政治的な原因がきっかけで、アメリカや日本を初めとする当時の西側諸国が参加をボイコットし、日本の選手にとっては幻のオリンピックとなってしまったのが1980年のモスクワオリンピックである。
その大会の入場行進曲として使われたのが、地元ロシアのドミトリー=ショスタコヴィチ(1906-1975)が作曲した「祝典序曲」。
もともとこのオリンピック用に作られた曲ではなく、そもそも作曲者自身、このオリンピックが始まる5年も前に既にこの世を去っているので、オリンピックで自分の曲が使われるかどうかなど知る由もなかったはずである。この曲は本来ロシア革命37周年の記念日祝典のためにソヴィエト共産党中央委員会からの委嘱され作曲されたもの。
37周年というのがいかにも中途半端だが、実は30周年記念の式典の時点で一度曲を委嘱されており作曲をしたのだが、スターリン政権下での政治的な理由で、日の目を見ることができなかった。
スターリンの死後改めて委嘱され発表されたものがこの37周年用「祝典序曲」なのだが、その原型が、そのときの幻の曲だと言われている。
その曲が今度はオリンピック用入場行進曲として用いられた。
曲は、冒頭の伸びやかなファンファーレが華々しく、伝統と格式を感じさせる荘厳な響きは、いかにも近代まで厳格な政治体制を保ったロシアの音楽という気がする。
しかし一転して、ショスタコヴィチらしい軽やかな曲調に変わりクラリネットが奏でる音色がさらに印象的である。
この曲をオリンピックに用いた人の名前は分からないが、伝統的なオリンピックの入場行進曲としてはいかにも適当である。
それが証拠に、オリンピックで使われたきっかけかどうかわからないが、日本でもよく演奏されるようになり、特に各地の吹奏楽団に好んで演奏され、今ではいろんな式典の入場行進曲などに頻繁に使われている。
ところで、このモスクワオリンピックでは、今では当たり前になった開会式のイベント的演出ははまだ行なわれておらず、入場行進と開会宣言、聖火の点火、オリンピック旗の掲揚などが主なイベントで、言うならば入場行進が一番のメインイベントであった。
つまり分かりやすくいうならば甲子園の開会式のようなものである。
従って、オリンピックにとって音楽といえば行進曲がほとんどであり、この時代までオリンピックから求められた音楽とは式典音楽でしかなかった。
それが次のロサンジェルス五輪では、全く違う意味を持って音楽が登場してくることになり、人々に強烈な印象を与えることになるのである。
そういった意味で、モスクワオリンピックは伝統的な式典を保った最後のオリンピックであり、この「祝典序曲」はその伝統的な雰囲気を感じ取るのに適当な音楽といえよう。