今日は立春である。
二十四節季で立春は春が始まる日とされており黄経(天空上の太陽の通り道 )315°を通過する時刻が含まれる日が立春とされ、その前日が節分とされる。
ただ、日本の年中行事を説明するサイトの中には立春を旧暦の節目だと間違った記述をしているものもたまに見かける。
そもそも二十四節季は暦ではない。
二十四節季はあくまでも黄経上の太陽の位置によって季節を分類しているだけの季節の分類であり、そこに「暦」の要素はなく、立春を旧暦と呼んでしまうのは大いなる間違いなのである。
また古い時代では立春が1年の区切りとされていた文化があったような記述も見かけたが、これも暦ではない二十四節季を基準とする意味においてどうも眉唾である。
もちろん春を一年のスタートとして考える考え方はどの世界にもあるのだが、暦ではない立春が1年の暦のスタートとしている文化は実は見当たらない。
例えばキリスト系文化などでは立春という概念はなく、春分が春の基準となっている。
ただ、立春を1年の区切りとする根拠として「立春正月」という言葉の存在を推す人もいるようだ。
立春が正月のように1年の区切りとして扱われているといった理解をされているようだが、これは個人的にはどうも違うような気がする。
あくまでこれは私個人の解釈だが「立春正月」という言葉は正月という言葉の接頭語に春が始まるという意味での「立春」という言葉が付いているだけの印象で、決してこの立春は二十四節季の意味での立春ではないのではないかと考える。
あるいはたまたま立春のタイミングに旧正月の春節(正月)が重なった時期に、こういった言葉が生まれ使われたということも推測される。
節分の豆まきの習慣も平安時代に始まった大晦日の行事が源流とされるが、もともと立春にあった行事とごちゃまぜになり室町時代にいつの間にか春分の行事になってしまったようである。
そもそも太陰太陽暦で定められる旧暦上で言えば立春は毎年日付が大幅に変化するのであり、旧暦上の12月中旬から1月中旬まで幅で毎年移動をしているため、12月のタイミングで迎える立春がある中で、立春を正月とは捉えにくいのではと察する。
このように立春を正月として扱うことは、その言葉や文化的継承性の痕跡からいって考えにくいのではないかと私は感じる。
農業を基盤にして歴史を経てきた日本が春の始まりとされる立春を一つの契機として節分などの行事で邪気を払う習慣は十分理解できるが、正月同様に1年の区切りとするのは少し違和感はある。
ただ、今年に限って言えば明日の5日が旧暦の元宵節、つまり春節を過ぎて初めの満月に当たる日なので1年の日常がスタートする感は十分あるタイミングとなっていて星占い的にも意味のあるタイミングとなっているようだ。
はてさて本当に幸運はやって来るのか?