牛乳はコロナ禍だから余ったのか?

日本の岸田首相が今年のコロナ禍で牛乳の消費量が減って牛乳が余っているために、皆さんで牛乳を一杯ずつ飲みましょうというような呼びかけをしたことがニュースになっていた。

 まあ私はほぼ毎日カフェオレを飲んでおり牛乳はそれなりに消費してはいるが、中国での話なので、ちょっと協力できそうにはないなという思いでこのニュースを聞いていた。

ところで、果たして牛乳の消費量は本当に減ったのだろうかとこのニュースを聞いて感じた。

何故ならばたとえコロナ禍で巣ごもり状況が増えたとはいえ日本の人口が大幅に減った訳でないので消費量が急に減ったというのはとても考えにくいのである。
つまり日本全体の牛乳の消費量というのは実はそんなに変わってないのではないかというのが私の認識である。

ではなぜ牛乳がそんなに余っているのか?

確かにコロナの影響により外食産業などでの利用減少により牛乳消費量が減ったということはあり得る話ではある。
しかしやはり日本全体の消費量が減ったという結論はやはり変だなと感じる。

おそらくコロナ禍において牛乳に関して減っているのは加工業者や外食産業へ生産者が納入する量の部分であり、それにより牛乳余りが生じているのではないかと考える。

しかし、納入量が減っていることの要因として日本の牛乳の消費総量が減っているとはいえない気がするのである。
つまり人口が変わっているわけではないので、日本全体の消費量は大幅には変動しないという前提に立てば、減ったのは消費量ではなく、加工業者や外食産業への納入であり、それにより牛乳が余っているという現象になってるのではないか私はそう考える。

どういうことかと言えば、そもそも加工産業や外食産業などでは食品ロスを産みながら牛乳を発注していたと考えられ、それが巣籠りシフトで販売ルートが変わり、食品ロスの部分などが余剰生産分として浮かび上がってしまったのではないかと推測している。
つまり今問題になっている余剰生産分は、そももそも過剰生産・納入されていた余剰部分であり、それがこのコロナ禍による流通シフトによって生産者側の現象として見えてきたというのが実態ではないかと考えるのである。
即ち、これまでは市場経済の中においてロス廃棄分を含めた過剰需要が生産側に求められていて、生産者はそれに応じて生産して納入していただけで、今回余剰となっている部分はもともと消費者には完全には届けられておらず 食品ロスとして廃棄されていた部分として考えるのが妥当ではないのだろうかと考える。
そう考えると今回の牛乳が余剰分として廃棄しなきゃならないというのは確かにもったいないことであるが,もともと需要に対して過剰に生産されていたものではないかと考えられ、形として食品ロスとして廃棄するか生産余剰として廃棄するかというだけの話であって、いずれにしても廃棄される運命にあった部分であるということになるのである。

つまり今回コロナ禍でそういった食品の余剰生産分が生産者側にも直接見えてきたことになる。
よって今後も食品ロスは減らすべきであると考えると、生産者側も過剰生産をやめるべきではないか、そういった認識にたどり着く。
牛乳も米も同様に余っていることが報じられており、つまり実際はそもそも食べられていなかった部分であるということが推測される。
もしこれがこのまま納入されないものということになるのであれば 生産者側はそもそも消費されないものだという認識のもと、今後生産量を決めていくべきである。
もしどうしても消費して頂きたいというのであれば消費の仕方そのものや輸出などの納入先などの多角化を生産者側で考える必要がある。

そういう問題だと私は認識している
もちろん食料の問題は、安全保障上の問題も絡み、安易に減らしてよいものではないが、大量に廃棄されるほどの生産はやはり考えるべきと感じている。





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