この春節の中国の爆竹や花火を聞いていて思い出したのがこの曲、チャイコフスキー作曲の「序曲1812年」である。
この曲、オペラなどの序曲とは違い、音楽会用序曲として単独作曲された曲である。
何故この曲を思い出したかというと、この曲は楽譜上に大砲「canon]という指定があり、五発の大砲を撃つように指定されて、演奏中に大音量とともに打ち放されるのである。
もちろん、いつも大砲を用意できるわけではないので、コンサートでは大太鼓で代用する場合が多いのだが実際に大砲を用意して演奏される場合もある。(もちろん空砲であるが)
代用の大太鼓にしろ、とにかく「大砲」ということで演奏するのだからとにかく音量がでかい。コンサートホールで大太鼓が代用されるのは道具の問題ではなく音量の問題とさえ思われるくらい大音量で演奏され、耳が壊れるくらいなので、この中国の春節の花火の状況とほぼ一致するのでこの曲を思い出してしまった。
生で聴くのでさえ苦労するのだから、この曲のレコーディングも結構苦労するらしい。オーケストラは室内で演奏しても大砲は屋外というのが通例のようだ。
また聴く側もデジタルの時代になり音が鮮明に録音できるようになったのはいいのだが、再生時は音量を大きくしすぎてスピーカーや耳を壊さないように注意して下さいと注意書きが書かれるほどやはりこの曲の大砲の音量の大きさは飛びぬけているらしい
ちなみに1812年というのはナポレオン率いるフランス軍がロシアに侵攻したいわゆる「モスクワ遠征」の年であり、ロシア軍が力を合わせて勝利したというロシアにとっては愛国主義の象徴的な年である。
その意味をこめてこの表題がつけられたというが、作曲したチャイコフスキーは国家から愛国を強要されたことが面白くなかったのか、この曲そのものはあまり気に入っていないらしいということが伝わっている。
それにしてもロシアにしろ、中国にしろ何故社会主義の国の人はこんな大音量が好きなのだろうか?不思議な共通点である。