先週の11日の日曜日にフランス国内で、風刺画の週刊誌「シャルリー・エブド」襲撃事件に抗議するデモが行われ、なんと370万人もの人が参加したと報道されている。
しかもこのデモには一般市民だけではイギリス・フランス・ドイツ・スペイン・イスラエルの首相が参加し、さらにパレスチナのアッバス議長までが日常のイスラエルとの対立の垣根を越えて同時に参加したという。
それだけ、かの事件はフランス一国のみならず、ヨーロッパの国々にとって「表現の自由の危機」という、人類普遍的な敵が現れたことを意味するデモ活動だったことが分かる。
一つのテーマにあれだけ各国の首脳が集まることは凄い事だし、370万人という参加者の数も、前例もないほどの巨大なものであり、事件が如何に衝撃的な印象を与えたかを物語っている。
そんな報道が地球の裏から伝わる中、日本のラジオ報道によるとアメリカのオバマ大統領は参加できなかったようで、事後に合衆国の国務長官が今回のデモ不参加は誤りの判断だったと述べていると伝わっている。
また日本の某首相も、やはり参加しておらず土曜日には父親と祖父の墓参りをしており、外相の派遣すら行わず、アメリカ同様に現地の大使を送っただけの対応だったようだ。
どうも日曜日に投開票が行われていた佐賀知事選挙の行方が気になっていたのか、身内の供養を差し置いてまで行くほどの事件ではないと判断したのかどうか分からないが、日本政府として事件を非難する公式コメントと見舞状だけが出され、表面上の「お付き合い程度」の行動しか起さなかったのである。
しかしである。
あれだけヨーロッパの首脳が行動を起す事件があったのにも関わらず、閣議決定による憲法の解釈変更などという強引な手段で集団的自衛権を容認させた首相が、閣僚すら派遣しなかったというのは、どうもやることがチグハグだという気がする。
あの事件は、まさに欧州の首脳たちが危機を感じて立ちあがった事件であり、集団的自衛権により積極的平和主義の正当性を標榜する首相なら、この平和の危機の行動にももっとアクションを起こすべきではなかったかと思う。
欧州の首脳たちや市民と一緒に肩を組み「私たちは一緒に戦う、これこそ集団的自衛権の理念だ」と声高に叫べば、少しは国民の理解を得られたのではないかという気がするのである。
私は基本的には個別的自衛権ではない集団的自衛権の容認には反対の意見だが、ああいったデモの場で理念の神髄を見せてくれたなら、ちょっとは気持ちが傾いたかも知れないなと思うのである。
まあ首相に限らず、日本の与野党問わず誰一人として、あのデモに参加したという情報は入って来ていないし、マスコミすらそのことを質問した様子が無いというのは、随分とヨーロッパと日本の認識の温度差を感じざるを得ない。
というか、どうも日本の政治家たちは、表現の自由より特定秘密保護法に象徴されるように表現の自由を制限する意識のほうが強いのではないかと勘繰らざるを得ないのが、今回の対応だという気がするのである。