坂本龍馬という担ぎ上げられた英雄像

 以前から世間で人気がありながら、個人的にその評価がずっと腑に落ちないでいる歴史上の人物に坂本龍馬がいる。

 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」も人気であったようだが、元々大河ドラマの様なドラマ仕立てに描かれる歴史の人物像はどうもあまり見る気になれず、中国に既に来ていたこともあって関心すら持たなかった。
 彼にはよく「幕末の英雄」などと人物紹介に枕詞がつくが、どうも持ち上げられ方に合点がいかないのである。

 明治維新に貢献した人などとも言われるが、私に言わせればまずその明治維新が薩長による軍事クーデターであり、実質の統治権を持っていた幕府を江戸城から追い出して「勝てば官軍」的に、国政再編を目的に統治者にのし上がったのに過ぎないのであると思っている。
 また東日本に生まれた私にとっては西日本から東へやってきた薩長軍というのはヨソモノの敵性存在とも言え、単なる西から権力闘争で攻め込んできた者としか映らず、会津藩士の末路などを聞けば決して新政府軍が「正義」などを持っていなかったという認識でいる。

 「明治維新」と言う言葉でさえ、彼らが自らの行動を自己正当化する為の自画自賛の言葉であることは、ほぼ疑いがない。

 新政府側は明治維新の正当性を担保するために天皇を担ぎ上げ汚名を逃れただけであり、明治政府は決して市民革命的に樹立した訳ではなく、まずそこから明治維新で活躍したとされる坂本龍馬を英雄視することに疑問符がついている。

 もちろん私は戦後の現代に生まれ、普通選挙の行なわれる戦後の日本と言う枠組みの中で育ったので、今更明治の頃のことを恨みに思うようなことは全くないが、少なくとも明治政府が樹立された明治維新を「正義が勝った」というようなプラスの意味だけで捉えている訳ではない。

 しかも明治政府成立以後、西欧列強に対抗するために明治政府が現在のものに近い「日本」という枠組みの確立に必死になっていた影響で、廃藩置県によって地方からは自治が奪われ、彼らの元へ権力が集まり中央集権体制的に国が再編されてしまうことになる。
 まさに「富国強兵」のために「日本」という大国家への枠組み再編を思想を含めてひたすら邁進させたのであって、今でいう「日本の右翼的な思想」はこの頃に醸成されたものと思われる。

 実はそんな明治政府にとって、明治の日本を日本としてまとめ上げるに必要な人物として、担ぎ上げられた一人が「坂本龍馬」という英雄像の存在だったという気がするのである。

 坂本龍馬に関する諸所の文書を見ると、彼は幕末に様々な動きを見せていたとされるが、存命当時は現代のドラマなどで描かれるほど名前が知れ渡っている人物ではなく、寧ろ1867年に近江屋で殺害されてからは暫く忘れ去られていたようである。

 その後1883年に「汗血千里駒」という坂本龍馬を主人公にした小説が高知の土陽新聞に掲載されたことからその名が世に出たとされるが、実はこの土陽新聞というのはかの板垣退助氏が創立した「立志社」という政治結社の機関誌であり、自由民権運動家であった板垣退助が自分の政治目的のために「坂本龍馬」という存在を小説を使って英雄として担ぎあげさせたと考えられ、坂本龍馬と言う人物を取り上げたくて小説が書かれたのではないように推測される。
 実際、その小説の内容は土佐藩の下級武士である郷士と上士の対立構造を軸に書かれていると言われており、権利が認められない郷士が権力と戦う様は、まさに板垣氏の行なっていた自由民権運動に沿う内容だったのである。
 そういった意味で、坂本龍馬は死んでから16年も経ったこの時点で政治的利用により庶民のヒーローと言う立場に持ち上げられることになり、世の中の英雄となる第一歩を踏み出したことになる。

 そして1891年に突然明治天皇から正四位を与えられる。
 授与の理由は正確には不明だが、前年に第一回帝国議会選挙が行われたことから、小説への登場を含めて、その功績に対して板垣氏などから推薦があったのではないかと推測される。
 また1891年には「君が代」が初めて東京音楽学校(現在の東京芸大)の卒業式で歌われるなど、教育面などで日本が国家の骨格を固め求心力やナショナリズムを高めようとしていた時期でもあり、そこへ幕末志士を勲位で評価することによって、明治政府の正当性を更に固める狙いがあったのではないかと察せられ、ここで初めて明治政府が坂本龍馬の存在を政治利用し始めたと見ることができるのである。

 そして極めつけは、日露戦争開戦直前の1901年には当時の皇后美子の夢枕に坂本龍馬が立ち「海軍を守護します」と語ったとされる話である。
 この話、全国紙の新聞に載ると国内に一気にその名が知れ渡ることになったとされ、実際、その後のロシアとの日本海海戦に大勝したことから、これを機に坂本龍馬と言う存在の国家の英雄としての存在が確定し全国的に人気を博すことになるのである。
 しかしながら、この話はどう考えても出来過ぎており、現在冷静に分析すれば明治政府が国威掲揚のための坂本龍馬という英雄像・守護神像を作り出して担ぎ上げたに過ぎず、存命中の本人のにはなかった評価を国家のためにどんどん勝手に作り出してしまったと言っても過言ではない気がするのである。
 つまり「英雄 坂本龍馬」は実は明治政府が作り出した虚構の英雄像にほかならないということになる。

 しかもこういった坂本龍馬の英雄像は日本が終戦を迎え、帝国主義の時代が終わっても消えることはなく、その後に小説家の司馬遼太郎氏の書かれた小説「竜馬がゆく」で加速されることになる。
 戦前と戦中、戦後の全てを体験している司馬氏にとって、日本と言う像をどう捉えるか悩んでいたとされる時期でもあり、そこへ坂本龍馬を主人公の執筆依頼が来て興味が湧いて執筆したと伝わっている。
 ただこの「竜馬がゆく」については、諸所の評価を見るとかなり細かく史実を調べて描いてはいるが、全てが事実ではなく一部創作も含まれていることから「小説」の域を逃れられず、描かれる人物像イメージも、英雄的な主人公にするために肉付けられていると評価されているようだ。
 しかしながら、この小説は現代の日本人における「坂本龍馬像」を決定づけるものと言われており、英雄像としての位置を確立してしまっている。
 
 まあ小説の中で描かれる主人公「英雄 坂本竜馬」を悪く言うつもりもないし、その存在に魅かれることは個人の自由ではあろう。

 しかし、英雄であるとされる彼のイメージは、歴史の中で明治政府がプロパガンダのために作り出した虚構であり、その後小説家によって肉付けされた主人公的イメージの面が多少なりともあって、幕末に実在した本物の「坂本龍馬」とはちょっと違う可能性があることを頭の片隅にはおいて彼の存在を見るべきなのではないかと思うのである。





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