神様の存在を感じる理由。

 昔「あなたは神を信じますか?」という流行語になったセリフがあった。
 
 もちろん元々宗教勧誘を目的とした言葉であり、布教者にとっては真剣な行動であり言葉であるが、世間ではやや滑稽気味にこの言葉が使われた。

 まあ実際に神を信じるかどうかは個人の自由だが、これらの宗教的世界観というのは、多くは現世の苦しみや死の恐怖から逃れるためであり、死生観などを示して人の心を包摂する存在としては信じられている。

ただ、科学的という立場からは宗教全体が概ね根拠のないものとして整理されている。
つまり科学的な立場は、基本として神を信じない立場となるのかもしれない。

私も基本的には宗教関係者の言う神は信じていないが、最近そう整理してしまうことに疑問を感じる面もないわけではなくなっている。

 どういうことかと言えば、宇宙の中の人間の存在をとらえたとき、人間を創造したのは何者かという疑問に対して、宗教が語る世界観というものを頭ごなしに非科学的だと決めつけるのもまた違うのではないかという気もしないではなくなったのである。

人間の体は細胞、さらにはDNAで構成されているのは現代科学で解明されているのだが、その生命というのは太古の昔の単純細胞生物の時代から、分化や進化を繰り返して今に至っている。

簡単に言えば、例えば自分と自分の親達は細胞の分化によって繋がっているのであり、地球上で個体から個体へと命と言われる現象をつないでおり、太古の時代まで遡れば単細胞などの原始生物時代の細胞が今の自分の体に受け継がれているということになる。

 細胞が受け継がれているということになれば、ひょっとすると自分のDNAの中にはそういった進化の歴史というか、細胞の歴史の記憶が残されている可能性もあるかもしれないのである。

さらにその細胞でさえ、生命となる前は宇宙の単なる物質であって、宇宙の一部であったはずである。
そう考えると、DNAの記録が今その細胞を使って生きている人間に対して、太古の細胞や物質だった時代の記録が感覚的に呼び起こさせる面があっても不思議ではない気がする。

それを神として捉えれば、神が我々を創造したなどと捉える感覚に繋がるかもしれない面もあるのかなと思える。

 まあ現実的には今の人間が感覚的に太古に遡った細胞の記憶を知ることは不可能であろうとは思われるが、進化しつつ受け継がれてきたことは間違いないのであり、それを感覚的に神と言ってしまうことはあり得るのではないのかと感じる。
 この意味においては、ひょっとすると神が命を創造したと考えるのはあながち間違いとも言えない気がするのである。
 
あなたは神を信じますか?





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