音楽への尊敬不足の音楽番組

 昨日、こちらの音楽チャンネルにダイヤルを合わせたら、オーケストラの演奏会を放送していた。指揮者がエッシェンバッハだというのはすぐ分かったが、オケの名前は分からなかった。恐らく彼が良く振るパリ管あたりだと思うが最近の動向をチェックしたわけではないので詳しいことはわからない。
 そのとき、演奏されていたのはマーラーの巨人で既に4楽章に差し掛かっていた。これも知っている曲だから分かったが途中からだと知らない人は曲名を知る術はない。
まあこのあたあたりは日本のNHKも同じで、曲の途中で解説や説明がテロップで流れてもうざったいだけで、とても親切とはいえず流れていないほうがむしろありがたい。
 NHKの放送だと、演奏が終わったあと改めて曲名、演奏者が表示されるので、こちらも同じだろうと思い、曲を聞きながらフィナーレを待つことにした。
 また、ご存知の方もいると思うがマーラーの「巨人」という曲はフィナーレで金管楽器の人々が立ち上がって演奏して、曲に華を添える「スタンドプレー」がある。
いわゆる目立つことをするという意味の「スタンドプレー」もここから来ている。
音楽の場合はそこを一つの演出としてみているので、演奏を聞く側にとっても生で音楽を聞く一つの醍醐味としてその瞬間を待ち構えている。
 CDで聞くと分からないがテレビ放送ならその場面が写るのでその瞬間を待ちながら音楽を聴いていた。

ところがである!

 そのスタンドプレーがはじまった瞬間、なんと、放送局のほうがその瞬間から番組終了のテロップを流し始めたのである。それも画面の下のほうに遠慮して流れて行くと言ったレベルのものではなく、映画のエンドロールさながらに画面の中央を下から上へ製作者や製作スタッフの名前がどんどん流れははじめた。これには驚いた。いくらフィナーレとは言え、音楽はまだ終わってない。番組の都合なのかもしれないがこれは一種の冒涜に近い行為だ。
 そして曲名や演奏者の説明もなくスタッフの紹介だけで曲の終了とともにテロップも終わり、拍手もろくに流れぬまま番組が終了してしまった。
これには全くあきれた。全くあきれた番組構成である。

 音楽放送の演奏中に字幕を重ねるのはもってのほかで、演奏後に拍手とともに迎えられる演奏家や指揮者の顔を流さないのは演奏家に対して失礼な行為である。また音楽を聴く楽しみ方にの一つに、余韻を楽しむというものもあるが、この放送の仕方では余韻もへったくれもない。音楽にきちんと耳を傾けているいれば、音楽というのは曲も大事だが演奏家の存在を忘れてはならないということに気がつくはずだ。少なくともこの放送を見ている限り、演奏家は単なる演奏をする労働者としか見ていないことが良く分かる。
 これはこの放送の担当者がいかに音楽を知らない、聞いてないということの証明である。
 

 こんな音楽への尊敬の足りない担当者が作った音楽番組を、いくら放送したところでこの国に音楽のわかる人間が増えるはずもなく、海外ブランド品を盲目的に喜ぶ人たちのように、音楽も宝石や車のように単なる金持ちのステイタスパーツとしか扱わない人間が増えるだけだ。
音楽を愛する人間としてとても悲しい放送だった。



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