上海にいると、日本人と中国人ではお客に対しての安心感の与え方が違うということに気が付く。
まあ旅行会社のパック料金などを見ればわかる通り、日本人がお客様に対して安心感を与える方法というのは支払い金額の上限を示してあげるというものだ。
例えば日本料理屋の食べ飲み放題というのはその典型で、200元という上限が決まっていれば、それが割安であろうと無かろうと余分な支出の心配がないため安心して飲み食いできるのである。
日本の携帯電話の通信量課金のパックプランもその一例と言うことができ、どんなに通信しても上限が決まっているというのは日本人にとって非常に安心する材料であり単純な従量制課金に比べ好まれる傾向がある。
恐らくこれは日本人が長らく月給労働体制を続けてきたサラ―リーマン的経済サイクルの知恵というか産物であって、毎月の予算枠をいかに超えずに過ごすというかという発想が染みついているものだと考えられる。
それ故に予想外の請求が来る可能性のある従量制的課金体系を嫌い、割高になる可能性があったとしても毎月の上限額の決まっている固定額的支払い方法を好む。
しかし、中国ではその発想の根本がまず異なっている。
中国では日本のように上限制ではなく、使った分だけしかお金を払いたくないという意識がまず根底にある。
故に日本のように得しているのか損しているのだか分からないような固定額サービスはあまり好まれず、純粋な従量制課金のほうが好まれる傾向にある。
これは中国人たちの生活の中で、もらう給料にしても受けるサービスにしても未来が保障されている訳ではなく、自らの生活についても1年後や5年後がどういう状態になっているのかが想像できないという状況が根本にあり、未来何年間分を均して得かどうかということではなく、今損するか得するかが大事で、つまりは使った分しか払いたくないという考え方に繋がる。
つまり未来を信用していないのだ。
そのため中国人のお客に対して物を売るときのサービスの考え方は、日本人のそれと比べ微妙に異なる面がある。
例えば旅行用の車両手配などを行なう場合、誠意的に動こうとする中国人は料金体系を細かく示し、変動要素のある駐車料金や高速道路などは客側に直接負担させるというスタンスを取る。
これは日本人からすると総額予算が見えず不安を抱えたままの出発となるが、中国人の側からすると、車の料金以外の部分で不正に儲けたり余分な利益を得ていませんよと誠意を示すスタンスのつもりなのである。
中国では不当に間を抜いて儲けるという“悪意”のスタンスが一方に存在する為、そうではなく明朗会計ですよというのが、彼らの誠意なのだろう。
まあ誠意という意味では理解できなくないとは言えないが、やはり日本人にとっては総額が幾らかになるかがわからないと安心できず、そこに違和感が生じることがままある。
こういった日本人と中国人の安心感、誠意感の意識の違いは、実は中国市場を考えたり逆に彼らに日本人向けサービス業的考え方を説明するときに、重要なポイントになってくる。
それが分からず日本的な業務方式にこだわってしまうと昨日撤退を表明した楽天のようにやはりうまく行かないことになる。
先日書いた餃子の例を一つとってもわかるように、お互い同じように餃子を食べているように見えても頭の中は実は全く違う意識の考え方であるのが文化の違いということなのである。