2020年の東京オリンピックのエンブレム問題が一昨日ようやく終結を見た。
デザイナーの佐野研二郎氏については、現在世間で十分叩かれていると思うので私から改めて言うことはないが、私は元々あの選ばれたデザインそのものが躍動感や人間味にかけ、オリンピックとパラリンピックのエンブレムに相応しくないと感じていた。
過去の歴代オリンピックマークに比べても非常に貧相であり、かつ権威主義的な威圧の意識がそこに見えたからである
まあ実際の疑惑の白黒はともかく、今回白紙撤回されることになって今は世間同様にほっと胸をなでおろしているのが正直なところである。
で、改めて新しいエンブレムを探すことになったのだが、実は世間の多くの人が発言しているように私も招致ロゴが活用できないかと感じている人の一人である。
もちろん改めて公募することに異論はないのだが、あの招致ロゴはなかなか秀逸な作品だと感じており、招致だけで終わらせ今後活用できないのは非常に勿体ないと感じる。
かの招致ロゴはサクラの花がちりばめられ、着物の柄のように色遣いも艶やかで非常に華があるうえに、江戸的な雰囲気を十分携えており、何よりあの流行語ともなった日本的な「おもてなし」の心を感じる人の心を惹きつけるデザインだと思う。
見るものの心を和ませ、非常に清々しさを与えてくれるのである。
こんなデザインはオリンピックに限らず、過去にあそこまで惹きつけられるものにはなかなか出会ったことがなく、このまま過去の遺産にしてしまうのは勿体ないのである。
そして、このロゴを見て思い出したのは日本のアーティストSMAPが歌って大ヒットした「世界に一つだけの花」の歌である。
かの曲は一アーティストのヒット曲に留まらず、2003年の発表から10年以上経っても老若男女問わず幅広い世代で愛されており、個人の趣味の多様化によって国民の大衆曲がなくなったいわれる現代においても稀有な存在である。
まあ歌詞が重要な意味を持つので、言葉の壁もあって国際的展開はそれほど強くないが、外国人がこの歌を楽しそうに歌っている姿もYOUTUBE等にアップされており、文化の壁を越えて外国人の心をもとらえている印象がある。
で、この歌で歌われる「ナンバー1にならくてもいい、もともと特別なオンリー1」という歌詞は、一人一人が自分を輝かせるために一生賢明に努力するイメージを彷彿させ、これがオリンピックに挑戦したり参加したりする人の姿と重なる印象がある。
もちろんオリンピックは世界ナンバー1を目指す大会ではあるが、金メダルを取れなかった参加選手が皆がっかりしているわけではないのであり、自己ベストを尽くして十分満足して国に帰る選手も大勢いる。
そういった姿がこの「世界に一つだけの花」の歌詞に表現されているような気がしており、そんな「オンリー1」が集まるオリンピック・パラリンピックゲームを象徴するロゴとして、やはりあの招致ロゴは秀逸であるような気がするのである。
そう、つまりあの花は東京のおもてなしの心を体現するとともに世界の人々が集う時間空間を表す意味も含まれているのであり、その意味で非常に秀逸なデザインなのである。
今回かの招致ロゴを眺めながら「世界に一つだけの花」を改めて聴いて5年後の東京オリンピックに思いを馳せてみたが、非常に心を熱くさせるものがあり不覚にも涙をこぼしてしまった。
今日某国では過去の戦争の歴史を記念して、軍事パレードのようなキナ臭いイベントが行われているようだが、日本としてはその向うを張って力で対抗するのでははなく、かの招致ロゴのようなもっと懐の深い大人の度量の構え方をして欲しく、それが日本として誇りある態度だという気がする。
是非とも世界中から「世界に一つだけの花」を集め大きな花束を作る、そんなオリンピック・パラリンピックにして欲しく、それが東京の世界に誇れるオリンピックホスト都市としての構え方のような気がしており、それ故に是非あの招致ロゴをエンブレムとして使って欲しいという気がするのである。
報道によれば、IOCの規定で「エンブレムは招致ロゴに取って代わるもの」などと定めているらしく、続けて使えないというのがオリンピック組織委の見解らしいが、おそらく本番の商業圏を守るための規定であり、デザインが使えるかどうかは問題の本質じゃない気がする。
故にスポンサーに対する商業権の保護さえ明確に守れるような対処さえすれば、私はあの招致ロゴをエンブレムとして使用することは可能であると感じており、あのロゴの活用なら国民の大半が納得できる結論になるという気がする。
つまり心意気と意味を伝えてIOCを説得すれば覆せる可能性がある気がしており、そういった行動力と熱さを組織委には求めたい。
オリンピックの開会式で、あの花のエンブレムや花にちなんだ演出・装飾をバックに「世界に一つだけの花」の大合唱が世界中に届き世界の人が一緒に歌ってくれる姿を想像すればするほど、胸が熱くなるものがあり、オリピックのホストとして誇りが持てそうだなという気持ちになれるのである。