一昨日見た「たけしのニッポンのミカタ」の番組の中で、日本の未来を暗示するような驚くべき事実が紹介されていた。
まず六本木の某コンビニでは店長以外の従業員はほとんど外国人で、副店長も外国人が務め若いアルバイトに指導を行なっているお店があり、日本人従業員のいない時間帯もしばしばのような現実が紹介されていた。
以前からコンビニ店員に中国人や韓国人の留学生が増えていたのは知っていたが、ここまでまるっきり外国人だらけのお店は初めて見るし、しかも中国・韓国に限らず、北欧や東南アジアの従業員も少なくない。
またあるタクシー会社では日本人より売り上げの良い韓国人タクシードライバーが活躍していたり、八王子の病院ではインドネシアなどからの外国人医師や看護婦が活躍し、日本人より遥かに一生懸命働いている。
もちろん、外国人向けではなく日本人相手として、日本語できっちり対応しており、下手な日本人より遥かに丁寧である。
こういった比較的労働条件のきつい現場ではもう外国人労働力の協力なしには日本の産業が成り立たなくなっているのが現実のようである。
さらに驚いたのは神奈川県横浜市にある某団地では、住民の3割が外国人世帯で、この街の学校では生徒のおよそ7割が外国にルーツを持つ子ども達だという。
クラスによっては30人ほどの人数のうち日本人はたった2人で、あとは中国・韓国・タイ・ベトナム・インドなどアジア各地にルーツを持つ子供たちが学んでいる場合もあるようである。
もちろん授業や会話の基本になるのは日本語だが、多国籍の現状を考慮して学校側も各国の挨拶をみんなで学ぼうとする授業を行うなど、国籍の垣根を越えた授業を行なっていた。
まあ、見れば見るほどここは本当に日本なのかと疑いたくなる風景であった。
もちろんこれは極端な例であって、ここの現状はラオス・カンボジア・ベトナムなどの難民受け入れが多国籍の発端らしいが、そうだとしてもこれがフィクションではなく日本で現実に起きている状況だということが驚きとなる。
社会の多国籍化というのは頭では分かっていても、こういった状況をいきなり目の当たりにすると、心に受け入れるのに時間がかかる気がする
ただまあ上海に暮らす身としては、日本でこの状況が起きていることが驚きであるだけであって、上海の古北などでは同様に欧・米・印・日・韓など人々が当たり前のように入り乱れており、そういう状況そのものは私にとって日常の光景になっている。
今回、東京オリンピックの開催が決まって日本国内では「日本に元気を取り戻す」など「日本のオリンピック」として喜ぶ声が多いような気がするが、確かに地理的な意味で東京は日本の首都ではあるものの、今回紹介されような社会の現状を目の当たりにすると、彼らのいう「日本」とはいったい何なのか?その意味を考えさせられる。
日本では在日朝鮮人の問題を騒ぐ人も少なくないが、そんな1か国の外国人の問題では済まない現実が日本国内にあるのである。
恐らく7年後の東京オリンピックでは通訳スタッフだけでなく、外国人の警備員や販売員、運営用員など外国人スタッフの活躍なしでは成り立たないのではないかと思える程、日本の人材基盤は脆弱になっているような気がしており、つまり「日本の力」ではなく「多国籍の力」によって東京オリンピックは実施される、そんな気がしている。
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