映画「麦秋」を見た

 某ラジオ番組のリスナーテーマで、好きな駅というテーマがアナウンスされていたので、自分にとって好きな駅はどこかとを思いめぐらせていたところ「北鎌倉」という一つの駅が浮かんだ。

 この「北鎌倉」という駅は横須賀線の駅で、寺社の多い周囲の環境もあって、非常に質素な駅となっており、私も回数は多くないが気に入って何度かこの駅を訪れたことがある。

 夏目漱石の小説「門」もこの北鎌倉駅のそばにある円覚寺が舞台になっており、東京からの距離の割には非常に静寂な空間だと思うし、何よりこの駅はホームに屋根が少ないのが非常に味わい深い空間を生み出している。

 そして、この駅周辺が舞台となっているのがかの小津安二郎氏の映画「麦秋」(ばくしゅう)である。

 実はもっと幾つもの映画やドラマの舞台になっているんじゃないかと思ってインターネットで調べてみたが、今のところヒットしたのはこの「麦秋」だけであった。

 そこでこの「麦秋」という映画を改めて見ることにした。

 映画史に燦然と輝く小津安二郎の作品群であるが私にとっては時代が古すぎる映画なので今まで「東京物語」は見たことがあるがこの映画を見たことはなかった。

 「麦秋」は1951年の作品で発表から実に60年以上も経っており私の両親がまだ子供の頃の映画ということになる。

 ただ、見始めると本来は隔世の感があるはずなのだが、どこか懐かしくそこまで違和感を感じないのが不思議な映画であった。

 言葉の言い回しなども想像以上に現代の言葉に近く、昭和26年の戦後の時代という言葉のイメージ程には遠い時代の作品ではないという気がしたのである。

原節子さん(引用元)

原節子さん(引用元

 タイトルの「麦秋」とは秋の意味ではなく春の麦の収穫時期を指した初夏の候を表す言葉で、原節子さん演じる主役の紀子という女性が結婚という人生の実りに際する部分と重ねられてつけられたタイトルだ。
 英語では『Early Summer』(初夏)というタイトルが付けられているようだが、これだと収穫時期(適齢期)の「実り」の意味が消えてしまい、言葉として少々ニュアンスが違っているような気がする。

 小津安二郎の映画作品は原則フレームが固定でしかもややローアングル気味の画面が特徴であると言われる。

 現代映画のようなハイテンポさはないが、淡々としたストーリーの中に出演者たちがモノクロ画面を通して見せる表情に実に深みがあり、それだけ役どころの感情が印象的に伝わってくる。

 特に主役の紀子の父を演じる菅井一朗さんの演技は言葉少なにも関わらず、人の心の葛藤や迷いなど数多くのものが見えてくる。
 もちろん主役の原節子さんが見せる表情も魅力的であり、笠智衆さんの演じる兄とのやりとりも一つ一つのシーンが目に焼付く。

 ところでこの映画は特にが印象的に扱われている。

 映画のオープニングも海であり、全編中で唯一カメラアングルが動いたのがこの海を映し出すシーンである。
 原節子さんと義姉役の三宅邦子さんが砂浜を歩く姿を後ろから撮影し、クレーンでつり上げてられていくであろうカメラから徐々に海が見える構図となる映像となっている。

 このシーンについてウィキペディアなどでは某映画評論家の言葉として、砂の山を登る2人を中心に写すために単に構図を変えないためのカメラ移動の工夫だとしているが、私はここにちょっと異論がある。
 単に構図の安定のためだけに固定カメラにこだわる人がカメラを動かすのだろうかと思ったのである。

 私の印象としては、主役の紀子が今までの淡々とした安定した陸地を歩んだ人生から結婚という大海原が見えてきて、そこへ向かう彼女を義姉が見送るという象徴的なシーンとして取り上げたのではないかと思うのだ。

 つまりここに彼女を含めた周囲の人間の淡々としてきた人生の変化のポイントがあるとして、小津監督は唯一アングルを変化させるシーンにしたのではないか、そう理解している。
 
 まあ全体のストーリーとしてはたわいもない流れの映画だが、1人の女性の結婚という節目を巡って、周りの人もそこに1人1人の人生の葛藤を巡らせるのだと気付かされる実に深い映画であり、やはり名作と言われるにふさわしい映画のような気がする。




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