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空き家問題に見る日本の住宅政策転換の必要性

日本の戦後の勤労者の一つの目標として自分の持ち家を持つというものがあった。

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そして、その勤労意欲が日本経済の戦後成長を支えたとも言えるのだが、その持ち家促進という政策が最近別の問題を引き起こしている。

いわゆる「空き家問題」である。

日本の戦後の住宅政策により、労働者は次々と独立し、各自の家を持って行ったのだが、残念ながらその多くが核家族住宅であった、
こういった核家族住宅というのは親子生活にはちょうどいい規模となるが、残念ながら家族や家の継続性という意味では結構不合理な規模なのである。

新たに家を建てられる方というのは将来へどういう構想を持って家を建てることを決心したのか分からないが、恐らく本人たち夫婦が亡くなるまでの間住めれば良いと考えているのが一般的ではないのだろうか?

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或いは孫の代やそれ以降の子孫まで続いたらいいなぁという、理想を描く人もいるかもしれない。
しかし残念ながらその理想には住宅の規模や耐久性が合っていない場合がほとんどであろうに思う。

一般的な住宅の規模を示す規模として2LDKとか3LDKなどという基準が良く飛び交うが、これらの核家族住宅は子供が生まれて成長するまでの20年ほどに関しては、身の丈のあった規模の住宅である。

しかし子供世代が結婚した場合、新しい家族つまり結婚相手を招き入れられる規模を持った住宅というのはそれほど多くないだろう。
逆に子供世代たちが出て行ってしまうと、夫婦世代では持て余す規模となってしまうかもしれない。

そしてその夫婦世代が高齢になり亡くなれば、家としての使命を終えることになり、主を失った家屋というのは売却されるなり処分されるなんなりとなるのが一般的だろうか。

もちろん、子供世代が戻ってきて代わりに住み続けるという選択肢もあるが、その場合は代わりにその子供世代が住んでいた家が放棄されるわけで、どちらを選択するかだけの話でありあまり大きな違いはない。
いずれにしても、現代の核家族住宅というのはその多くが三世代以上がスムーズに継承される規模を持っているわけではない。

まあこういった核家族住宅というのは、兄弟が多い多産化時代には意味があり、兄弟が多ければ親から家を受け継げる人は限られ、子供たちのほとんどは独立する必要があったので、まずは独立するための空間の確保が求められたのである。

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 それ故に社会人になったら独立して家を建てるという一つの理想観念が社会に形成された。

 しかし一方でその理想形には祖父母世代と同居するという発想が元から無いため、核家族世帯が暮らせる規模の住宅しか求められなかったのである。

こういった核家族的独立の理想形は、住宅購入ローンの税金優遇など行政の社会政策も手伝って、核家族世帯だけが住めれば十分な規模の住宅が量産されることになった。

そして時代はやがて戦後の高度経済成長の多産化時代から少子化へ移ってくることになるのだが、出生率が2.0人を切る時代になっても世の中の住宅の理想形は変わらず、戦後の経済成長期の住宅政策は続いた。

つまり子供の数が二人兄弟や一人っ子という人数になり必ずしも独立を必要としなくなったにも関わらず、相変わらず日本の住宅では核家族世帯での独立を前提にした住宅政策が続けられ核家族規模の住宅供給が続けられているのである。

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その結果、核家族世帯の子どもたちも、やはり家の規模や社会的風潮といった事情から独立へと家から押し出されることになり、やはり元の家には親世代のみが残されることになる。
 そしてその親世代が高齢期を迎えて亡くなり始め、彼らの住んでいた家だけが残される状況を迎えたのが今の空き家問題となっている。

何故空き家が増え続けるのか?

答えは簡単である。
社会が核家族しか住めない家を供給し続けているからである。

それ故に子供の有る無しに関わらず家の世代継承ができず、子供がいてもやはり新たな住宅を得て独立し外に出てしまうので、その夫婦世代の命が尽きた途端に主を失い空き家化するのである。

つまり、現代の空き家問題を解決するには、根本としては新たな住宅供給を止めたり減らしたりしなくてはならないということになる。
或いは今後新規の住宅については、核家族住宅ではなく継承可能な2世代3世代の多世代型住宅を基本とすることが必要になる。

つまり数十年後にいずれ空き家になってしまう建物ではなく、継続的に引き継げる家を建てるのである。
こうすることによって、夫婦に子供が有る限りにおいては、その家が空き家化してしまうリスクをかなり下げることができる。

 しかしながら、このような多世代住宅を準備して物理的には問題をクリア出来たとしても、実際の空き家化防止には、人間の心理的な壁がもう一つそこに立ちはだかることになる。

どういうことかと言えば、多世代住宅に親世代と子供世代が一緒に住むということは、その子供たち夫婦のうち、嫁いだり婿入りする側にとっては相手の「家」に入る印象を与えられるからである。

流石に昔のような厳密なしきたりなどで、婿や嫁を親世代が厳しく管理することは現代ではないかもしれないが、婿や嫁にとっては相手の親の目がそばにあるだけでプレッシャーが有るに違いない。

特に核家族の環境で成長した子供たちにとっては配偶者の親とは言え、目上の人の目がある場所での生活はそれほど居心地の良いものではないだろう。
つまり結婚が独立ではなく家に入る印象となるのが多世代型住宅における結婚になってしまう。

また社会的通念においても独立を理想形とする現代の意識環境においては、独立をしないという選択が甘えと見られる風潮も無いわけではなく、それが心理的障壁となる面もあるだろう。

従ってこういった「家に入る印象」という心理的な壁を乗り越えてはじめて継承可能な多世代住宅というものが成立するのであり、現代の家族観念と相まって社会形態の移行はそう簡単ではないと思われる。

さらに容易な転勤命令を企業に許している日本の経済風土も、多世代型住宅への移行を難しくする要因であり、こちらも核家族型住宅を増やす要因になっている。

しかしこういった社会形態を見直して新たな形への移行がない限り、今後も日本国内に空き家はどんどんと増え続けるだろう。

 空き家は他人の家だから関係ないという人もいるかもしれないが、空き家の増加は街の防犯上好ましくない上に、見えない形で社会コスト(税金とれず、安全管理費が増える)として自治体などの財政を圧迫し、間接的な税金の値上げなどにつながるので他人事ではない。

ではなぜ住宅の供給量や規模が見直されないのだろうか?

それは日本において住宅を沢山供給し続けることが、社会の経済的活況の原動力の一つとなっているとされ、住宅の着工が増えることが社会経済にとって良いとされてしまっているからということになる。

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つまり経済維持が重要な施策である日本政府にとって、住宅着工数の維持は一つの生命線であり、出来る限り減らしたくないのである。

しかし、そうは言っても一方でその供給過多が空き家問題の原点であることが明白になっている以上は社会コストを増やしてその経済効果を帳消しにしてしまっている面も有るので、経済を理由に現在の住宅政策を続けるのは矛盾が生じていると言わざるを得ない。

 故に近年800万戸とも1000万戸とも言われる空き家問題を生み出す現代の住宅政策はすぐにでも見直しが必要なのであり、核家族型の新規着工を減らし、多世代型住宅の推進や中古住宅活用へ誘導することに政策を改めるべきであろうに思う。

さらに国の政策だけでなく個人の意識としても住宅に対する考え方を見直す必要がある。

 ここ数十年言われてきた独立して家を建てるという人生目標は、確かに立派な目標ではあるのだが、社会環境が変わってきた現在においては、社会にマイナスの結果を与える可能性が出てきているのであり、その価値観も修正すべき状況になってきているのである。

中国人がほとんど転勤を受け入れない理由と日本人社会の中の家族

 最近人材関連の方に話を伺ってちょっと気が付いたことであるが、中国では転勤という概念がほとんど無いような印象に映っている。
 つまり、例えば上海から広州や北京へ会社の都合で異動させられることがほとんど無いというか、そういう文化があまり無いようなのである。

 もちろん全くないという訳ではないのだが、会社の中の本当のトップクラスが現地の総責任者として赴任する以外はほとんど転勤という概念がないのが中国の国内事情らしく、転勤は非常に珍しいケースとなっている。

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 そんなこと言っても、上海には地方出身者がたくさんいるではないかと言われるかもしれないが、それは彼らが自主的に仕事を求めて上海にやって来ているだけで、会社が転勤させてそこにいるわけではないのである

 逆に企業側から言うと、地方に新しい拠点を新たに設ける場合は一時的には別の地域からの応援派遣で現地の立ち上げなどは行うが、実際に現地で働く人間は現地で集めるのが基本であって、他の地方から大量異動させて集めることはほとんど無いようなのである。

 もし他の地域から無理に転勤させようともすれば彼らは地元から離れるのを嫌って、会社を辞めるという選択肢を取るのがほとんどであり、会社にくっついてどこまでもついて行くと言った会社への帰属意識はほとんどない。

 ところがこういった中国の状況に気づいてみると、実は中国以外でも世界のどの国においても、あまり転勤という概念は無い印象であり、転勤させられるくらいなら自ら退職、転職・転地するというのが世界のほとんどの国の主流のようである。
 逆に日本のように、会社が平気で社員をどんどんと転勤させる国が果たしてどれだけあるのかを考えると、知る限りまず見あたらないという結果になる。

 日本では昔から企業の大小にかかわらず当たり前のごとく転勤や派遣、駐在をさせる文化があり、古くは江戸時代の領地替えだったりするわけだが、長い間ずっとそれが当たり前のように?受け入れられてきた。

 それ故に、例えば現在の上海には日本人の大量駐在があり、大きな日本人社会を形成している実態がある。
 逆に日本人に転勤文化がこのように浸透していなければ上海にこれらの日本人コミュニティなどは生まれなかったとも言え、上海の日本人コミュニティは、転勤が当たり前の日本文化の産物とも言えるのである。

 まあ私は日本人なので今まで周囲の人間が当たり前のように大量に駐在として派遣されたり転勤させられたりしている姿を何の違和感もなく見てきたが、周囲の中国人たちの動向と比較してみると、上海の日本人のこの状態はやはりちょっと異様なものがある。

 しかも家族帯同の転勤ならいざ知らず、単身赴任というのは非常におかしな命令で、家庭や家族をないがしろにした制度であるという印象はぬぐえず、大げさに言えば人権をさえ侵害しているのではないかという印象を私は持っている。
 人が配偶者や家族と支えあって暮らすのは人として自然の姿かつ当然の権利であり、わずかばかりの家族手当や単身赴任手当を渡せばよいと言うものではないという気がする。
 
 何故なら軍隊の戦地派遣ではないが、生身の男性を家族から長期間引き離すということは、必ず性関係のトラブルが付きまとう話であり、男性側本人の自制心だけに依拠して問題が片付くものではないからである。
 つまり上海で現地の繁華街の女性と日本人男性が数多く交際する状況に見られるように、企業の都合で単身赴任させるということは、その結果社員の家族生活を分断させたり崩壊させたりすることに繋がる可能性が当然予見できるのであって、それにもかかわらず会社はそれを自己責任だと押し付けて業務を優先させているのが実態なのである。

結果、日本社会というのは家族関係の崩壊のリスクより会社の業務維持を優先しているのがその根本の姿勢ということになってしまっているのである。

 このように会社の都合で転勤させられたり、単身赴任させられたりすることが日常化してしまっている状態は、実は世界から見れば家族に対しての価値観が異常に低下してしまっている社会の状態であり、かなり特異な存在かもしれないということができる。

 その特異な文化の反映の表れが、例えば日本で異常に発達したと言われるコンビニチェーンが一人暮らしの生活を支える姿であり、家庭の中の食卓の崩壊の現象だという気がする。

 更にこういった転勤や単身赴任が日常化している日本の社会制度では、本来家族間で行われるはずの相互扶助関係が、どんどん公的システムに依存されることになり、それ故実は大幅な社会コスト増につながっている実態もある。

 簡単に言えば、最近頻繁に報道され社会問題になって保育園の待機児童や老人福祉などがそれであり、いずれも費用不足がネックになっているのではあるが、根本要因を考えればこれらはいずれも核家族化がかなり大きな原因となっていると考えることができるのである。(もちろん全てではないが)

この点、例えば私の周囲の上海の状況を見ると子育て世代の方は、おじいちゃんおばあちゃん世代の全面的な協力を得て子育てをしながら共働きをしている実態があり、世代間の相互扶助が行われている。
 この上海の状態がどれだけ社会コストの削減に役立っているかは具体的にはわからないが、核家族で離ればなれに暮らす家族が多い社会よりは遥かに社会コストが低いような気がするのである。
 
 彼ら自身がそういった社会コストのことまで考えているとは思わないが、実際公的システムが追い付かない状況では家族内扶助が大事だと心得ているのだろう。

 つまり企業の都合で転勤させられ会社に残ることを選ぶより家族が一緒に行動することが生活を守る上でより効率的であることを彼らは知っており、それ故に家族や友達と離れて居住地を変えなければならない程の遠くへの異動は望まないのであり、強制的な転地は受け入れられないようなのである。

 このような中国人や世界の人々が転勤をほとんどしない実態を見て、日本の社会がどれだけ会社優先で家族を分解させられているのかを改めて気づかされる世界の実態なのである。