今先程、男子マラソンを見終えた。優勝したのはケニアのワンジル選手。この酷暑の北京の中、フラットなコースが幸いしてかオリンピックレコードでの優勝である。
日本勢は残念ながら前半で大きく出遅れてしまい。メダルはおろか入賞県内にさえなかなか食い込むとは出来なかった。 かつてマラソン王国だった日本は一昔前の話になってしまった。まあ一人ひとりの選手は手を抜いているわけではないからそのことは責めるべくもない。
今回マラソンの映像を見ていて非常に悲しくと思ったことがある。それは観客の声援がほとんど聞こえないことである、沿道にはそれなりに人数が出向いていたように思うが、声援としてはかなり寂しい。しかもゴールの鳥の巣の競技場に入ってきた優勝選手や後続の選手達に対する声援も驚くほど少なかった。
確かに中国人選手は活躍してないし、TOPを走っているのは全く馴染みのないアフリカの黒人選手かもしれない。
しかし、早朝とはいえ暑い北京の市内をフルマラソンを走るということは、そういう国籍云々を超えた人間として凄いことであり、観客からそういう偉業を成し遂げた選手への賛美の歓声がほとんど聞こえなかったのはとても信じられない。
かつてマラソンの優勝者というのはオリンピックの一番の花形で、42.195kmを真っ先に駆け抜けてきた英雄であった。ゴールの瞬間は国籍を問わず暖かく競技場で迎えられたものであった。それが今回この有り様である。
自国の聖火ランナーや自国選手の試合であれだけうるさいほど聞こえた「加油!」コールはどこに行ってしまったのであろうか?名も知らない英雄にも「加油!」コールをかけてもいいのではないか?
競技場に集まった観客は閉会式の演出が目当てなのかも知れないが、それは本末転倒である。オリンピックでは競技者が賛美されるべきであり、開閉会式の演出などとというものはオリンピック全体から見ればほんのおまけでしかない。それを競技者への賛美を忘れてイベントに夢中になってしまうなんて集まった観客がいかにオリンピックに対して間違った理解をしているかがよくわかる。
またマラソンのゴール後に競技場に、今大会のテーマ曲として使用されている『我和ニイ(you and me)』という曲が流れていた。
私は今回の中国を取り巻く世界的環境を考えれば、この曲はあまりにも上っ面すぎる内容で、とても好きになれないというか、曲調も白々しすぎて非常に気持ち悪いのだが、もしこの曲のメッセージが本当に理解されるのであれば、マラソンの英雄に対して賛美の声援があるべきである。しかし実際のこの声援が少ない状況を見れば、いかに上っ面の精神であったかがわかる。
オリンピックは開催国のためにあるわけではなく、競技者のために行なうものである。競技者を讃えるというオリンピック精神があったからこそ、この北京オリンピックは開催が守られたのであって、その精神がなかったら、もしかしてこのオリンピックはボイコットその他の状況で開催が潰れていたかもしれない状況を中国は忘れるべきではないと思う。