もうすぐ参院選の選挙期間に入ってしまうので政治に関連する話は今のうちに書いてしまおうかと思うが、先日、鳩山由紀夫元首相が「尖閣諸島は中国に盗んだと思われた仕方ない」とテレビインタビューで発言して物議を醸している。
まあ日本政府が主張する立場から言えば有り得ない発言であり、日本国内からは国賊などと強い批判を浴びている。
私なんかもこのニュースを聞いた当初は国賊とまでは言わないが、もう政界のトップからは引退した身なのに元首相として配慮を欠いた発言だなという印象は持っていた。
ただ私自身は鳩山さんを国賊と呼んでしまうほど国家主義の立場は取らないし、吹き上がっている人々ほどには、この問題に対して嫌悪感を感じているわけではない。
もちろん日本で生まれた人間として中国寄りの発言をしたいわけではないが、どちらかというとやたら国の面子にこだわって国民を同じ意識で統制し意にそぐわない人を非難排除しようとする今の日本の風潮のほうが鳩山さんの発言よりも受け入れがたいのである。
まあこの問題は相手が一筋縄ではいかないこの中国という国家であるが故に、迂闊な発言は相手にうまく利用されかねないという面もあるものの、個人的には中国の国家主義的行動に対して、日本も対抗心を出して国家主義を振りかざしても何も始まらないという気がしており、そう言った意味で彼の発言は国家の面子に縛られない貴重な言葉だという気がしている。
日本は中国ような国家主義的なものを振り回さなくなったからこそ、自分は日本人として誇りを感じている面もあり、できれば同じ土俵に上がってほしくないのだ。
そこで先日のボイジャー1号の話である。
宇宙という広さから考えると、尖閣という島はあまりにもちっぽけな存在であり、あの小さな島を巡って対立し時間をかけることに非常に馬鹿馬鹿しさを感じてくる。
しかも日中二国間にとってもあの島がもたらす実際の直接的な経済的価値は、多少の石油資源はあると言われるものの、国全体から見れば塵のようなものである。
故に両国のほとんどの国民にとっても実際はあの島がどちらの国の所有であるかなどということは各自の生活には全く関係ない事となっている。
寧ろ現在対立の根源となっているのは、その経済的価値や領土的利益と言うよりは、譲った譲らないの国家的面子の問題で、譲歩した場合の国家間の力関係への影響を懸念し、それ故に後にひけなくなっていているだけのように見える。
そんな経済価値の問題ではなくお互いの国家面子の対立だからこそ、尖閣の問題はなかなか解決できないのだという気がする。
ここがロシアとの北方領土問題との大きな違いである。
そこで宇宙人とも言われる鳩山さんの今回の発言である。
確かに日中政府間の現在の関係から言えば、彼の発言はKYとか常識外れな面があるのだが、現在の政治の常識にだけ囚われて行動していたのでは今後も日中関係が解決できないのは自明の理であり、そんな中での宇宙的とも言われる彼の常識外れの行動はひょっとすると新しい流れを生む可能性はあるのである。
何がどう新らしい流れを生んでくれるのかは全く分からないが、悪い方に転がりそうであれば、引退した人間の発言として捨て置くことも出来るし、好影響があれば利用すればいいのであって、日本側は感情的になって吹き上がらず冷静に静観していても良いのではないかと言う気がする。
まあ何か新しい流れを生み出すかも知れないなどという期待は全く根拠のない期待ではあるが、根拠の無さで言えば道州制や都構想を振りかざす政治変革の期待や、アベノミクスと言う言葉に対する経済発展への期待と同等の根拠の無さであり、私としては彼ら同様に自分勝手な良いイメージを描いて今回の状況の推移を静観したいという気がしている。
前回のブログで書いたように国家の対立とは裏腹に国民の個人レベルではどんどん国際結婚が増えボーダレスとなっており、人間の血の関係ではお互いに混ざり始めている。
そんな中で国家と言う枠組みの面子のみを振りかざすことに意味があるのかどうか、そこを考えるのに彼の発言はいいきっかけになったと私は思っている。