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2013年03月24日 人生は休日の過ごし方で変わる。
 先日惜しくも準決勝で敗退してしまったWBCの侍ジャパンであるが、一部の選手や首脳陣たちの休日やオフ時間の過ごし方に批判的な記事があったのを見つけた。

 一部の選手たちが休日返上で練習を行なっている傍らで、監督が映画館で映画を観ていたとかコーチが関係ないイベントに参加していたとか、選手たちが夜遊びにうつつを抜かしていた云々の記事である。

 まあ休日であったりオフの時間帯であった模様だから、拘束される義務のない時間帯の出来事であり、基本的にはその時間をどう過ごそうと個人の自由であって法律に違反するような行為でなければ非難することはできないと思う。

 ただ休日に何をしてもいいと言っても、野球と全くない行動をしていた姿は応援する側から見れば期待外れの姿だったことは否めない。

 もちろん、体を休めたりリラックスするための気分転換の日や時間は必要だと思うが、1年もの長丁場の中の1日だったのならともかく、たかが1ケ月程度の合宿から本番までの日程で、しかも本番直前の大事な時期に目先のこととは全く関係ない時間の過ごし方は、目標に対する熱意がなく、参加そのものが彼らにとって義務で仕事だったというようにしか見えない印象となる。

 まあ義務でもなんでも協力してくれたわけだから彼らを責めることはできないものの、目標に対する熱心さに欠ける姿を感じ敗退の結果以上に失望を感じたのは私だけではないだろう。

 もし目標に対する熱意を持って参加していたなら集団での行動は休日であったとしても、集団に拘束されていない時間だからこそできる目標のための行動は幾らでもあっただろうに思う。

 引き合いに出して申し訳ないが、元中日の落合監督や日ハムの栗山監督などは休日でさえ野球のことから頭から離れず、どうやったら勝てるかそればかりを考えていたという。
 時には休日を返上して選手の練習に付き合うようなこともあったというから、これらに比べると今回の首脳陣の目先の目標に対する熱意が、彼らほどに感じられないのは確かである。

 今回のWBC参加に際して色んなごたごたがあって、時間的不足が生じていたことは仕方ないにしても、熱意を持って行動していれば十分対応できたと思うし、休日の過ごし方も変わってきたと思われ、今回その熱意が見えずに結果的にあのように敗退してしまったのはやはり必然なのかなと思われる。

 振り返って我々のことを考えると、休日の過ごし方というのはやはりとても大事である。
 
 平日にたまった疲れを取るのも大事な役割であるし、精神的にリラックスする時間を確保し平日にバリバリ仕事をするための鋭気を養うという過ごし方もある。
 また趣味を追及したり、仕事以外の人的交流を深めるというのは平日にはなかか出来ないことであり休日ならではのプラスアルファである。

 仕事を平日の出勤時間で完結させようとする人に有能な人はまずいないと言っていいし、趣味の知識や好奇心、人とのつながりなどを仕事へ活かしている人ほど仕事でも活躍している。 そういう人はやはり休日をうまくつかっており、仕事へ繋げると言っても決して平日の延長の仕事で潰されるだけではない時間の過ごし方をしている。
 もちろん寝て過ごす休みだって、眠り方一つで平日の鋭気は違うだろう。

 子供たちや学生だって学校の勉強をしているだけでは社会で通用する人間には絶対になれないわけで、放課後や休日に遊んだりアルバイトをしているうちに社会で生きる術を身に着けるのである。

 もちろん平日は生活の基礎になるわけだからその過ごし方が重要であることは言わずもがななのだが、人としての価値や個性のプラスアルファを決めるのはやはり休日である気がする。

 人は休日の過ごし方ひとつで人生のその先が変わってくるように思われるのである。


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2013年03月22日 占いにふわふわ流される
 昨年秋から占いの言葉に流されてふわふわしている時間が続いている。

 まあ傍から見ると現在の私は頼りない状態のように映るだろうし、実際私自身もしっかり地に足をつけているというような実感もなくふわふわと生活している状態が続いている。

 まあ社会常識的に行動するれば、無理やり地に足をつける方法もあるにはあるだろうが、そうやって無理にどこかへしがみついて前へ進むことが決してベストな選択ではないなというのが、過去数年で学んだ教訓であり、敢えて今もふわふわな状態で流れに身を任せている。

 断っておくが決して1人の占い師に洗脳的に諭されたされたわけではなく、幾つか複数の占いを総合すると大同小異で同じような結果を示していたので敢えて占いに流されてみようという気になったのである。

 ただ占いに流されているといっても、突然好運が舞い降りてくるでしょうといった根拠のない棚ボタ的好運の到来を告げられたわけではなく、良い状態へ変わっていく方向性のようなものを示されただけであったため今現在ゴールが見えているわけでもない。

 しかし実際自分の周りの現実が占われたような変化を起しており、良い方向へ向かう兆しもありそうなので敢えてそういった状態を続けている。

 もちろん、ふわふわだからといって決して毎日堕落した状態に陥っているわけでもない。

 むしろ、以前よりストイックな姿勢で日々過ごしているといってもいいくらいで、日々とりあえず今思っている方向へ真面目に進んでいる。

 まだまだ力としてはひ弱すぎて、他人こうだと自信を持って方向性を示せるほどの形にはなっていないが、とりあえずはその方向を信じて立ち止まらず前へ進んでいる。

 先日まで今のこんな状態に非常に焦りを感じる面もあったが、今はそういう時期なのだとやはり複数の占いが示していたものを見て心が落ち着いた。

 まあ1人の人間の意思として、カルト的に占いにばかり人生を左右されてしまうことは私としても避けたいのだが、良い方向へ向かうと言うなら今の努力を続けようと思っている。

 うまく言えないが、私は今そんな状態の位置を過ごしている。


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2013年03月19日 待機指示の重要性
 あいまな指示の話の続きだが、仕事やイベントにおいて大勢の人が時間や行動を共有し進行する上で大事な指示のひとつに「待機指示」というものがある。

 文字通り「待機していなさい」という意味の指示であり、ある意味「何かをしろ」という行動を促すための指示とは真逆の指示となる。

 しかし、これは特に集団に相対するときに重要な指示となる。

 つまり指示する相手に、どう行動していいのか分からなくなるような中途半端な時間を与えないための指示であり、今は集団の行動に従う時間なのか個人の自由で行動していい時間なのかをはっきりさせるための指示である。

 最近何度か中国の結婚披露宴に参加して感じたことだが、中国の披露宴の司会者は「拍手をしてください」などの「行動指示」はするものの、この「待機指示」についてはほとんど気を配らず指示が出ない。

 故に参加者にとっては今がイベントの時間なのか、休憩の時間なのか判断できない空白の時間が度々生まれており、トイレや電話をかけに行ってもいいのかよくわからないアイドル状態になることがしばしばになっていた。

 まあ、イベントのタイミングであろうがなかろうが集団の中でも平気で個人行動ができる中国人達にはそのような「待機指示」は無意味なのかも知れず、故に司会者も指示しないのかもしれない。

 しかし周囲の流れに気を遣う我々日本人にとってはその指示は重要で、結婚披露宴のような特別な儀式の中では司会者の指示に頼るほかないので、その指示があいまいだととても行動に困るし、精神的に無駄な神経を使うことになる。

 このような結婚披露宴の参加者群という訓練されていない人の集団をまとめるには、やはり司会者などの取りまとめ役から動と静の切り替えの指示は必ず必要で、アイドル状態の空白の時間を作らないのがイベントの司会者の大事な仕事の一つとなる。

 つまり結婚披露宴で言えば「いましばらくご歓談ください」という司会者の一言は、くだいて言えば「次にタイミングを指示するまでの自由な時間ですよ」という意味になり、参加者たちにとっては拘束から解放される時間となり安心感をもたらす。

 まあ中国人達がこういった待機指示の重要性を理解していないのは、何も披露宴の司会者に限らず一般社会の仕事の中でも同様なようで、中国人達は「あれをしろ」「これは止める」の指示は出来ても止めた後のフォローをしない、つまり待機指示がなく放置状態となる場合が多々ある。

 止めさせたのだからいいのだというところで相手が思考の外に出ているのだ。

 つまり相手が「待機」という稼働状態であることへの理解が出来ていないのだと思われる。

 しかし集団が一つの行動をするためにはこの「待機指示」はやはり非常に重要である。

 中国人はスポーツにおいて団体競技が苦手といわれるが、こういった他者の状況の把握と指示という意識に欠けてしまえば、集団での行動がぎくしゃくしてまとまらずに力を発揮できないのは当然である。

 足し算ではいえば人口的に圧倒的な力を持っている中国が、未だ日本に及ばない面があるのは国民のこういった集団への気配りの差のような気がする。
 


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2013年03月19日 あいまいな指示
WBCの侍ジャパンが三連覇の夢潰えて敗退が決まった。

まあ野球という勝負事において永遠の勝ちっぱなしは有り得ないから、負けてしまうことは仕方ないのだが、大事なところで痛恨のミスが出たのがやはり残念であった。

 今回は指示があいまいなために出たミスである。

 複数の人間が意図的に同時に行動するためには必ず決まりごとが必要になる。

 そしてその意思疎通が必要になるはずなのだが、今回意思を疎通すべき2人の人間の間にきちんと決まりごとが徹底出来ておらず、その確認徹底を指示できなかったためにミスに繋がった。
 
 今回の件について具体的に言えば、ダブルスチールを敢行する場合の段取りと中止する場合の段取りの意思疎通が必要であり、これが徹底できてないからミスに繋がったと言える。

 このように野球に限らず複数の人間が一つのことを一緒にやろうとする場合は絶対にあいまいな指示は禁物である。

 例えば私が昔芝居の音響をやっていたときは必ず「きっかけ」というものが存在していた。

 それは役者のセリフだったり動きだったり、あるいは照明の変化だったりその中身は色々だったが、音をスタートさせたり止めたりするには必ず「きっかけ」が必要で、もし役者の動きがきっかけになっている場合は、必ずその役者に動きがきっかけになっていることを伝えておく。

 こうしておくと、例えセリフは飛ばしたとしてもそのきっかけは必ず押さえてくれるのである。

 逆に言わないでおくと、役者が突然その場のアドリブでセリフを変えたりした時にきっかけの言葉が無くなりオペレートが混乱し、最悪の場合は音楽をスタートさせられない時もあり、結果芝居がぐちゃぐちゃになる可能性だってある。
 
 そのくらい事前の意思の疎通と明確な指示は大事であった。

 また日常の仕事の上でも、決め事として「こうなったらああしてね」と具体的なきっかけと動きを明確に伝えておくと、いちいちその場で指示しなくても仕事は流れるようになる。

 それを例えば「明日社長が来ます」だけとか言っても、言われた方は会議があるのかないのか、資料が必要なのかないのか、或いは待機する必要があるのかどうかまるっきり分からない指示となる。

 少なくとも一度は「社長が来る日は必ず1時間ほど会議を行ないますので、必ず時間を空けて出席し○○の資料を準備してください。」と具体的な指示をしておく必要があり、それを伝えておけば次回からは「明日社長が来ます」だけで済む。

 ただスタッフの入れ替え時のフォローや、行動の確実性などを考えると毎回明確に指示するのがやはり確実とも言える。

 もちろん業務を裁量で任せるような指示方法も確かにあると思うが、複数の人間が絡んで行動する場合、指示された相手が行動に迷うような言葉はやはり業務上の混乱をきたすし、結局連絡をした意味が全くないのとほぼ同じ状態になるから、ポイントだけは明確に指示する必要がある。

 大きな組織で働いたことのある人間はこのあたりを結構徹底的に叩き込まれるはずなのだが、組織に属したことの無い人や組織を離れて長い人はやはりあいまいになる場合が多く、そういう人の下で働くときは注意が必要である。

 その明確さが徹底しないとやはり今回の野球のようなミスを招くことなる。


 複数の人間が同時に動く場合の指示に「あいまい」は絶対禁物である。


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2013年03月17日 映画「麦秋」を見た
 某ラジオ番組のリスナーテーマで、好きな駅というテーマがアナウンスされていたので、自分にとって好きな駅はどこかとを思いめぐらせていたところ「北鎌倉」という一つの駅が浮かんだ。

 この「北鎌倉」という駅は横須賀線の駅で、寺社の多い周囲の環境もあって、非常に質素な駅となっており、私も回数は多くないが気に入って何度かこの駅を訪れたことがある。

 夏目漱石の小説「門」もこの北鎌倉駅のそばにある円覚寺が舞台になっており、東京からの距離の割には非常に静寂な空間だと思うし、何よりこの駅はホームに屋根が少ないのが非常に味わい深い空間を生み出している。

 そして、この駅周辺が舞台となっているのがかの小津安二郎氏の映画「麦秋」(ばくしゅう)である。

 実はもっと幾つもの映画やドラマの舞台になっているんじゃないかと思ってインターネットで調べてみたが、今のところヒットしたのはこの「麦秋」だけであった。

 そこでこの「麦秋」という映画を改めて見ることにした。

 映画史に燦然と輝く小津安二郎の作品群であるが私にとっては時代が古すぎる映画なので今まで「東京物語」は見たことがあるがこの映画を見たことはなかった。

 「麦秋」は1951年の作品で発表から実に60年以上も経っており私の両親がまだ子供の頃の映画ということになる。

 ただ、見始めると本来は隔世の感があるはずなのだが、どこか懐かしくそこまで違和感を感じないのが不思議な映画であった。

 言葉の言い回しなども想像以上に現代の言葉に近く、昭和26年の戦後の時代という言葉のイメージ程には遠い時代の作品ではないという気がしたのである。

 タイトルの「麦秋」とは秋の意味ではなく春の麦の収穫時期を指した初夏の候を表す言葉で、原節子さん演じる主役の紀子という女性が結婚という人生の実りに際する部分と重ねられてつけられたタイトルだ。
 英語では『Early Summer』(初夏)というタイトルが付けられているようだが、これだと収穫時期(適齢期)の「実り」の意味が消えてしまい、言葉として少々ニュアンスが違っているような気がする。

 小津安二郎の映画作品は原則フレームが固定でしかもややローアングル気味の画面が特徴であると言われる。

 現代映画のようなハイテンポさはないが、淡々としたストーリーの中に出演者たちがモノクロ画面を通して見せる表情に実に深みがあり、それだけ役どころの感情が印象的に伝わってくる。

 特に主役の紀子の父を演じる菅井一朗さんの演技は言葉少なにも関わらず、人の心の葛藤や迷いなど数多くのものが見えてくる。
 もちろん主役の原節子さんが見せる表情も魅力的であり、笠智衆さんの演じる兄とのやりとりも一つ一つのシーンが目に焼付く。


 ところでこの映画は特に海が印象的に扱われている。
 映画のオープニングも海であり、全編中で唯一カメラアングルが動いたのがこの海を映し出すシーンである。
 原節子さんと義姉役の三宅邦子さんが砂浜を歩く姿を後ろから撮影し、クレーンでつり上げてられていくであろうカメラから徐々に海が見える構図となる映像となっている。

 このシーンについてウィキペディアなどでは某映画評論家の言葉として、砂の山を登る2人を中心に写すために単に構図を変えないためのカメラ移動の工夫だとしているが、私はここにちょっと異論がある。
 単に構図の安定のためだけに固定カメラにこだわる人がカメラを動かすのだろうかと思ったのである。

 私の印象としては、主役の紀子が今までの淡々とした安定した陸地を歩んだ人生から結婚という大海原が見えてきて、そこへ向かう彼女を義姉が見送るという象徴的なシーンとして取り上げたのではないかと思うのだ。

 つまりここに彼女を含めた周囲の人間の淡々としてきた人生の変化のポイントがあるとして、小津さんは唯一アングルを変化させるシーンにしたのではないか、そう理解している。
 
 まあ全体のストーリーとしてはたわいもない流れの映画だが、1人の女性の結婚という節目を巡って、周りの人もそこに1人1人の人生の葛藤を巡らせるのだと気付かされる実に深い映画であり、やはり名作と言われるにふさわしい映画のような気がする。


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2013年03月15日 O型の逃避癖
 再び血液型の話で恐縮だが、実を言うとB型の私はどうも最近O型人間が好きじゃなくなりつつある。

 何かと集団の中では煙たがられる面の多いB型だが、私の方からすれば余程O型の人間の方が無責任のように映る。

 O型はよくリーダシップがあるだの、決断が速いだの言われるが、B型から見れば全く何も考えてないから素早く行動できるのであって、単に見たまんまの直観的な、思考の浅い行動をやっているようにしか見えないのである。

 しかもその思考の浅さを指摘すると、絶対に己の非を認めたくないのがO型のようで、結果無責任に投げ出して逃避行動に移ったり、だんまりを決め込んだりする。

 最近そういったO型の逃避癖に辟易させられるケースが多くなった。

 O型はどうやら対外的な人間関係よりも自分の利害を最優先基準として他人と関わったり行動しているようで、自分に利益がないものにはほとんど興味を示さず、不真面目なつもりはないのかもしれないが意外と平気で人間関係の道理を踏みにじる。

 もちろん仕事などで絡まなければ、ここまで辟易することも無いが、利害関係が絡んだときは大変で、仕事を任せるならA型的行動をしてくれる人の方がよほど信頼できるなぁというのが最近の私の仕事における血液型人間分析である。

 まあ私のまわりにもO型の知り合いは多いが、仕事関係にならなければ辟易することもないと思うので、なるべく彼らとは仕事で絡む距離にならないよう注意している。



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2013年03月14日 脚がつって目が覚める
 今朝はここ数日より思ったより冷え込んだ。

 まあ冬場の真ん中の時期だったら、部屋の中を暖かくして寝るので心配はないのだが、昨夜はお酒が少し入ったせいもあってちょっと油断をしていた。
 暖かくするのを忘れて寝付いてしまったのである。

 故に、朝起きた時には部屋が冷えていた。

 そして、いつも寝相の悪い私は足を布団から出して寝ていたようである。

 「うっ!」

 右足のふくらはぎの痛みとともに目が覚めた。

 足がつった。

 脚が冷えてつってしまったようだった。

 足の痛みに、アキレス腱を伸ばそうとベッドの上に立ち上がり壁に手をついた!
つもりだったがバランスを崩してベッドの上から落ち、よろめきながらベッドわきの家具に激突した。

 電話の受話器が落下し、ツーツーといっている。

 ようやくこの時点できちんと意識がはっきりしてきた。
 受話器を元に戻して、体制を取り戻した。


 ベッドから落ちたさいに、左手の親指をぶつけたようで、ちょっと痛い。
よく見ると爪の下がちょっと内出血している。

 体も変なひねり方をしたのか肩や背中が痛い。

 つった脚は治ったが、まだ違和感が残っている。

 実は前日の朝もやはり同じところがつっていて、癖になっているような気がする。 

 幸い指以外に大きなケガは無かったが、目の覚め方としては史上何番目かに最低の覚め方の今朝の目覚めである。

 寒さと暖かさが交錯するこの時期は気をつけなくちゃいけない。


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2013年03月13日 B型4人家族
 日本人同士で何人か集まると時々血液型の話になる。

 何型の性格はどうだとか、何型と何型は相性がいいだの悪いだのと、、、。

 ところで私の実家は弟を含め両親ともども全て血液型はB型である。

 家族4人ともB型なのである。

 それを言うと周囲にはちょっと奇異な目に見られる。

 B型特有のイメージにあるマイペースな人間が4人そろった場合、他人にとってはどんな家族になるのか想像しがたいようである。

 でも自分にとっては育ってきた環境がそうだったので、他人から特異な眼で見られようとそれが自然であり、それしか知らない。

 今まであまり血液型と家庭状況のことについて考えたことは無かったが、他人から見るとB型だらけの家族というのは、やはりちょっと特異らしい。

 他の家族と何がどう違うのか、早く家族を持ってみないとその違いは分からないということかもしれない。

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2013年03月12日 大気汚染は低気温が原因?
 日本では季節的な黄砂の飛来とともに中国から流れて来てるであろう悪い空気の問題が話題となっており連日ニュースを賑わしている。

 ただ、その汚染源とされている中国では、世間の気候が暖かくなって、あれだけ騒がれていた大気汚染問題はややトーンダウンした感がある。

 実際、観測値も一時程の酷い数字はなく大気汚染は減ってきているような感がある。

 これは何故であろうと考えてみた。

 幾つか資料を調べてみたが中国ではまともなデータが拾えないのが現実で、説得力のある理論が成立しないのだが、まあそれでも今回一つの憶測的推測を立ててみた。

 それはやはり気温の低下が要因で大気汚染をもたらしてるのではないかということ。

 まず冬の気温の低下による電気需要の増加によって発電量が増大し、火力発電所の稼働が上がっているということは実際にあるはずで、その影響は多少なりあると思う。

 ただ、これだともっと電力消費の大きな夏との差が説明できない。


 次に第2の要因として考えられるのが低温が排気ガスの質を悪化させているのではないかという推測。

 つまり、冬の低温が発電所あるいは自動車のエンジンの燃焼効率を下げて排気ガスを増大させ、或いは汚染度を高めているのではないかということ。

 特に自動車については質が悪いと言われるガソリンと、安い価格の中国車エンジンの問題が大きいような気がする。

 多くの中国製品は、ある一定の基準の条件下では性能を発揮出来ても、条件を変化させた途端に極端に性能が悪化する場合がある。

 まあデータが無いので憶測でしか物が言えないが、中国車の場合はエンジン、オイル、ガソリンなど何れも日本車などに比べ質が悪いと仮定するならば、気温の低い冬場にさらに性能が悪化し、その悪化状況が相まって排気ガスが量・質ともに増大する可能性は否定できない。

 例えば寒さでエンジンオイルの性能が低下すれば粘性が増して平温時より燃料を余計に必要とする可能性があり、さらにその燃料そのものがやはり気温で性能低下すれば燃焼が足りずやはり余計に燃料を消費することになり、結果排気ガスが二乗的に増加する可能性があるということになる。

 それ故か比較的質の良い車が走っている上海では大気汚染が比較的軽く、内陸部で深刻な状態となっており、実はその差の理由はその都市の自動車とガソリンの質に要因があるのではないかと疑っている。

 また火力発電所についても然りで気温の低下で日本の設備のそれよりも燃焼効率がかなり変わっているのではないかという疑いを持っている。

 つまりこういった低温がもたらしている大気汚染であるが故に、現在のように暖かくなってくると状況が解消していく、そう考えるのだがどうであろうか?

 この理屈で行くと自動車の台数を考えるより、「質」を考える方が答えは近いであろうという気がしている。

 春節の花火が大気を汚染しているなどといった一時的な状況に責任を押し付けるのではなく、もっと日常的な状況に目を向けて問題を解決していってほしいものである。
 

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2013年03月11日 中医薬の加工場の実態?
 半年くらい前からであろうか?

 私の住む部屋の下の方に何やら漢方薬の加工作業所のようなものが設置されている。
具体的に何をやっているかは伺い知れないが、どうも生薬の葉のようなものを蒸しているか煎じているかのようなことをやっているようだった。

 そしてあの漢方薬独特の香りが周囲に広がっているので、窓を開けて長時間嗅いでいると気持ち悪くなる。

 まあ悪臭と呼べるほど深刻な匂いではないが、やはりこれも悪臭公害の一つである。

 それに通りに面した扉の前にはズタ袋が積み重ねられ、お茶の出汁ガラのような葉っぱが袋一杯に詰められている。
 それを救急車のようなサイレン灯を上部に着けた車両が毎晩のように運んでいる。

 まあ医療関係の車両がくるということは、少なくとも医療に関係ある物を取り扱っているということであり、臭いから推測すればまあ漢方薬・中医薬に関連する何かの加工場であることは間違いないように感じる。

 果たしてこんな住宅地の真ん中で彼らは何をやっているのだろう?

 日本で医薬品の工場と言えば、もっと厳密な衛生管理を行なっているようなイメージがあるが、その漢方薬加工場と思しきその場所は日本の薬品工場とは程遠い状況であり、衛生状態などは市中の食堂とかとあんまり変わらない状況となっている。

 ひょっとして漢方薬はこんな住宅地環境の中で加工が行われているのだろうか?

 扱っているものがもし本当に薬だとしたら、中医薬関係者の衛生観念を疑いたくなるようなかの加工場で、今後ちょっと中医薬は医者から勧められても避けたいという印象である。



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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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