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2013年12月16日 プレミア観戦天国
 今の部屋に引っ越してから、サッカーのプレミアリーグをテレビで観るようになった。

 日本だとCSなどの有料チャンネルに入らないとヨーロッパサッカーの試合はほとんど見られず、無料で見られるのはたまにNHKのBSとかで放映されるものだけという印象だが、中国では結構コンスタントに毎週生中継と録画放映がある。

 特にイングランドのプレミアリーグは人気があるようで、上位の強豪チーム、例えばアーセナル、マンチェスターユナイテッド、リヴァプール、チェルシーなどが絡むカードは、100%とまでとはいかないまでも結構コンスタントに看ることが出来る。

 そのほかドイツのブンデスリーガやスペインのリーガエスパニョーラなども放映されるが、放映頻度で言えば断然プレミアが群を抜いている印象がある。

 そんな中国のテレビ観戦環境だが、昨年までは欧州サッカーにそれほど興味もなく、また以前の部屋にあったテレビも映りが悪かったので、有線テレビの料金を払わず放置してあったのである。

 しかし今の部屋に引っ越して来た時に、ほぼ強制的に有線テレビの料金を払わされたし、比較的綺麗な画面でテレビが見られるので暇な時間が有るとテレビを見るようになった。

 さらに、日本代表の香川選手が昨年からマンチェスターユナイテッドの一員になっていることは知っていたが、マンUというチームの価値もかつてはそれほど分かっていたわけではなく強い興味も持っていなかったが、色々調べていくうちに次第に凄いことであることを認識するようになり価値を感じるようになったのである。

 そして、今年就任したモイーズ新監督に香川選手がなかなか起用されないという話題が注目を集める中、日本代表の状況を心配する身として、香川選手が出場するかもしれないマンチェスターユナイテッドの試合にも注目するようになったのである。

 今シーズンのファイターズへの興味が失速していく中、ちょうど入れ替わりに興味が湧いてきたというのもあるかもしれない。

 そんな訳でプレミアリーグも見るようになってきたが、まあプレミアに関しては世間で言う「にわかファン」そのもので、目下各チームを勉強中であるが、香川選手以外にも知ってくると興味の湧いてくる選手も沢山出てきたので、日本では金をを払わなければ見られない試合がタダで観られるこのプレミア天国をもっと満喫しようと思っている。



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2013年09月25日 ラヴェルのボレロ
 ラヴェルのボレロはとても有名な曲であるが、とても不思議な曲でもある。

 リズムは最初っから最後までほぼ同じで、メロディもA、A、B、Bのパターンを繰り返し、それをひたすらクレッシェンドで曲の最後まで続けていく。

 構造だけを見れば、あまりにも単純で人々がこれを音楽として好むのかどうか疑問が湧くような内容になっており、感動する要素が見当たらないような気がするのである。

 実際、作曲したラヴェル本人でさえ、この曲が受け入れられるかどうか自信が無かったようである。

 しかし、そういった単純な構造の中に曲に変化を与えているのがメロディをソロで次々に受け継いでゆくオーケストラの各楽器達であり、楽器一つ一つの個性が音楽に様々な色を付けてゆき、同じメロディであることを飽きさせず、寧ろ心地よい興奮を与えてくれる。

 社会にいる同じように見える人間が色んな個性を持ち、それぞれの世界の側面や個性が次々に表に出てくるような、そんな印象である。

 また各楽器はメロディを奏でた後、あるいは奏でる前には小太鼓とともにリズムを刻みその音の輪を広げていく。

 これもかかわる人の輪が徐々に広がっていくようで不思議なパワーを与えられる。

 こういった同じメロディや同じリズムを繰り返しながら、その色合いを次々に変化させながらも曲は弛まなく前に進む。

 やがてソロから弦楽器のユニゾンへ受け継がれキラキラとした光を放ち始め、最後には金管楽器群が荘厳さを感じさせるような眩いばかりの光となっていく。 

 このような過程がとても心地よいのである。

 ただ単純な繰り返し、その中で同じ内容をそれぞれの人が各自の役割を受け持って支えあうことによって大きな力となって結実することが出来るようなイメージ、これがボレロの人気たる所以なのかなという気がしている。

 まあ、気を付けないと国家主義者や権威主義者に利用されかねない内容でもあるが、個々が個性を発揮して大きなものを作り上げるという意味では、私の非常に好きな曲となっている。

 日常の単調に見えるような作業の繰り返しでも、胸を張って信じて前に進むことでやがて協力者が現われ光輝く時を迎える、そんな勇気を与えてくれる力がここにあるような気がする。

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2013年09月09日 オリンピックに持っていた夢
 今回、2020年の東京オリンピック開催決定を受けて、昔持っていた一つの夢を思い出した。

 まあ中国に来て以来、この滞在国で北京オリンピックという時期を経験してしまったがために、オリンピックに対する崇高な精神をことごとく破壊されてしまった印象があり、オリンピックそのものを素晴らしいものとして捉えられなくなっているような自分がいた。

 こういったネガティブな印象は昨年のロンドンオリンピックでやや取り戻されたが、結局あのサッカーの3位決定戦の試合で最後に嫌な印象を残してしまったがために、悪い印象の完全払拭とはならなかった。

 しかしながら、今回の東京オリンピック決定により、トルコとの友好的な争いなどもあって、ようやくオリンピックに対するネガティブイメージを排除した形でオリンピックに向き合えるような気がしている。

 確かに原発事故や震災復興、南海トラフ地震に国家財政など、不安を上げればキリがないが、これらはイベント成功の不安要素ではあってもオリンピック精神そのものを脅かす存在ではない訳で、そういった意味ではようやく純粋にイベントに向き合える気持ちになりつつある。

 さて、私が若い頃に持っていた夢というのは、オリンピックの開会式イベントの演出をすることであった。

 1984年のロサンジェルス大会のファンファーレと開会式の演出に強烈な衝撃を受けた私は、以来小さいながらもイベント的なもの表現的なものに多くかかわって生きてきた。

 あの頃はまだ前回の東京オリンピックが20年前に実施されたばかりの頃であったが、50年くらい経てば、もう一度くらい日本でオリンピックをやるチャンスが巡ってくるかも知れず、私が40歳を過ぎた頃に開催されればいいなぁなどと考えていたのである。

 開会式の演出のアイデアなども何度も何度も頭の中で浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返すほどの想像をしてきていて、例えば和楽器や世界中の楽器によるラヴェルのボレロの演奏を行なって、1人からスタートして最後には世界中の人が一つの大きな輪になるようなイメージが作れないかなど、様々な要素を日々オタク的とも言えるほど色々考えてきたのである。

 そして今回なんと夢に描いていた通りに私の40代の時期に東京にオリンピックがやってくることになったのである。

 これは驚きの予想的中である。

 私にはこれまでの夢がある故にひょっとしてこれは天が与えたチャンスか?とまで考えてしまったのである。

 とはいえ、現在においての自分自身は中国にいるわけであり、中国に来て以来そういったイベントに関わる仕事などから離れてしまっているため、日本の名誉にかかわるようなイベントの中枢に入り込めるような状態ではなくなってしまった。

 もちろん、日本に居続けて望んで努力し続けたところで、中々入れる世界では無いことは、もう私も十分大人になったので良く分かっている。

 しかしながら、こうやって東京オリンピックの開催が実際に決定した現在においては、やはり見る側ではなくできれば作る側に加わりたいというのが本音である。

 今更演出やプロデューサーの位置に立とうなどとは夢にも思わないが、世界中に希望を与えられる演出の一端をどこでもいいから担げたら幸せだなという気がしている。

 こんなことを考えるようになっただけでも、今回の開催決定は私にとって結構衝撃であったニュースであり、開催決定後の時間は決定前の時間とは全く違った人生が流れ始めているような気がしている。


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2013年08月26日 まだ未成熟な中国の音の業界
 中国のテレビ番組を見ていると、映像に関してはデジタル技術の発達でそのセンスはともかくとして、日本とそうそう変わらない編集技術があるのかなと思わせるのかなという映像を多く見かけるようになった。

 しかしながら、目に見えない「音」の現場に関しては、まだまだ未成熟な面が多いのかなという気がしないでもない。

 例えばドラマなどを見ていると、セリフの音量レベルが極端に低い時がある。
 現場での録音時の問題か編集時のレベル統一の問題か分からないが、とにかくレベルが揃っておらず、レベルが低すぎる時があり聞き取りづらいのである。

 まあ鑑賞上ではたいていは字幕があるので、ドラマの流れの筋までは落とさないで済むのだが、音声レベルが低いとやはりそこに気がいってしまいドラマに引き込まれづらくなる。

 そうかと思えば、やたアフレコ(アフターレコーディング)に頼りまくり、現地収録をほとんど行っていないようなパターンも見受けられる。

 確かに屋外ロケの場合は雑音を拾いやすいので日本のドラマでも結構アフレコを使っているが、日本の場合はアフレコは緊急措置だと考えられているようで、役者のスケジュール調整などの問題もあって、極力現地録音で収録している場合が多いようである。
 万が一アフレコになった場合でも何度もリテイクしてで極力シンクロさせるようにしたり、アフレコ部分の口の動きをなるべく映像に写さないような工夫がされ、実際の映像の口の動きと音声がずれることは少なくなっている。

 しかし、中国では現場での録音不良をカバーするためなのかアフレコがちょくちょく見受けられ、しかも編集が適当なため口の動きと音のズレもよく見られる。

 おそらく出演する人のほとんどは専業の役者が多く、アフレコのための時間拘束をそれほど気にしないで済むので、安易なアフレコ補修に頼る場合が多いのではないかという気もする。

 さらに、そのアフレコ録音に編集に関してどう考えても音場の定位(音源の位置)や音場感がおかしい場合もあり、セリフの音声だけが妙に響き方がちょっと不自然な音響空間に存在しているよう印象を受ける場合もたまにある。

 まあ音場云々に関しては再生環境の問題もあるので、テレビドラマレベルでどこまで要求するべきかの判断は難しいが、録音レベル調整に関しては業界での基準統一などがきちんとなされていれば聞き取りづらいなどということは生まれないという気がしているのに、現実にはそうなっていないという状況があるのである。

 こういったレベル調整やアフレコ処理などを見るだけでも、メディアの音処理に関してはまだまだ未熟な面があるのかもしれないと思える中国の「音」の業界の今の状況である。


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2013年07月31日 夏に春の祭典とローマの祭り
 中国にいると、国家が人が集まって騒ぐことを好まないためか、お祭り的なイベントに接する機会がほとんどない。

 そういうイベント的なものはせいぜい春節の花火くらいなもので、日本で言う夏祭りや盆踊りのようなテンションを上げてくれる機会はあまりないのである。

 上海で6年も夏を過ごしているとさすがにそういった、夏祭り的な雰囲気がちょっと恋しくなる面もある。

 まあ私の場合は祭りそのものと言うより、夏祭りのもたらしてくれる音というか、リズムが恋しいと言ったほうが正しいかも知れない。

 そういった時に一つの代用としているのが音楽であり、ここ数週間そんな意味もあって繰り返し聞いているのが、ストラヴィンスキー作曲の「春の祭典」とレスピーギ作曲の「ローマの祭」である。

 何れもストラビンスキーバレエ三部作とローマ三部作と言われている三部作の中の一つの曲である。

 春の祭典は、もともと原始宗教の世界を元につくられた音楽のようで、神に対する生贄の乙女が死ぬまで踊るといった狂気的な内容が表現されている。

 それゆえ、非常に複雑なリズムとメロディが数多く入交じり、不協和音が鳴り響くスリリングな音楽となっており、そういった点で日本古来の祭りの感覚に近い物があり、映画のクライマックスに近づいていくようにどんどん引き込まれ、聞いているこちらも理性的に聞くというより、本能を煽られる感じで非常にボルテージが上がる。

 ただその斬新的な過激な内容ゆえに1913年のこの曲の初演時は、クラシック音楽史上もっともスキャンダラスな1日として語り継がれるほど大騒ぎになったようである。

 一方「ローマの祭」は作曲者レスピーギがローマの4つの情景を描いたもので、第一楽章の冒頭から、暴君ネロへの恐怖心を感じさせるような鋭い切れ込みで音が始まり、スリリングな音楽な渦の中に巻き込まれていくように始まっていく。

 私は生涯数多くコンサートに接して来ているが、その中で東京で最初に聴いたこの「ローマの祭」ほど、鳥肌が立ったことはないことを鮮明に記憶している。

 それくらい衝撃的なスリリングな音であった。

 まあ全体の四つの楽章それぞれに違う祭りを描いているので、最初から最後までスリリングと言うことではないのだが、それぞれ全く事なった雰囲気なので「祭り」という言葉の意味の深さを教えてくれる音楽でもある。

 で、この4つ楽章のうち一番派手で騒がしいのが第4楽章の「主顕祭」で街のあちこちで大道芸人が騒いでいるのではないかというようなサルタレロのリズムの狂喜乱舞する情景が描かれ、まさに祭りの大騒ぎとなっている。

 ベートーベンの第九なんかも、実はこんな風に描きたかったのではないかと思える程、楽しげに描かれており、夏の祭り気分を味わうにはぴったりな気がする。

 いずれの曲も、日本とは遠く離れたロシアとイタリアの国の人間が作った祭りの情景をテーマにした音楽であるが、祭りという行事がリズムを以て人間の本能に働きかけるという関係でいえば、共通の物が感じられる。

 1年に1度は祭りで狂喜乱舞したいという感覚は実は世界共通なのかもしれないと感じるこの2曲である。


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2013年07月17日 ダジャレは何故面白いのか
 「ダジャレは何故面白いのか?」

 こんな命題に対して一生懸命に説明しようとして書かれた論文がラジオで紹介されていた。

 和歌など掛詞(かけことば)などは笑えないのに、ダジャレは何故笑えるのかなどいろいろ検証してるようだったが、番組の中ではどうもあまり納得するような結論に達しなかったようである。

 そこで私もおせっかいにもこのくだらない命題について自分なりに考えてみた。(笑)

 まあダジャレが面白いかどうかまで疑ってしまうと、話が始まらないので、一応面白いものとの前提で考えてみる。

 思いつく限りの多くのダジャレを分析してみると、ダジャレはどうやら基本的にA+Bという文章の構造を持っているようなことに気が付いた。

 さらに分析すると、このA+Bの文は文章として成立するのにもかかわらず、AとBに意味や音の上で共通項が成立するので、ダジャレとして成立しおかしさを感じるという気がするのである。

 例えば「布団がふっとんだ」は「布団が」と「ふっとんだ」という言葉に分けることが出来、この「布団」と「ふっとんだ」が発音が似ているにも関わらず、「布団が吹っ飛ぶ」という言葉の意味が通じるところに面白さがあるような気がする。

 同様に「ドイツ人はどいつだ?」も言うまでもなく、「ドイツ」と「どいつ(どの人)」の音が重なっているにも関わらず、ドイツ人はどの人だという意味で言葉が成立するので、ダジャレとして扱われるのではないかと思われる。

 また少しひねったところでは「猫はここにはいみゃぁよ」などと言う文も、「猫」と「みゃあ」は同じものではないが、「みゃあ」が猫の鳴き声であることは人々の共通認識としてあるので、「猫はここにいないよ」を「いみゃあよ」と言い換えたところで一応文として成立し、ダジャレとして成立するのではないかと分析してみた。

 そしてこのこじつけが強引なものが親父ギャグとして馬鹿にされていると整理される気がするのである。

 さて、こうやってダジャレを分析したところで、この法則で中国語でダジャレを作ってみようと考えたが、実はこれが中々難しい。

 とりあえず、「快給我一塊!」(早く一元くれ)

と言う言葉を作ってみたが、音は重なるもののどうも面白いものになってくれない。
音は重なり文として成立するのにあまり笑えないのである。

 どうして日本語はあんなにダジャレが作りやすいのに中国語は難しいのか?

 まあそれを考えて日本語と中国語をいろいろ比べてみたが、どうやら中国語がどうのこうのというより日本語が特殊であるのだというような気がしてきたのである。

 例えば一般的に日本語のダジャレの作りやすさの理由の一つに音素の数の少なさが挙げられ、さらに音訓読みなど同じ漢字に対して複数の読み方が存在することが挙げられる。

 さらにそこへ英語を代表とする多くの外来語なども混在しており、これらにより一つの意味に対して非常に多くの異音語、或いは一つの発音に対して非常に多くの異義語が発生しやすいという日本語独特の言語環境が生まれている。

 このような言語環境の中では、文として成立させながらも音や意味で共通項を持った言葉を探しやすく、ダジャレを成立させやすいのである。

 これに対して中国語も同音異義語や同義異音語もそれなりにあるが、日本語程こじつけやすい物ではなく、掛詞程度の物までは成立するがダジャレとして笑えるようなものにはなりにくいような気がする。

 或いは中国語は同義語の中で言葉の選択肢が少なく、シンプルな言語である面もあるのかもしれない。

 まあ、もっと中国語を極めれば中国語でも面白いダジャレが言えるようになるかもしれないが、まだまだ時間がかかりそうである。

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2013年07月03日 人として愛に生きるフィギュアスケーターたち
 フィギュアスケートの安藤美姫選手が突然4月に出産していたと告白し、世間が大騒ぎになっている。

 報道番組内で「スケートよりこの命を選んだ」と発し、賛否両論色んな反応が聞こえるが、私はこの彼女の出産を聞いてそのニュースに驚きはしたものの、妙に納得感があった。

 何故なら、フィギュアスケートはスポーツと言いながら、テクニカルの要素の他に表現の要素を多分に含む競技で、その表現力には選手本人が持っている感情の情緒性が大きく影響するからである。

 つまりアスリート的要素の他に、女優的要素(男子もいるが)が必要とされるのがフィギュアスケートの世界であり、とりわけ安藤美姫選手のその情念的表現力と言うのは、現役選手の中でも群を抜いており、彼女が他の選手よりも感情的な面での熱さを持って滑っているのだということは、演技を見ていれば分かるのである。

 安藤選手は競技生活のピークだった数年前にモロゾフコーチとの関係が噂されていたが、そのことについて番組のインタビューで彼女は「彼がリンクのサイドにいると力強かった。練習でダメでも、本番でできる気持ちにさせてくれる存在だった」と答えており、この時点で彼女がスケートへの情熱よりも愛の存在が競技生活を支えていたと捉えることができる。

 そんな安藤選手が、ある意味コントロールしきれないほどの感情を愛に注ぎ、恐らくモロゾフコーチと別れた後もその愛を引きずり、その愛の力の勢いで妊娠・出産に至ってしまった結果になったことは、別に驚きでもない。

 まあ現代社会における突然の妊娠はアスリートとしてだらしないとかなどの非難の声は確かにあり、周囲に迷惑をかけた面も多大にあると思うが、恐らく自分の情熱に従って生きてきたのが彼女の生き方であろうし、それを抑え込めるくらいなら逆にスケーターとしても大成していなかったように思うので、今回の結果はある意味必然であったように思う。

 そのくらいフィギュアスケート選手には愛情的情緒の問題がつきまとい、フィギュアスケート競技のトップ選手には個人の愛情面にまつわる話題がほかのアスリートよりも多いのである。

 例えば日本の男子も現役中にも関わらず近年次々と結婚を発表しているし、国外では同性愛者をカミングアウトしているトップスケーターも多く、我々のようなストレートな感情よりも自覚的な分だけ情熱は強いのだろう。

 また女子のキムヨナ選手は韓流ドラマの如く激しい情熱の民族の血であり、恐らく浅田真央選手というライバルに対する感情が周囲の反日感情などに押される形で、彼女をトップアスリートに押し上げた面もあると思われる。

 ただ彼女自身は恐らく反日感情的な怨念を競技に持ち込みたくない面もあると思われ、彼女の選曲は情念的なものを排したスタイリッシュな選曲が多く、相手を倒すというより相手に関係なくエリート的にトップになりたいという姿勢が選曲からも見てとれる。

 それに対して日本の浅田真央選手を支えているのは恐らく亡くなった母親への愛情であり、それが彼女を支えるエネルギーとなっているように思え、それが選曲や演技にも表れているような気がする。
 競技経歴を見ても浅田選手が一番伸びたのは母親との闘病生活時代が一番伸びていた時期でもあるような気がするのである。

 その感情エネルギーの方向は恐らく来シーズンの選曲から見る限り今でも変わっていないのだろうと思われ、浅田選手が最近発した言葉を拾ってみても「結婚して子供を産みたい」であり、男性への愛ではなく亡くなった母に近づきたいという意識があるのだと思われる。

 まあ浅田選手も安藤選手のように男性への愛に生きる心を注ぎ込むような状況になったら彼女の演技もまた一皮むけて違うものが出て来るかもしれないが、母親への気持ちがそれをさせないであろう。

 ただ、今回の安藤選手の出産ニュースは母を目指す浅田選手にとっても多大なる刺激を与えるような気がしており、ラストシーズンとなると言われる来シーズンの浅田選手の演技に変化があるのかも知れない。

 人として愛に生きる人たちのスポーツだからこそフィギュアスケートは面白く美しいのである。
 
フィギュアスケートと音楽(2010年2月25日記)

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2013年03月17日 映画「麦秋」を見た
 某ラジオ番組のリスナーテーマで、好きな駅というテーマがアナウンスされていたので、自分にとって好きな駅はどこかとを思いめぐらせていたところ「北鎌倉」という一つの駅が浮かんだ。

 この「北鎌倉」という駅は横須賀線の駅で、寺社の多い周囲の環境もあって、非常に質素な駅となっており、私も回数は多くないが気に入って何度かこの駅を訪れたことがある。

 夏目漱石の小説「門」もこの北鎌倉駅のそばにある円覚寺が舞台になっており、東京からの距離の割には非常に静寂な空間だと思うし、何よりこの駅はホームに屋根が少ないのが非常に味わい深い空間を生み出している。

 そして、この駅周辺が舞台となっているのがかの小津安二郎氏の映画「麦秋」(ばくしゅう)である。

 実はもっと幾つもの映画やドラマの舞台になっているんじゃないかと思ってインターネットで調べてみたが、今のところヒットしたのはこの「麦秋」だけであった。

 そこでこの「麦秋」という映画を改めて見ることにした。

 映画史に燦然と輝く小津安二郎の作品群であるが私にとっては時代が古すぎる映画なので今まで「東京物語」は見たことがあるがこの映画を見たことはなかった。

 「麦秋」は1951年の作品で発表から実に60年以上も経っており私の両親がまだ子供の頃の映画ということになる。

 ただ、見始めると本来は隔世の感があるはずなのだが、どこか懐かしくそこまで違和感を感じないのが不思議な映画であった。

 言葉の言い回しなども想像以上に現代の言葉に近く、昭和26年の戦後の時代という言葉のイメージ程には遠い時代の作品ではないという気がしたのである。

 タイトルの「麦秋」とは秋の意味ではなく春の麦の収穫時期を指した初夏の候を表す言葉で、原節子さん演じる主役の紀子という女性が結婚という人生の実りに際する部分と重ねられてつけられたタイトルだ。
 英語では『Early Summer』(初夏)というタイトルが付けられているようだが、これだと収穫時期(適齢期)の「実り」の意味が消えてしまい、言葉として少々ニュアンスが違っているような気がする。

 小津安二郎の映画作品は原則フレームが固定でしかもややローアングル気味の画面が特徴であると言われる。

 現代映画のようなハイテンポさはないが、淡々としたストーリーの中に出演者たちがモノクロ画面を通して見せる表情に実に深みがあり、それだけ役どころの感情が印象的に伝わってくる。

 特に主役の紀子の父を演じる菅井一朗さんの演技は言葉少なにも関わらず、人の心の葛藤や迷いなど数多くのものが見えてくる。
 もちろん主役の原節子さんが見せる表情も魅力的であり、笠智衆さんの演じる兄とのやりとりも一つ一つのシーンが目に焼付く。


 ところでこの映画は特に海が印象的に扱われている。
 映画のオープニングも海であり、全編中で唯一カメラアングルが動いたのがこの海を映し出すシーンである。
 原節子さんと義姉役の三宅邦子さんが砂浜を歩く姿を後ろから撮影し、クレーンでつり上げてられていくであろうカメラから徐々に海が見える構図となる映像となっている。

 このシーンについてウィキペディアなどでは某映画評論家の言葉として、砂の山を登る2人を中心に写すために単に構図を変えないためのカメラ移動の工夫だとしているが、私はここにちょっと異論がある。
 単に構図の安定のためだけに固定カメラにこだわる人がカメラを動かすのだろうかと思ったのである。

 私の印象としては、主役の紀子が今までの淡々とした安定した陸地を歩んだ人生から結婚という大海原が見えてきて、そこへ向かう彼女を義姉が見送るという象徴的なシーンとして取り上げたのではないかと思うのだ。

 つまりここに彼女を含めた周囲の人間の淡々としてきた人生の変化のポイントがあるとして、小津さんは唯一アングルを変化させるシーンにしたのではないか、そう理解している。
 
 まあ全体のストーリーとしてはたわいもない流れの映画だが、1人の女性の結婚という節目を巡って、周りの人もそこに1人1人の人生の葛藤を巡らせるのだと気付かされる実に深い映画であり、やはり名作と言われるにふさわしい映画のような気がする。


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2013年02月14日 田子坊の写真の一つの撮り方
顔の高さからのアングル
 数日前になるが、久しぶりに田子坊をちょっと訪れてみた。

 案の定、春節の連休のおかげで大勢の客がいて、わさわさ人ごみ状態だった。

 まあぶつからないと歩けないというほどのものではないが、立ち止まって写真を撮るのは一苦労の状態ではあった。

 もとより田子坊はその独特の雰囲気から写真の撮影スポットとして人気なのだが、普段から観光客そのものが多く空間も狭いので、良いアングルで写真を撮るのはなかなか難しい。

 故に私もここを訪れる度に写真には苦労しており、特に写真内に人が写つろうと写るまいと全く構わないのだが、その問題には関係なく空間の特殊性故に、中々いいアングルが分からずプロのような雰囲気を伝えられる納得の写真は撮れずにいた。

 今回もやはりカメラを構えてみたものの、最初はうまく写真が撮れない状態だった。

 そこで今回ある一つの方法を試してみることにした。

 それはローアングルからのアッパー方向へのアングルである。

 ローアングルと言っても地面すれすれからの撮影では、その恰好は傍から見るとちょっと怪しい状態になるので、流石にそこまでトライする勇気はなく、今回は立った状態から腕を下ろした位置でカメラを構え撮影を試してみた。

 地面から80~100センチ程度のいわゆる子供の目線の高さであり、そこからやや見上げる角度での撮影である。

三脚を持つおじさんも見上げる状態に
 この高さでも電子ファインダーを覗くにはしゃがまないといけないのだが、そうするとこれもやはり傍から見られるのが恥ずかしいし、何よりも歩いている人たちにカメラを意識されてしまうのは避けたく、故に立ち姿勢からファインダーを覗かすにアバウトなアングル設定で撮影を実行することにした。

 まあこれはさすがコンパクトデジカメの良いところで、一眼レフでは重さの面などから言って、なかなかこういった撮影は実行しにくい。

 またデジカメなのでフイルムの無駄を気にする必要がないのもありがたい。

ローアングルからの撮影の2枚
 さて、そうやって撮ったのが今回掲載している2枚の写真で思いのほか気に入る写真が撮れることがわかった。

 顔の高さからの撮影だと、どうしてもアングルが高過ぎて石畳の床から通路両側の建物の壁までをいっぺんに収めることは難しく、街の雰囲気が捉えづらかったのだが、今回下から仰ぐ角度で撮影することにより、その様子全体がきちんとカメラに収まるのである。

 特に空が映るのが良い気がする。(今回は青空じゃないが)

 まあファインダーをのぞかないで撮影する分だけ、アングルの切り方とかタイミングはアバウトになってしまうので、撮影はある意味勘任せになってしまい失敗写真も沢山生んでしまうのだが、その点はデジカメの利点を利用して出来るだけ数多く撮ってその中からいい写真を選んで駄作は捨てるしかない。

 故に今回の撮影とて駄作の失敗写真も沢山生んだが、何枚かは秀作というほどではないにしろ、昔撮った写真よりは気に入ったものが撮れた。

 このローアングル撮影スタイルは、上海の他の水郷古鎮の狭い路地でも使えそうで、今後是非試してみようと考えている。


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2013年02月10日 春節の花火はジャズのリズム?
新年快楽!

春節を迎えて中国は新年を迎えた。
昨夜も例年通りに、九江路の中福大酒店の主催する(?)花火を見に行った。


 まあ例年通り狭いビルの空間で打ち上げられる迫力ある花火だったが、今年は規制が厳しくなったのか花火の種類の幅が限られていたようで、ある意味シンプルな打ち上げで、仕掛け花火らしきものはほとんど見なかった。

 ただそのおかげで花火の音そのものを楽しめ、結構楽しかった。

 この音を聞いてこそ、春節という感じである。

ところで、数年前から感じていたことだがこの花火のリズムは、ジャズのシンバルのリズムに良く似ている。

 リズムというか響き方である。

 上海のこの場所で聞く花火の音はジャズのドラマーがスティックでシンバルを、
「ターン、ターン、タンターン」
 という小気味よいリズムで叩くような印象とよく似ている。

 実は、これ一昨年にジャズのリズムを聞いていたときに感じ始めたことで、ジャズのシンバルの音って何かに似ているなと感じ、思い出したのがこの春節の花火である。

 シンバルの音というのは最初のアタックから音が減衰するまでの時間が比較的長く、約2秒前後かかっていると思うが、その音が減衰しきらないうちに次のアタックが来て次々と被せていく感覚が、花火のそれとよく似ているのである。

 故に花火が続けざまに打ちあがる様は、ジャズドラマーがソロの魅せ場でヒートアップしている情景が目に浮かび、とても音楽的で心地よい。

 こういう共通点を見出すと
「ああ上海で伝統的にジャズが流行るのはこの花火の影響なんだな」
と考えたりもする。

 ただこの理屈で言うと、春節の花火は上海だけではなく中国全土で打ちあがるので、中国全土でジャズが流行っていても良さそうなものだが、現実にはそうなっておらず、やはりほぼ上海限定の状態である。

 つまりこれだけでは、上海にジャズが流行る理由としては不十分で、何か別の答えが必要になる。
 
 まあこの疑問に対する優等生的答えを言うのは簡単で、
「海外との交易が盛んだった上海では外国文化を受け入れやすい素地があった」
という風な理屈付けはすぐできるのだが、これだけでは何だかつまらない。

 何故ならこの答えだけで片付けてしまうと、中国全体の対外開放が進んだ現在でもジャズが上海以外にあまり広がっていないように見えることに、説明がつかないからである。

 そこで音楽好きな私として自分なりの答えを出すとすれば、この上海の空間がジャズの響きに近い響きを生んだ、そういう推論を導き出してみた。

 外国文化が多く流入した外灘では戦前から石造りの建物が多く密集し、外灘以外でも石庫門などと言われる上海の代表的伝統建築は石造りの住宅となっており、上海市内ではこれらの建物が非常に多く建てられている。

 この外灘などの石造りの建物と建物の間の空間は、石そのものが音を反響しやすいために音が良く響き、建物が密集することによって結構遠くからも音が反射して帰ってくるので、音の減衰時間は自然と長くなる。

 この空間で花火を打ち上げれば、恐らく何もない平地で「ドン、ドン」と打ち上げる花火より音の聞こえ方として減衰時間が長くなるのは必須であり、他の土地で聞く花火よりジャズのシンバルの響き方に近くなるのだと推測される。

 それに外灘などは経済的中心であると同時に夢のスマロ(四馬路)などと言われた歓楽街が存在しており、こいう環境でジャズの演奏が多く行われていたのだと察すると、ここにいた人間たちにとっては、ジャズのシンバルの音は親しみやすい音だったのではないか?そういう風に推測するのである。

 こうして考えると、この外灘近くのビルの谷間の中福大酒店の花火を毎年聞いている私が花火とジャズとの共通点を感じるのは結構合点がいくのである。

 「上海ジャズと花火の関係」というのは考えてみれば見るほど結構面白く、もう少し掘り下げてみたいテーマである。


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プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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