当事者ではない立場だからできること

四川地震が起きて24時間以上が経過し、だんだん被害の状況が明らかになってきているが、全体の状況はまだ完全に把握されていないようだ。
 温家宝首相が早々に現地入りし現場指揮を執っている映像がテレビで放映されていたが、交通機関や通信手段の寸断もあってなかなか被害全体の状況を把握できず、それ故に対応策も手探りの行き会ったりばったりで進むしかない状況のようである。
 
 こういう大災害が起きたとき、直接被害を受けていない自分は何が出来るのかをいつも考える。
今の仕事を投げ出して、私財を投げ打って現地に入るなどと格好いいことが出来れば最高だが、現実にはそんなことはできない。何十人かの人を一時的に救うことが出来るかもしれないがその効果は一時的で、投げ打った自分も含めてすぐに文無しとなり被害者と同じ状況に陥ってしまい逆に迷惑をかけてしまう状況になるからである。だから、逆に今の生活を止めないで何かをしなくてはならない。
 

 まず被害を受けた人の気持ちを感じることは大事だが、当事者でなければ一緒になって悲しみにくれて落ち込んでいてはいけない。被害者を支える立場に回らなくてはならないからだ。
 被害者と同じように悲しみにくれてしまうと身動きがとれなくなり、結果助けることもできなくなる。既に亡くなった方には申し訳ないが、いまやらなくてはいけないのは、被害の大きさを悲しむことではなく、まだ生きている命を全力で助け、自立して日常の生活が送れるようになるまで手を差し伸べることである。 

 そのための、募金や寄付などはもちろんのこと、己が今もっている能力、それが人脈であったり、ビジネス手段であったり、個人のアイデアなどの、今持っている色んな力を使って手を差し伸べることが当事者ではない人間が気持ちを伝えられる手段だと思う。
 極端な話、それが利益構造を持ったビジネスモデルでも構わないと思う。暴利を得るようなものは論外だが、結果的に被災者の救済に繋がる形のビジネスモデルが構築できれば、それはそれで貢献だと思う。もちろん無償で援助を供与し続けることができるなら理想的だが、社会に無限の援助力があるわけではない。

 もちろん、直接的に被害者の下へ援助が届く援助でなくても構わないと思う。ネットの掲示板に気持ちを書き込むだけでもいい。その言葉の塊が報道として被災者の下に届けば例え気休めでも彼らを勇気づけられるはずだ。
どんな微力でもやって無駄なことなど何もない。
 当事者でない立場だからこそして上げられることはたくさんあるはずだ。

原文



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