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2013年09月01日 カルフールの売り場表示が復活
 先日のブログでカルフールの売り場表示が無いことに困ったことを書いたが、昨日に同じカルフールを訪れたところ、不満が通じたのかどうか分からないが、きちんと売り場の案内表示が復活していた。

 しかもきちんと中国語と英語が併記され、外国人などにもそれなりの配慮がなされている。

 まあ、設置されているボード自体は簡素なもので、天井から針金のようなもので吊られただけの簡単な設置であり、ひょっとすると現時点では仮の設置かもしれないが、仮であっても本番仕様であっても、まずはこれで十分機能を果たしていると言える。

急遽携帯で撮ったので曲がったが・・・
 やはり、先日は改装中の相当間の悪いタイミングで訪れたのか、同様に客からのクレームが入って急遽設置したのか分からないが、品物がどこに設置してあるか分からないような売り場のつくりは、中国であってもあり得なかったようである。

 まあ、前回のような売り場表示の空白を作り出してしまうような適当さが、まだまだ中国的とも言えるが、幾らコストダウンのためとはいえ、無駄だと言って売り場表示まで省いてしまうといった対応はやはり無かったということである。

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2013年08月20日 偽名の推測
 山之内 淳=村井ってとこでしょうかね。
 本人が名乗らない限り確証はないですけどね。

 本人だったら何故謝罪もなく、何故媚びて来るのか分かりませんが。
 
 ま、人違いだと思いましょう。


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2013年08月18日 あの医学博士の凄い実態
 子供の時にはよく読書で数々の偉人伝だの伝記などを読み、先人たちの偉業などを学んできたが、それらは子供向けの本であったこともありその人物の良いところばかりが書かれた本を読んでいたような気がする。

 しかしながら大人になって、それらの人に関する大人向けの資料を改めて読み返し、それらの人物の知らなかった一面を知らされると、かの人物が偉人伝に含まれていたことにいささか違和感を感じる時がある。

 その一人がかの医学博士野口英世氏である。

 まあ子供の時に読んだ一般的な伝記の中身としては、福島の会津の貧乏な農家の息子が、1歳の時に火傷でくっついた指を15歳の時に医師に手術してもらって治ったことに感激して医師を目指すことになり、その後上京し勉学に励んだ結果見事に医師となり、やがてアメリカに留学し黄熱病などの研究に功績を残したというのが概ね共通する内容であろうか?

 まあ、この辺りの書かれている内容はウィキペディアなどを見る限りにおいては、事実は事実として概ね間違っていないようであるが、問題は子供向けの伝記には書けないような事実がかなり抜け落ちており、人物評価がかなり修正されたイメージになっているということである。

 例えば、野口氏はかなりの浪費家で、田舎で40円もの大金を借りて上京したが、わずか2か月の放蕩で使い果たし、下宿を追い出されたようである。

 この時代、野口英世が世話になり後に重要な援助者となる血脇守之助の、当時の講師としての月給が4円であったことから、いかに野口氏が凄い浪費ぶりであったかが伺える。


 しかしこのピンチに野口英世氏は今度はもう一つの能力を発揮し、世渡り上手というか饒舌家ぶりを見せ、血脇氏をうまくそそのかして彼の給料を上げさせ、自分の学費などを捻出することに成功したとのこと。

 さらにこの野口英世という名前も、元は野口清作という名前であったが、当時人気の小説に本人に似た名前の主人公が登場していて、本人同様の自堕落な生活を送っていることが描かれていたため、これを嫌って名前を変えることにしたようである。
 しかもそのため田舎にいた別の清作という名前の人に無理やり別の野口家に入るよう頼み込んで、強引に同じ名前が同じ村にいるのは紛らわしいという理由を作り出し役場に改名を認めさせたというから、どうもやることが凄い。

 そのほか婚約者の持参金を使って留学し相手から婚約破棄させるように仕向けるとか、大学に通ってないのに履歴書に3年学んだと記載して米国で学歴詐称を通すとか、清国への国際防疫班の支度金96円を放蕩で使い果たすとか、偉人伝に描かれる姿とはまるっきりイメージの違う姿がそこにあるようである。

 ただ、こういった胡散臭い人間振りを発揮していた一方で、伝記に描かれるような研究熱心さと優秀さについては間違いがなく、実は子供向けの伝記にはあまり描かれないが、梅毒関連の研究が非常に評価され研究者として高名となったようである。

 まあどんなに立派に聞こえる人間でも、社会的に評価される部分とだらしない部分を持ち合わせているのが普通だと考えれば、野口英世氏もその例に漏れていなかっただけとも言えるが、偉人伝とはあまりにもかけ離れた驚きの実際の人物像である。

 今の世の中にも学歴詐称や都合の悪い経歴を消したりする人は大勢いるわけで、そうやって都合よく創り上げられた「立派な像」に誤魔化されないように気をつけたいものである。


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2013年08月14日 自己陶酔的な形容詞
 中国語の文章を読んでいるとやたら出てくるのが華美な形容詞であるが、日本人の私はあれが苦手である。

 特に観光地の説明文章などにはそういった華美な形容詞がやたら目につく。

 どうも書いた人間が自己陶酔している感が伝わってきてしまい、ちょっと気色が悪く私には受け入れがたいのである 

 そういった華美な表現に含まれている形容詞の大体は主観的なもので、共感できない場合が多く、結局は物を見る判断材料としての現実を何も伝えてくれない場合がほとんどである。

 従って翻訳が必要な文章の中にそういった内容が含まれる場合、表現者には悪いがそのほとんどはカットすることになる。

 その代り一つの事実を伝える時はそういった主観的な言葉ではなく、なるべく必要最低限かつ不足のない客観的データを羅列し、受け取り手の頭の中で一つの像を組み立て易いような材料を提供するのが、中国語を翻訳して日本語で表現する時の心構えだという気がする。

 ただ、場合によっては言葉は主観的な表現をするからこそ意味を持つ場合もあり、その場合には、逆に敢えて幅がある形容詞を使うことに意味がある。

 例えば人と人のコミュニケーションにおける言葉であり、女性に対して「あなたは美しい」と褒める場合は言葉が主観的であるから意味があり、それを客観的に「目と鼻と口のバランスが素晴らしい」と褒められても言われた人は嬉しさが半減するため、曖昧さを含んでいた方がいいのである。

 しかしながら受け取り手が不特定多数の説明的文章の場合は、やはりこういった主観的なあいまいな言葉はなるべく排除するようにしている。

 まあ私自身が文章を書く際に、いつも気にするのは自分が感じている感覚をどう損なわずに同じように受け取り手に受け取ってもらうかであるが、そこに自己陶酔的感覚を感じられてしまったら、感覚の押し付けになりその時点でアウトだと思っている。

 こうやって考えると、中国語の自己陶酔的表現はいかにも一方的な押し付けという気がするが、中国語の文章の世界では当たり前のように氾濫している。

 中国人にはそれだけ自己陶酔している人が多いのか、或いは礼儀的な意味で脚色することが文化なのか、今の時点ではその理由は分からないが中国語の華美な形容詞にはいつもうんざりしている。


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2013年08月11日 スパムトラックバックの傾向
 かなり以前からここのブログのスパムトラックバックの送り付けが激しい。
まあマメに消しているので、私のブログに蓄積は無いのだが、毎日絶え間ない。

 本来サーバー管理者側などの対応で防げるはずなのだが、どうもスパムトラックバックの放置に対する認識がないのか、対処が行われない。

 で、仕方なく削除を作業していると、送りつけられるトラックバック先の記事というかタイトルに偏りの傾向があることに気が付いた。

 最初は機械的にクローラーが回って、万遍なくスパムのトラックバックが送りつけられているかと思ったらどうやら違うようである。

 或いはそういった自動クローラーのスパムに紛れ込ませて、誰かが人為的に特定のブログタイトルを狙って嫌がらせをしているのではないかと疑える程、集中してトラックバックが送り付けられるタイトルがある。

 まあ私も、ブログ上で色んな批判をしているので、反感を持つ人も当然いるとは思うのだが、もしそういった不満を示すためのスパムトラックバック送り付けだとしたら、やはりその手段は姑息と言うほかない。

 以下にスパムトラックバックの集中するタイトルを上げてみた。


無責任に投げ出した人が未だ平気な顔
ニセ医師検索システム
歴史好きの見識
雨水を過ぎると雪が積もらない
人形浄瑠璃の魅力
鳥からは感染しにくいらしい
睡眠って難しい
動物の地震察知能力はもっと研究する価値あり
上海の地下鉄世界一は過大評価
日本人的安心感と中国人的誠意感
餃子に対する日本人と中国人の認識の逆転の驚き
占いにふわふわ流される
今日のランチ あの「天丼てんや」さんで「天丼」
ふりかけの再評価
上海のホットペッパーがファッション誌化している
意味のない中国の航空便遅延保険
ルームシェアだらけの中国の住宅事情
F(訪問)ビザ「労働者!」はご注意を


 果たしてこれらに集中するのは、意図的か偶然か?

 これらが意図的だとするならば、何となくプロファイリング的に一定の人物像が浮かび上がってくるような気がするからちょっと不思議である。

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2013年08月04日 行き先表示の少ない上海の地下鉄車両
上は10号線車内の表示、下は日本の武蔵野線で車両側部に行き先と列車種別が表示されている。
 地下鉄に乗っていていつも感じるのだが、列車の行先案内表示が非常に少ないという気がする。

 日本の地下鉄や車両の場合は、ほとんど全車両と言っていいほど、行先表示板が設置してあり、その列車がどこ行きなのかわかるように表示してあるが、中国の地下鉄にはこういった行き先表示をしている列車はあまり多くない。

 僅かに一部の車両と、列車の先頭車両の前頭部には行先が出ているが、最近はホームドアが発達して列車が見難い状況が生まれており、列車がホームに進入する時に注意深く見なければ気が付かないレベルとなっている。

 例えば3号線と4号線は同じホームと線路で交互運行しており、車両の色で見分けられる面があるとはいえ、それは乗り慣れていない人でなければ分からない事であり、各車両に行先表示が無いのはやはり利用者を惑わせている。

 まあ上海の地下鉄は元々、一つの路線に対して一つの運行パターンと言う単純運行の列車が多く、あったとしても途中折り返しが時々ある程度のシンプルなパターンなので列車ごとに行先が違うことも無く、そういった行先表示を列車ごとに明確にする必要がなかったかもしれない。

 つまり日本の場合は同じ駅からでも乗る列車によって行先や停車駅が全く異なる複雑な列車運行体系を取っている路線が多い為、こういった行先表示板が無ければとんでもない所へ連れて行かれるリスクがあるだが、中国の地下鉄にはそういったリスクがない為、行先表示板の必要性を感じていないのだと思われる。

 しかし、数年前から10号線や11号線と言った支線を持つ路線が登場してからも、その状況は変わってない。

 10号線は龍渓路から虹橋鉄道駅方面と航中路方面へと分岐し、それぞれへの列車がほぼ1対1の割合で交互に走っているので、間違った列車に乗ってしまうと目的地と違う駅に行ってしまう可能性がある。

 しかし車両の内部には僅かに行先表示が出ているが、車両外部にはその表示が見られないし、分岐する龍渓路駅も両方向への列車は行先方向別にホームが別れておらず、同一ホームで乗り分けとなっている。

 しかも龍渓路駅では僅かにホームの一部に何か所かに「この列車は○○行き、次列車はXX行き」などと電光表示されているだけで、各ドアの入り口に標示されてはいないので乗車時にいつも戸惑うのだ。

 一応駅のホームの到着列車情報などにはその行き先情報が出ており、それをじっくり見れば、次の列車の行き先はわかるようになっているのだが、文字が小さいので近寄ってみないと分からないし、そのモニターの数とて十分とは言えず、ホームに2~3個しかないのである。

 11号線もほぼ同様で分岐する嘉定新城はやはり同一ホームで乗り分ける形を取っており、車両には行き先が表示されていないので、やはりホームの情報モニターか、構内放送が頼りとなるのだが、人が多くてうるさい時間帯や中国語が聞き取れなかったらアウトである。

 まあこの地下鉄表示に始まったことではないが、中国の交通ターミナルは巨大なものや外面が綺麗なものは増えてきたが、案内表示などは初めて来た人ような慣れていない人の目線で案内をするという視点にいつも欠けており、見栄え優先で利用者の視点はいつも二の次になっている気がする。


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2013年07月27日 iPhoneは現代のラジカセ
 以前から感じていたことであるが、iPhoneというのは現代版のラジカセのような位置づけなのかなという気がする。

 もちろん外観や中身が一緒というわけではなく社会的位置づけという意味である。

 ラジカセというのは言うまでもなく「ラジオカセットレコーダー」のことで、つまりラジオ、カセットレコーダー、アンプ、スピーカーがオールインワンで一体になった音楽再生機器であり、それまでバラコンと呼ばれていたステレオ機などをコンパクトにしたものとして非常に広く普及した。

 後にはCDやMDの登場により、CDラジカセやCDMDラジカセなどの商品も出来たが、それらを含めてそれまでラジオ放送や高級ステレオを持つ人しか楽しめなかった音楽を、ラジカセの普及が個人で音楽を楽しむという行為を可能にし、スタイルの普及に繋がっていったという気がする。

 また同様にiPhoneもそれまでいろいろ在野にあった電話、ネット、音楽プレーヤーなどをコンパクトにオールインワンで一つに集約し、分かりやすいインターフェイスによって簡単な直観的操作が可能になったためのヒットした商品であると思う。

 このiPhoneの登場によりそれまでITには縁の無かった人にも大きく普及することになり、ITのイロハも分からなかった人たちがITに近づいたような印象を与えることに成功したのである。

 つまり在野にあった技術をコンパクトにオールインワン化して使いやすくし、それまで音楽やITに縁遠かった初心者たちを取り込むことに成功したという点が共通しているように思えるのである。 

 日本にもガラケーと呼ばれる多機能電話は既に普及していたが、インターフェイスの面でキー操作にこだわっていた点で必ずしも使い安とは言えず、魅力的とは言えなかったのだが、それを克服したのがiPhoneといえ、技術的に凄いというよりも、分かりやすさの勝利ではあった気がする。

 もちろん、ラジカセもiPhoneもオールインワンゆえの性能の限界はあり、音楽もITもハイレベルなものを求める者からするとおもちゃ同様のようなこのラジカセとiPhoneだが、結果的に売れているということは「ハイスペック」より「使いやすさ」を求めたほうが商売としてはうまくいくという一つの見本のような結果となっているのである。

 ただ、その盤石に見えたiPhoneもやはり創業者のSジョブズ氏が亡くなって以後、勢いがなくなって来ていて、どうもマイナス点がちらほら目立つようになってきた。

 例えば地図の失敗の例に見られるように、商売を欲張ったのか自社の技術を過信し他社技術を排除しようとして失敗する状況に陥っている。

 そしてもう一つの理由として在野からiPhoneへ新たにインターフェイスに取り込める要素が底をついてしまったのかなと思えるのである。

 アップル社にはインターフェイス以外にそれほど強力な独自技術が備わっている訳でもないため、統合する要素が新たな刺激要素のはずだったが、どうも新分野を開拓できない状況に陥っているようである。

 最新のiPhone5Sに至っては、画面が大きいとかカラーバリエーションが多いとか、本体機能ではなく枝葉の部分にしか主要改善項目が見られなくなってきており、いよいよiPhoneの革新的ブームも終焉という感は否めない。

 私も昔ラジカセを買ってもらった時は嬉しかったが、だんだんその機能制約や音質に不満を感じてきて結局バラコンを求めるようなったように、オールインワンツールと言うのは入門段階としては最適だが、結局入門用は入門用でしかなく、iPhoneもまたIT初心者を喜ばせるおもちゃとしては十分過ぎるものではあったが、逆に言うとそれ以上の物でもないため、そろそろその最初の役割は終わりになりそうな気がする。

 まあラジカセの登場により音楽を語る人が増えたのと同じように。iPhoneの登場により俄かIT信者が増え、何も分かってないのに偉そうにITを語る輩が増えたのは苦々しくもあったが、普及という意味では意味のあった存在と言えるかもしれない。


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2013年06月24日 上海高島屋に足りない百貨店が儲かる立地条件
 上海に昨年進出した高島屋が苦労をしているとの話を聞く。

 まあ色々理由はあろうと思うが、素人目から見てもあの場所では客の入りは悪かろうという気がしている。

 恐らく当初の目論みでは虹橋開発区のビジネス街や古北新区の高級住宅街に近く、さらに地下鉄駅に直結するという立地条件のため、裕福なホワイトカラー達が利用しやすい場所として選んだのではないかと思われるが、これを見る限りどうも高島屋は老舗の割には自分たちのターゲットとする客層を正確に掴んでいないのではないかと心配になる。

 確かにミドルのホワイトカラーは重要な客層の一つであろうが、我々の生活を考えてみても分かるように、一般のホワイトカラーレベルのファミリー層がデパートで高級品を買うような頻度はそれ程高くない。

 故にビジネス街や住宅街が近いというだけではそれほど客を呼び込めないという気がするのである。

 では、百貨店が儲かる立地条件として何が重要なのかと言えば、私が考えるに「男女が出会う場所に近い」という条件が重要であるという気がしている。

 何故ならデパートの取り扱い商品の大多数は女性物でありながら、実はそれを買い求める際の財布の出どころは圧倒的に男性であり、特に中国はその傾向が顕著となっているため、男女関係の力学の存在なしに消費は大きく動かないのが世の中の道理だからである。

 つまり男性が女性の気を引くために、普段なら買わないような高級品を無理をして買いプレゼントするような行動があるからこそ、百貨店のような高級品ばかりのお店にお金が落ちるのである。
 それ故に百貨店の立地場所として相応しいと言えるのは、既に安定した男女が生活を送る住宅街のそばなどではなく、男女が新たに出会う場所の近くということになる。

 そういった条件にあてはまる場所として考えられるのが、まず映画館やカラオケなどといった娯楽施設のそばであり、更にはKTVやクラブと言った夜のお店のそばだという気がしている。

 夜のお店のそばが相応しい立地条件と言われたら、百貨店関係者からすると馬鹿にするなという意見もあるかもしれないが、銀座に老舗の百貨店が多いのは銀座のクラブの存在なしには語れず、大阪の梅田だってキタの存在なしには成立していないのだという気がするのである。

 振り返って上海の状況を見てみれば、2号線の婁山関路駅上にあるパークソンは出来てからそれほど間もないのに賑わっている背景には、向かい側のビルに日本人向けKTVや量販式の一般カラオケがあり、男女が集う条件が整っているからだと思われる。

 実際、KTVのそばの百貨店で鞄や洋服を買わされたという日本人の男性駐在員の声を聞くことは少なくない。
 
 これらのことから考えて、上海の高島屋が成功するには百貨店単独の努力だけでなく、もう少し周囲に男女が集う条件を整える努力をするべきであろうという気がしている。

 まあKTVやナイトクラブを誘致せよとは言えないが、せめてカラオケや映画館、ボウリング場などと言った男女が集うための娯楽施設を周囲に呼ぶような努力をしない限り、あの場所で成功するのに何年かかるか分からないというのが私の印象である。


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2013年06月23日 富士山が世界遺産登録
今年の正月に撮った写真(手前はスカイツリー)
 日本の富士山が世界文化遺産に登録が決定したという情報が今朝のコンフェデ杯の中継の合間のニュースで何度も流されていた。

 まあ、世界遺産に登録されようとされまいが富士山の価値は不変であろうと思うが、今まで登録されていなかったのが不思議だと言われるくらい、シンボルオブジャパンとしての存在感を持っていたのが富士山であり、わざわざ語るのが野暮なくらいその姿が世界に広く知れ渡っている。

 恐らくその知名度たるや、自然景観で言えば米大陸のナイアガラの滝や豪大陸のエアーズロックに比肩するレベルであり、建造物のピラミッドや自由の女神などにも負けない浸透度と思われるが、その富士山が今回ようやく世界遺産に求められることになった。

 そして今回注目すべきなのは、自然遺産ではなく文化遺産として登録されている点である。

 つまり富士山は自然としての貴重性ではなく、浮世絵を初めとした数々の絵画に見られるように信仰や文化面における存在価値を認められての登録となっている。

 確かに、初富士などの言葉にも見られるように自然信仰としての富士山の存在は大きく、私も今年の正月に富士山を拝んだことを記憶している。

 そして富士山のあの雄大な存在感は、自然の畏怖を我々に与えてくれ信仰心の薄い私でも拝みたくなる存在であり、向かい合うだけで他の山では感じない程の懐の深さを感じずにはいられず、身の引き締まる思いになる。

 そう思うと世界文化遺産だと言われることにしっくりくる。

 まあ直接富士山の見えない西日本や東北の人にとっては、富士山が日本のシンボルと言われることについてどういう意識を持っているかは分からないが、もし「日本人としてのアイデンティティ」をどうしても一つ求めなければならないとすれば、この富士山は最もふさわしい気がしており、例えば難癖の付きやすい国歌なども、文部省唱歌の「ふじの山」に制定すれば、誰からも文句の出ようもないという気もしている。

 今回世界遺産に登録されたからというわけではないが、金儲けやつまらぬ意図をもった人から富士山を守ることが現代に生きる我々の使命でろう。
 

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2013年06月20日 香港と上海の夜景の闇の深さの差
香港の夜景(斜めになってしまった、、)
昨夜香港にやってきて、久々に香港の夜景を眺めてみた。

 上海も外灘の夜景や陸家嘴など摩天楼群の夜景が有名だが、香港の夜景は100万ドルの夜景と言われるほど有名であり、こちら年季が違う。
 上海の夜景より香港の夜景の方が迫力がある。

上海の夜景
 上海も外灘の夜景や陸家嘴など摩天楼群の夜景が有名だが、香港の夜景は100万ドルの夜景と言われるほど有名であり、こちら年季が違う。
 上海の夜景より香港の夜景の方が迫力がある。 どこに違いがあるのか考えてみたが、ビルそのものより背景の問題かなと言う気がする。

 上海の夜景は手前のビルだけが光を放っているが、香港の場合は何層にも重なって高層ビル群が立ち並び光を放ち、数の上でも圧倒し、そこにはまさに100万ドルの富がたくさん詰まっている。

 そしてこの迫力の違いを決定づけるのが背景のピークの稜線の光なのかなという気がする。

 背景の山の中にポツンとポツンと見える光と、その間の闇がゾッとするような奥深さを感じさせるのである。


 昔どこかで読んだ資料に、イルミネーションに人は何故惹かれるのかと言った説明で、人は光に惹かれるのではなく、光と光の間に見える闇の空間に惹かれるのだと言った文章があった。

 そういった意味でいえば、この香港の夜景の光の後ろに見える闇は惹かれるのに十分な闇である。

 そういった面で言えば上海の夜景はどこかまだ表面的で薄っぺらい。

 もちろん上海の夜景の後ろに山が来ることは今後も永遠にないため、香港の夜景のような奥深さを感じるようになることも永遠に無いのかもしれない。

 香港の裏社会までを感じさせるその闇の深さは、今後も100万ドルの夜景を引き立ててることになるのであろう。


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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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