以前から世界のカレンダーにおいて、元日の根拠がないことを考察したブログ記事を書いていたが、最近になって元日の根拠は実は求められないことに気が付いてしまった。
これまで「クリスマスに考える「冬至が元日ではないのは何故か」のブログを書いて元日の根拠を探していたが、先日の「今年は冬至の日付が日本と中国で違う理由」を書いた後に、この根拠から言えば、冬至は元日とするとは難しいことに気づいてしまったのである。
どういうことかと言えば、繰り返しになるが冬至は日付ではなく時刻で決まっている。
即ち冬至は黄経(天体上の太陽の経路)が270度と決まっている。
つまり地球の自転軸の傾きにより太陽からみて北極点が太陽と真反対になるタイミングが冬至となり、その時間のタイミングを含む日が各地で冬至と呼ばれている。
そのため、地球上の位置によっては冬至とされる日付が異なってしまう状況が発生してしまうのである。
即ち2021年末の日本と中国の冬至のように時差の都合で、冬至と呼ばれる日付が異なってしまう状況が発生しうるのが冬至となっている。
よって、もし冬至を元日としてしまうと、同じ地球上でも地域によって元日が異なることになってしまう現象が発生する。
しかも日本と中国の関係で発生したように、本来早く新しい日付を迎える日本よりも、後から新しい日付を迎えている中国が先に冬至を迎え、翌日に日本が冬至を迎える状況が発生してしまっている。
この冬至を元日と読み替えた場合、中国は元日なのに日本はまだ大晦日という現象が発生してしまうことになる。
これを国際的なカレンダー運用として考えた場合、やはり元日の日付が地域によって異なるのは非常に困ることになる。
よって、敢えて冬至を元日としないで根拠のない適当な日を元日とすることによって、世界のカレンダーにおける元日が保てていることになる。
このように非常に消極的な元日設定の理由となるが、古代の天文学者はこういう矛盾に早くから気付いて元日に敢えて根拠を求めなかったのかもしれない。
改めて古代の天文学者の考察力に驚くこの気づきである。