Tag Archives: タイムカプセル

母校が100周年なのに参加できない悔しさ

 実は今日、11月1日は自分の母校の小学校の創立100周年の創立記念日であり、それを記念して式典が行われる予定であり、大同窓会も開かれる予定なのだが、私個人として結局、時間もお金も余裕が見出せず、上海から帰国できる目処が立たなかったので参加できないことになった。
 その式典では自分が小学校の時に書いた作文が、30年ぶりにタイムカプセルから掘り起こされることになっていて、実は封印したときから今日の今日まで時折思い出しては、指折り数えてこの日を待ち焦がれていた。
 まあその作文を見たところでどうってこともないかもしれないが、自分が30年前に何を書いたのかは、もう今となっては思い出せず、ちょっと見てみたい興味が沸いている。
 さらに、大同窓会も非常に楽しみにしていた。
 あの時の皆が、どんな状態のおじさんおばさんになっているかは楽しみであった。
 それに上海に移り住んでしまった自分にとっては、貴重な日本人脈を再開拓再構築する貴重なチャンスであったかもしれないのだ。

 小学校の同級生の集まりは、多種多様の業界の人間の集まりになっている可能性が非常に高いので、そういった意味では一つのビジネスチャンスを逃したような気もしており、非常に悔しい。
 まあ近くなったようでも遠いのが上海と日本で、日本国内なら車を飛ばしてでもいけるところだが、上海と日本の間には国境の壁がやはり立ちはだかり、航空料金やサーチャージ、移動時間など壁は大きい。
 業務上の理由を見つけて会社経費で日本に飛ぶという方法もなくはなかったが、日本に案件はあっても移動費用に見合うだけの成果は期待できず、結局その方法も難しい気がして諦めた。この時代メールで十分だからである。
それより何より、ここ数日忙しくて昼間はほとんど出ずっぱりで、後処理を夜にしようにも、会合などの付き合いが入ったりして、業務処理をするのが夜中になっているような生活が続いている。
 故に今回の記念式典が上海で行われたものであったとしても、もしかすると参加できなかった可能性もある。
 そう考えると、ほとんど参加すること自体無理だったのかも知れないが、やっぱり30年来待ち焦がれた日をフイにしてしまうのはとっても悔しいのである。

原文

30年前のタイムカプセル

昨日、突然日本から電話がかかってきて、小学校の時に封印したタイムカプセルを今年の11月に開封するのでよかったら式典に参加してくださいとの連絡があった。
30年前、私のいた小学校は創立70周年で、そのときに100周年に向けての記念のタイムカプセルを作ったのである。タイムカプセルの中身は作文である。

 なにぶん小学生の書いた作文であるので、中身に期待ということはないのだが、無事この歳まで生きてその瞬間を迎えられそうであることは、ちょっと感慨深い。
あの当時、30年後の自分がどうなっているかなどは想像もつくはずもなく、ただ漠然と大人になることを想像していた。

 ただ、あの当時からこのタイムカプセルのことはずっと忘れたことが無く、実は去年がその時期だとずっと思い込んでいて心待ちにしていたのだが、母校のHPには何にも書かれていなかったので、忘れ去られてしまったのかと拍子抜けしていた。 今回改めてよく数えなおしてみると今年であった。

 あれから30年、私も紆余曲折の半生を経て今何故か上海にいる。当時の自分は上海という街があることすら知らなかったと思う。
 今回折角の式典なので、国境の壁と原油高の山は結構高いが、出来る限り何とか都合を付けたいとは思っている。

 残念ながら同級生の顔はほとんど覚えていないし、覚えていても皆おじさんおばさんになっているだろうと思うので無駄かもしれない。
 まあそれも含めてタイムカプセルであろう、というかこちらは浦島太郎の玉手箱か(笑)とにかくタイムカプセルをあけてみよう!
 原油の値段がそれまでに下がってくれることを祈る。