今回の入院中、当然のことながら看護婦さんたちには大変お世話になった。
まあこの看護婦という言い方も今となっては男女平等の意味もあって、看護士という言い方が定着しつつあるが、中国の現場では今のところほとんどが女性のようで、敢えて「看護婦さん」と呼ばせてもらいたい。
病院というのは、医師が病院の顔として君臨しているように見えるが、実際に病院が病院として成り立っているのは看護婦たちが支えているおかげの部分が非常に大きく、彼女たち無しには一般的な病院は病院として成り立たないものである。
それは日本も中国も同じようである。
特に入院ともなると、医師の出番は診療や手術のみで、それ以外のケアはほぼすべてが看護婦の仕事であり医師の指示に従い24時間交代で面倒を見てくれる。
医師だって当直での待機はしてくれているが、患者の細かい面倒まで見てくれるわけではなく、結局現場の末端には看護婦さんたちが必要なのだ。
今回、入院したおかげで、初めて中国人看護婦たちの動きっぷりを目の当りにすることができた。
今まで、通院では何度か中国の看護婦さんたちの姿を見てきたが、ほんの数十分の動きを見るだけでは、日本の看護婦さんたちとどう違うかなどはわかるはずもなく今回はフルタイムで仕事を見れたわけで貴重な機会だった。
さて、実際目の当りにした中国人看護婦さんたちの率直な感想は、看護婦さんといえども中身は中国人の女の子なんだなぁということ。
あまり悪いように捉えて欲しくはないが、日本の看護婦さんたちに比べれば人への接し方がぶっきらぼうで、丁寧に患者に声をかけて励ますような面は少なく、仕事を黙々と真面目にこなしている印象だった。
多くの中国人女性がそうであるように、接客時なども仕事としては丁寧だが表情に乏しく、営業スマイルのようなものはあまり出てこない。気配りも比較的苦手だ。
ただその仕事っぷりは日本人に負けず劣らず非常に真面目である。
日本人女性のように、笑顔や情で接することはなく目の前の仕事だけが丁寧だと言えばいいだろうか?
まあこちらとしても5日足らずの短期入院であったし、その間の半分は手術関連で朦朧としていた時間だから、看護婦さんたちと親しくなる期間にはとても足りなかったとも言えるのだが、それにしても日本人看護婦などと比べるとその点では差がある。
この点はいかにも中国的であると言えるし、日本の看護婦が日本的でもあると言えるのだが、その差はあまりにもわかりやすい。
今回入院した場所は外国人専用の病棟ということで、恐らくこの病院の中でも比較的優秀な人材を選抜しているはずだから、今回接した看護婦さんたちが中国の中でも比較的レベルが上位のケアをやってくれているはずと考えると、中国人の看護婦さんたちの仕事はほぼこの状況なのだと推測することができる。
まあつまり中国の看護婦さんたちは仕事としては信頼は出来そうだが、入院患者として彼女たちに和みの要素を求めるの難しいような気がするということである。
と書いてしまったが、実はこの入院中に一回だけ看護婦さんの可愛い面を見たことを思い出した。
それはアイもいなくなった入院4日目の晩であったが、私がテレビもつけずにベッドの上で静かに携帯電話でメールなどをやっていたら、病室があまりに静かすぎることに心配になったのか、一人の看護婦がノックもせずゆっくり扉をあけ病室の中を覗き込んで来たシーンがあった。
私はドアの開く音がギーッとしたのでその方向を見たら、思わずその瞬間にその看護婦さんと目があってしまったのである。
結局、看護婦さんは何でもないのだとわかり、バツが悪そうに苦笑いをして手を振って退却したのだが、その姿がとても可愛らしかったのを覚えている。
そんな看護婦さんの素直な表情を見てこちらも初めてほっとした。
やっぱり今回時間がちょっと足りなかっただけのようである。
いろんな意味で思い出がそれなりにできた今回の入院時間であった。