同性愛者との接し方の問題

 先日、世界的な有名電子機器メーカーのCEOが同性愛者であることを告白した。
 世界的には大きなニュースになっているようだが、個人的にどこの有名人が同性愛者であろうが、社会には一定数の同性愛者がいるということは既に分かっており、それがたまたま有名人だったというだけで、特に驚くことではないと思っている。
 それによって彼の会社の商品を差別するとかと言ったことはもちろんないし、これまで通り変わらないスタンスでの社会的接触になるべきだし、強調しなくてもそうするだろうという気がする。

 しかしである。

 この問題は、社会の建前として同性愛者を人として平等に扱うべきであるというのはその通りなのだが、ではイザ個人の問題として身の回りの人間が同性愛者であることがわかった場合は実はそんなに簡単な問題ではない。

 同性愛者を差別してはいけないと頭で分かっていても、いざそういう人がそばに近づいてきたら、残念ながらそれだけで生理的に受け入れられず、本能的に拒絶反応を起してしまう自分がいる。

 例えば、バスや飛行機の隣にそうと分かる人が座った場合、素敵な異性が座ってドキドキするのと真逆の意識の反応が起きる。
 まあ素敵な異性がいても理性で突然抱きついたりしないのと同じように、同性愛者がいても理性で突然逃げ出したりしないが、やはりその場にいる居心地さは常につきまとうだろう。

 さらにはトイレやお風呂にそういう人がいると思えば、どうも落ち着かない。

 また職場で隣の席の同性の同僚が同性愛者であることが分かったら、表面的な差別をしないまでもあまり気分の良いものではなく、やはり業務への影響がないとは言えない。

 だからと言って、社会的な建前としては、そういう人を同性愛者であることを理由として遠ざけてもいけいないのである。

 つまり頭で理解する社会的対応と、本能的反応をなかなか一致させることは難しいことになる。
 これを以て私が性差別者と言われるなら、それを認めざるを得ないということになるが、最近の同性愛者の存在が拡がることによって世の中の多くの人が意外とこのジレンマに悩まされているのではないのだろうかという気がする。
 社会の建前の平等と人間の生物としての本能的反応、これはなかなかキレイごとでは済まされない難しさがあると思う。



4 thoughts on “同性愛者との接し方の問題

  1. 「職場で隣の席の同性の同僚が同性愛者であることが分かったら、表面的な差別をしないまでもあまり気分の良いものではなく、やはり業務への影響がないとは言えない」
    「社会の建前として同性愛者を人として平等に扱うべきである」
    同性愛者の人がこのブログを読んでしまった際、どう感じられるでしょうか?ご自分がどう感じられようと結構ですが、不特定多数の人が見るブログでこのような内容を公開するのはどうかと思います。

    Reply
    1. 上海ワルツ Post author

      同性愛者が異性から性的対象や恋愛対象と見られることに苦痛を感じるように、異性愛者にとってもやはり同性から性的対象や恋愛対象と見られることはやはり苦痛なのです。
       また社会の人間関係の中で、気にいらない異性との距離感が自然と遠のくと同じように、同性ならなおのこと性愛的な拒絶反応が働くので距離が遠のきます。

       この距離の置き方について、異性なら自由恋愛の拒絶と言われるだけで済みますが、同性愛者に対して示すと今の社会では差別として扱われます。
       しかし、どちらも個人の性的拒絶であり同じものです。

       同性愛者がマイノリティであることで、被差別的意識も強いのかも知れませんが、その社会反応に見えるものは、多数派である異性愛者の性的拒絶が多分に含まれているわけであり、その部分は同性結婚など社会的権利や平等が認められた後でも、実は何も変わらないものです。
       つまり社会が同性愛者の存在を公然化して、これまで同性愛者が背負っていた苦痛を、異性愛者が社会的平等の下に口を塞ぎ、黙って背負うだけでは何の解決にもならないということです。

       これまでの社会では異性間の恋愛や性愛の問題については、男女別トイレや男女別更衣室、男女別浴室など、異性間に一定の壁を作り、性にまつわる人間間の問題発生を防ぐルールを作ってきました。

       しかし今後、同性愛の存在を公然化して社会として権利を認めていくならば、同性間のトラブル予防に関しても、同様に壁を作る必要があると感じます。

       もちろん同性愛者であるか否かは本人の主観的な意識の問題でしかなく客観的な区別は不可能なので、今後性別にまつわる社会のスタンスは結局は完全な個人化の方向に向かわざるを得ないのかと感じます。
       つまり、男女という従来の性区分の区別による分離(まとめ)の禁止であり、男女別トイレや男女別更衣室、男女別浴室など男女という性別を基準にした施設区分を禁止し、全て個室化するということですね。
       同性間であっても、現在の状況なら性的トラブルが発生しうるのであり、こうするしかないという気がします。

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  2. 繰り返しますが、貴方が個人的にどう思われようと結構ですが、「社会の建前として同性愛者を人として平等に扱うべきである」→本音は同性愛者を人として平等に扱わない
    などの表現はあまりに差別的でブログに相応しくないと言っているのです。
    同性愛ついてもう少し理解されてはいかがですか?
    これ以上無駄ですので、お返事は結構です。

    Reply
    1. 上海ワルツ Post author

      世の中には全て建前と本音があり本音を隠してキレイゴトで済ますくらいなら私はブログを書きません。
      社会で現在のような制度を幾ら整えたところで、社会ルールの中で権利や扱いが平等に行われたとしても、異性愛者が性的拒絶する存在であることは変わらないもので、表面上のキレイゴトでは片付かないものです。
       異性愛者が同性愛者を苦痛なく受け入れるという事は、同性愛者から性的対象や恋愛対象でないことが確認されたり、一定の壁やルールがあって安心して受け入れられるものです。
       つまり異性愛者からすれば必要以上の関係にならないことが確認されて初めて仲よくすることができるが、同性愛者からすればその確認行為そのものが人間関係の壁となっている訳で、そういった非常に矛盾した人間関係要求の整合が必要であるのが同性愛者との接し方の問題です。
       ここが民族差別や人種差別などとは大きく違うところです。
       こういった本質的な矛盾を無視して他の差別問題同様に表面上の権利や扱いの問題だけを整えても、本質的な問題は何も解決しないということを言いたいのです。

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