展覧会の絵のピアノ版と管弦楽版の印象の違い

 クラシックの有名な曲でロシアの作曲家ムソグルスキー氏(1839-1881)作曲の「展覧会の絵(英語名:Pictures at an Exhibition)」という曲がある。

 この曲は作曲家の友人の画家ヴィクトル・ハルトマン氏が急死したことを悲しみ、その友人の遺作展を鑑賞したときの10枚の絵の印象を音楽にしたとされる。
 そもそも最初に作曲されたのはピアノ版であったが、作曲家の存命中には出版も演奏網されず、同じくロシアの作曲家のリムスキーコルサコフ氏が改訂など手を加えた後に出版されたとウィキペディアなどには記されている。

 そして後にボレロなどを作曲する有名なフランスの作曲家モーリス・ラヴェル氏が管弦楽(オーケストラ)版に編曲すると一気にこの曲が有名になり、ラヴェル版の方がオリジナルのような扱いを受けるほどになった。
 ただ、このラヴェル版は当初5年間の演奏独占契約などで縛られていたため、ほかの作曲家も管弦楽版への編曲を行うようになり、ストコフスキー版などがつくられたが、やはり独占期間終了後も世間で演奏される主流はラヴェル版になった。
 このラヴェル版の普及に伴い、元のピアノ用のリムスキーコルサコフ版も徐々に演奏されるようになっていたが、その状況を一変させたのはピアニストであるリヒテル氏の原典版の演奏の録音だったとされ、これが現代まで続くピアノ演奏版の主流になったとされる。

ピアノ

ピアノ

 さてさて、前置きの説明が長くなったが、ラヴェル版の管弦楽版は冒頭からトランペットが高々と歌うように色彩豊かな構成となっている。
 これに対して、ピアノ版はピアノだけで演奏されるため、色彩感に乏しく、「展覧会の絵」のタイトルが示す絵が持つ色彩感へのアプローチはあまり見られない。
 この結果、曲全体の仕上がりとしては、ラヴェル版は絵そのもののイマジネーションを音楽にしたかのような印象を与え、フィナーレでは画家ヴィクトル・ハルトマン氏の功績を称えるかのように華々しい終わり方で画家を見送る形となっている。
 この華やかさがラヴェル版の素晴らしい点ではあり、人気の元になっている。

 しかし実は私自身はここに違和感を覚えている。

 何故なら作曲の経緯を振り返ると、ハルトマン氏が1873年7月8日に動脈瘤で急逝した後、作曲家が翌1874年3月~4月にかけて開かれた遺作展を見て、1874年7月4日にこの曲を完成させたとされる。
しかもムソグルスキー氏はハルトマン氏の死にひどく落胆していたとされる。
 
 そう考えると、ムソグルスキー氏としては絵画を鑑賞して絵のイメージを想起したのではなく、それぞれの作品を見るたびに友人ハルトマン氏との思い出を想起し、それを音楽として残したのではないかという気がするのである。
 そして絵を通して友人との様々な思い出が浮かびあるが、最後に「友人はもうこの世にはいない」んだという悲しみを突き付けられ、華やかな業績を見送りながら友人に「さよなら」を告げるのがこの曲なのではないかと感じる。
 つまりタイトルは「展覧会の絵」ではあるが、画家を称えたという曲より、作曲家自身の私的な想いを込めたのがこの曲かなという印象なのである。

故にラヴェル版の音楽性を否定する気はさらさらないが、ピアノ版の原典版のほうが作曲者の作曲意図には近いのではないかという気がするのである。
上述のリヒテル氏もラヴェル版に対して「私はあの編曲は嫌いだ」「ムソルグスキーの音楽を理解していない」と評していたとされる。

まあ音楽の受け止め方や選び方は人それぞれなので、私の考え方を押し付ける気はないが、私はこれらの理由から原典版のピアノ演奏の方が好みなのである。





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