サービス業に「つくり笑顔」は必要か?

 先日成田空港に降り立たったときに、おなかが減っていたのと日本円が手元になかったので、某コンビニエンスストアに立ち寄った。
 で、現金を引き出しつつ食べものと飲み物を少々調達したのだが、その際のレジのお兄さんの接客態度が非常に気になった。
 気になったというのは、悪いから気になったのではなく、むしろ丁寧すぎることに気持ち悪さを感じ、気になったのである。
 普段、上海のコンビニの接客などに接しているとぶっきらぼうな態度の店員に出くわすことも少なくないが、まあ愛想はなくても粗雑にされるのでなければ、それほど気にならず、かなりそんな上海の接客にも慣れてきている。

 そんな環境からいきなり、日本のコンビニのバカっ丁寧な対応に接してしまうと、やはりちょっと気持ち悪いのである。
 しかも、マニュアルをなぞらえた言葉の使いまわしで、無理やり作ったような不自然な笑顔を投げかけられても、どうにもこちらとしては気持ち悪かった。

 おそらく接客テストのようなテストを実施すれば、彼は満点の成績となってしまうのかもしれないが、あのような接客が客にとって本当に好印象なのかは甚だ疑問である。

 そんなことを考えているさなか、あるところで接客サービスに関する指導を行っている人の話を聞く機会があったが、「笑顔の作り方」とか「美しい歩き方」などが高級サービスには必要であるかのような主旨の話を聞いて私は考え込んでしまった。

 本当にサービスには「つくり笑顔」が必要なのだろうか?

 確かに、仏頂面など私的事情を仕事に持ち込まれて接客されたのではたまらないが、「作り笑顔のような「お面の笑顔」を見せられても、客としてはやはり嬉しいどころかやはり不快なのではないかと思うのだ。
 「つくり笑顔」というのは、よほど上手な人ではない限り、ふつうに見ればすぐに見分けられるのである。

 まあ「つくり笑顔」のできる人材を育てられれば、マナー教育ビジネスとしては成功なのかもしれないし、依頼した側も満足を得るのかもしれないが、それは本当にお客の満足度につながるのかはやはり疑問である。
 「つくり笑顔」のつくり方より、お客に対する心的態度を学べば、それだけで好感をもたれ、自然と笑顔のコミュニケーションがとれるのではないかという気がする。
 先日のあの成田のコンビニの店員は、相当心にストレスを抱えて仕事をしているのではないかと心配になる「つくり笑顔」であり、何かサービスの概念が間違っているのではないかという気がするのである。



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