2016年のオリンピック開催都市決定まであと100日を切ったそうである。
最初に石原都知事がこのアイデアを掲げたときに、単なるパフォーマンスのアドバルーンだと皆が笑っていた。
しかし彼は最初っから本気であったようで、国内の他の候補地との争いを勝ち抜き、更に世界の他の候補地と戦うべく着々と招致計画を進めてきた。
最後の追い込み時期になった現在でも、石原知事は手を緩めず真っ直ぐ進んでおり、世界のオリンピック委員を説得すべく交流工作に世界中を飛び回っている。
挙句の果てに皇太子まで担ぎ出そうという意見まで出るのだから、その本気度が伺える。
税金の無駄遣いだの、今更意味がないだの今でも反対の声をあげる人は少なくないが、賛同する人も徐々に増えてきたように思う。
上海の日本人の間でも、都民の会などで招致活動を盛り上げていこうという声になり、応援の声は増えてきている。
事の是非はともかく、知事という一人の人間にこれだけ熱心な行動をされると人間はその熱意に心惹かれる部分がある。心打たれるといったら大袈裟かもしれないが、少なくとも真剣に物事に取り組む相手には真剣な姿勢で相対さねば失礼であり、その真剣さを否定するほどの理由がないならば、相手の心を認めてもいいのではないかと感ずる。
つまり「意気ニ感ズ」という心境である。
昨今の日本は、余りにも物事がシステマチックに完成しすぎており、お祭りなどのイベント事に対しては商業的な目的のほかは、余程の大義名分がない限り無駄遣いの声が上がりやすく、新しいことが行いにくい社会環境になっている。
特にオリンピックのような大イベント招致に関しては、単なる商業的な目論見だけでは突破できるような状況にないのが今の日本の社会である。言い方を代えると、自分たちの力を冷静に判断しすぎて熱く可能性を追い求めることを諦めたり忘れたりして、夢を失っているのが今の日本である。
石原都知事はそういう凝り固まった日本の社会だからこそ、オリンピックのような風を再び東京に吹き入れて、新たな活力を生み出すきっかけにしたいのではないか?
そう感じる。
今ある反対意見というのはそういう凝り固まった社会から出る意見がほとんどのような気がするし、そういったことが分かっているから、数々の反対にもひるまずに前に進んでいるように思える。
オリンピック招致というやり方が賢いのかはよく分からないが、反対意見がある事を分かってて、敢えて旗振り役を買って出たのは勇気ある行動だと思う。
これから人口が減少し、活力が徐々に失われていくと予測されている祖国に、オリンピックという刺激を与え、その衰退カーブを少しでも食い止めたいのが彼の気持ちであるように思う。
また私自身も中国に来て、昨年の北京オリンピックを見て、あの活力を羨ましいと思いつつも、中国の国としての子供っぽさを馬鹿にしていた自分がいる。
もし、日本で再びオリンピックを行なうことが叶うならば、北京のようなみっともないオリンピックではなく、それなりの活気を保ちつつ、もっと世界に対して大人の振る舞いのできるオリンピックを、日本なら開催できる、そう感じた。
そういった成熟した大人の国のオリンピックを是非今の中国の人たちに見せてみたいし、金メダルだけがオリンピックじゃないんだとそう教えてあげたいと思って昨年の北京オリンピックを見ていた。
石原さんの熱心な行動を見るに連れ、私のそういった想いが再び思い起こされ、彼を支持してもいいかなと、そういう気持ちに最近なった気がする。