代議士を選ぶ間接民主主義の限界

 昨日、日本の大阪市と大阪府の合併を巡るいわゆる都構想の住民投票で、反対が賛成を上回り、議案が否決された。
 まあ、この政策そのものは私はどちらかといえば反対の立場で、行政システムを変えなくても改革は可能だと言う考え方であり、かの橋下市長のような敵を作って叩いていくという劇場型行政運営には懐疑的な見方を持っていたので、今回の結果には一応安堵している。

 あのような大きな改革は、旧制度の中にいる層を懐柔しつつ変化を促す政策をとらないと、単に敵ばかり増やしてしまう結果になるので、既得権益層の抵抗でまずうまくいかないというのが私の持論である。
 分かりやすい二元論に持っていく彼の姿は、派手好きな関西系の市民にはそれなりにウケていたのかもしれないが、実際の社会はそんなに単純に片付くものではないのであり、そういった二元論的手法が結局行き詰ったのが今回の結果だと思っている。

 ただ一方で、今回一つの政策に対して住民の直接投票が行われ、その結果によって意思決定が行われたのは大変意義深い結果だと思っている。
 
 現在、日本の国政では先の選挙で勝った政権与党が、国民の意思を反映しているとは思えない安全保障政策を遂行しようとしている現状がある。
 確かに先の選挙では、現在の与党が結果的に過半数議席を獲得しているが、得票数の上では過半数に達しておらず、しかも有権者数全体から見れば25%程度しか得ていない政党が圧倒的議席を持つ結果となっている。

 しかも、恐らくそういった投票行動の理由の中身は、経済政策への期待が強い面が高いと察せられ、安保政策の推進で票を得たのではないというのが私の印象である。
 まあ、これは私のあくまで私見であるため実際の中身がどうなっているかはわからないが、一人の候補者の全ての政策にOKを出してはいなくても、有権者にとって最優先課題で合致すれば投票してしまうことになるのが今の選挙制度である。

 つまり、現在の代議制間接民主主義の現状では、政策の選択ではなく「人」を選択する選挙しか行われていないわけで、多くの検討課題分野について、個別の政策判断ではなくそれを決定する人、あるいは政党を選ぶ総合的判断だけの選挙行動になってしまっているのである。

 それゆえに、例えば前回の選挙のように「民主党候補者」というレッテルだけで、投票行動が判断されてしまえば、どんなに個別案件で素晴らしいアイデアや見識があったとしても、立候補者個人が駄目な人だとして否定されてきたのが実態である。

 或いは現在の政権のように国民は「アベノミクス」という経済政策についてだけ期待をして投票していたとしても、別の軸の検討課題である安全保障という問題にまで下駄を預ける結果となっている。

 こういった現状を考えると、現在のような間接民主主義というのは制度的限界に来ているのではないかと感じる面がある。 

 現代では近代の間接代議士制の生まれた時代に比べ、遥かに容易に国民の意見集約が可能であり、情報伝達力や発信力も高いため、国民自身が直接意思表明をしやすい環境も整っている。

 故にこういった時代において、間接民主主義にだけよって政治が行われるのはやはり時代にそぐわなくなっているのかも知れないと感じる面があるのである。

 そういった意味で昨日行われた大阪での住民投票は非常に意味が大きく、住民が個別政策に直接参加して判断したというのは素晴らしい結果だという気がするのである。

 今後、国政においてもやはり国民の直接参加というのは必要だと感じており、有権者4分の1しかの得票を得ていない政党の判断によって全国民の命が危険にさらされるような政策の実行は阻止されるべきであり、個別の政策に対する国民の直接の意志判断がもっと直接的に国政に反映されるべきだという気がするのである。





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