300円・500円と普通のお店で買うよりはるかに安い。

 もちろん中古品なので、新品に比べれば見劣りはするが、それなりに状態の良いものが並んでいる。

 故に、気に入ったものがあれば非常にお得であり、外出用のお洒落着を求めるのでなく、日常の普段着を取り揃えるには十分なのだとも言える。
 ただ普通の衣料品店と違うのは、古着は全てが一点ものであり、サイズや色のバリエーションなどの取り揃えはありえず、デザイン的に気にったとしてもサイズ違いで断念するケースは少なくないようである。

 この点はフリマ(フリーマーケット)と一緒である。

 またこういった古着屋は女性物の服が多いのが特徴のようで、品物の8割から9割は女性物が占めている。
 これは恐らく男性より女性の方が服の扱いが丁寧であるので傷みにくく、古着用に生き残る確率が高いからではないかという気がする。
 そうでなくても男性は、スーツやツナギなど制服姿で仕事をするケースが多く、普段着を着る機会が女性より圧倒的に少ないのが日本社会で、扱いも比較的雑なので古着市場に回る確率が低いのだと思われる。

 そんな古着屋の中で、その日は1点だけ購入した。

 それはマフラーで、店内価格150円のところこの日は日替わりセールで半額75円!だった。

 何とも馬鹿馬鹿しいくらいの価格である。

 こんな値段で、このお店は成り立つのかなぁと心配であったが、仕入れ値がほぼタダ同然であることを考えると、それなりに成り立つのかもしれない。

 ちなみに仕入れは、どんな服でも受け付けてくれ、状態の良いものをキロ何円という形でポイント還元するようで、それ以外はポイントにもならなでいゴミ或いはリサイクル資源になってしまうようだが一応無料で引き取ってくれる。

 まあゴミ処理代がかかるこのご時世に、責任をもって引き取ってくれるだけでもありがたい。

 で、こんな古着屋はうちの近所だけかもしれないと思っていたところ、帰国中出歩くうちに県内各地に何軒もの古着屋(リサイクルショップ)を見つけたのである。

 以前はドラッグストアだったりレンタルビデオ屋だったりしたようなプレハブ店舗の建物が、今は古着屋さんになっているのである。

 恐らくこの傾向は、日本の少子高齢化などの社会状況と密接に繋がっていると思われる。
 つまり少ない年金で暮らしていかなければいけない私の両親のような高齢者世代が生活防衛のために普段着は新品を買わずリサイクルショップでなるべく済ますようになったため、かのような業態の成長を後押ししているのだと推測される。

 まあフリマを含めて、こういった中古品のやり取りが活発になるということは地球資源の保全という意味では非常にいいことではあるが、一方で新品販売のシェアが落ちることも意味している。

 つまりこういった古着屋などの中古品取引が増えてしまうと、資源消費を基本とする経済に対してはあまりプラスにはならないのであり、日本の経済力が落ちたと言われる原因の一つを、この古着屋増加に見た気がする。

 ただ、逆に経済力だけが幸福ではないという価値観で考えれば、この古着屋の増加は地球に優しい先進国として理想形なのかもしれず、誇れるべき社会変化だととらえることも出来るのである。
 「しあわせは自分の心がきめる」とは相田みつを氏の言葉である。

一番幸せな時間を思い出す曲 ハイドンのトランペット協奏曲

 昨日、件のクラシックFMを聞いているときに不意に耳に飛び込んで、急に心を躍らされたのがこのハイドン作曲のトランペット協奏曲の第3楽章である。

 ラジオの中ではよく流れているので、決してこのとき初めて聴いた曲ではないのだが、昨日の夜は心に不意打ちを食らってしまった。
改めて聞いてみてこんなにネアカでワクワクする曲は他にないように思う。特に弾むようなリズムがとても気持ちいい。

 そもそもトランペットというのは、どんな大きなオーケストラの中あっても音が沈まないので、独奏楽器としての適正としては最たるものであり、協奏曲に向いていそうなものだが、実はこのハイドンのものとフンメルという作曲家以外のものは有名なものは少ない。

 何故か理由を考えてみたところ、この曲が作曲されたときのトランペットは今のものより構造が単純で、その分音が柔らかくオーケーストラに相対しても音が馴染みやすいのである。

 それに対してバルブを追加して改良された現代のトランペットは、出せる音域が広がりそれ故に表現の幅が広がったのはいいが、音質が若干硬質となり、オーケストラの音の厚みの中に馴染みにくくなった。それ故、独奏楽器としては理想的になったが、その反面「協奏」を求められる協奏曲の独奏楽器としては扱いにくくなってしまったということであろうに思う。

 そういった意味で、ナチュラルな音が自然に鳴るハイドンの時代のトランペット協奏曲は人の心に自然に響くように感じるのだ。

 まあこういった理屈はともかくとして、この曲は本当に気持ちがよく幸せになれる気がする。いや正確に言うと、幸せを感じていた時期の心の状態を呼び起こしてくれ心の中にその時期の感情を再現してくれたのである。ああ、こんな幸せを感じていた時代もあったのだと自分の心に驚かされる。

 過去形として思い出してしまうこと自体いかにも残念だが、未来に対しても自信を与えてもらい勇気がもてたような気がする。

 明日からの通勤もスキップしたいような気分かもしれない。また幸せな時間がやってくる予感がする、そんな曲である。