先日、日本のラジオ番組で社会学者の宮台真司さんが言っていたことだが、日本では政府が一時博士号取得者を増やすべく努力を行なったのだが、ほとんど効果が得られなかったということを言っていた。
何故ならば、日本の企業が博士号取得者をあまり使いたがらなかったたため、博士を育ててもそれを受けいれる土壌にならなかったということが大きいらしい。
では何故日本企業が博士号取得者を受け入れないかというと、はっきり言えば日本人の博士は企業であまり使い物にならないからだとのこと。
諸外国では必ずしもそうでもないということらしいが、日本の博士号取得者の多くはグループワークに取り組む訓練を経ていないため、組織の中での協調性がなく共同作業に向かず、企業として扱いにくいのだとしている。
さらにその博士号をとった能力に関しても、あまりにもピンポイントな自分の研究課題にこだわるため、つぶしが利かず企業としても余程マッチングしなければ研究者としても受け入れがたいのだとしている。
そして実際受け入れられた後でも、彼らは博士号を取ったというプライドが高すぎて、頭でっかちに理屈を振り回し企業内では持て余すケースが多いということらしい。
実はこの状況は博士号だけでなくMBAという修士取得者にも同様の傾向が見られ、やはり企業社員としては持て余すケースが多いようだ。
まあ、皆それぞれ称号を得るために能力を積み上げに相当の時間を使っているはずなのに、結局は使い物にならないというのは、なんという時間の浪費であろうか。
非常にもったいないことである。
これらの事の根本的原因は恐らく日本の教育体制にあり、グループワーク能力を育てないまま学力試験だけで評価をしてしまうが故に、社会で使いものにならない無駄な博士を生み出してしまうのだろう。
結局は彼らは社会で受け入れられず、大学の研究機関で黙々と自分の殻に閉じこもってオタク化してしまうようなことになるらしい。
まあ博士になるならないに限らずグループワークが出来ないのは現在の若い世代に共通することのようで、どうにかこの状況を打破しないと日本は朽ちてしまうのではないかと私も危惧を抱いている。