TOP > BLOG > 上海ワルツNEW

上海ワルツNEW


2008年12月25日 「チャイナローズ」で目覚めたクリスマスの朝
昨日の夜、結局雑用云々でバタバタしていたら寝るのが12時を回ってしまった。
で気分よく寝たいがために、パソコンの音楽をかけっぱなしにして寝た。
以前も書いたように私のパソコンの中には相当の曲数があるので、一晩程度かけっぱなしでも全然問題なく音楽が鳴り続ける。幸い騒がしい音楽がなることは無かったようで夜中にたたき起こされるようなことはなかった。
 しかしながら、結婚式のオペレーター時代の夢をちょっと見た。さすが音楽効果というところか?
で朝、目覚めたときにかかっていたのがエンヤの「チャイナローズ」。
 まあ単なる偶然ではあるが、上海で迎えるクリスマスの朝に「チャイナローズ」の曲がかかるというのはちょっとロマンチックで気分がいい。ケルティックなのエンヤの歌声の透明感が気分よく目覚めさせてくれた。
 昨日の夜に感じていた寂しさから解き離れた感じがする。
 音楽の魔法にかかった気分である。こんな風に人の心を変えてくれる音楽の力って凄いなぁと改めて思い、改めてまた音楽に関わる仕事もやってみたいなぁと感じた。
ここで試聴できます




2008年12月11日 晩秋に聴きたい音楽「弦楽セレナーデ」(チャイコフスキー)
今朝、上海の街を歩いていて、曇り空と紅葉した銀杏などの樹々のコントラストに非常に感銘した。
恐らく、私は一年のうちでこの季節が一番好きである。日本ではこういった風景は11月の終わり頃であったような気がするが、上海では12月のこの時期にこのような風景が訪れるようである。
淡いグレーとも、セピア色ともつかぬ空に、僅かに散らばる黄色になった街路樹。掃除される前の散らばる落ち葉。ひんやりと冷え切る前の、ちょっと湿り加減の空気。こんな朝を散歩するととても気持ちいい。
ヨーロッパかどこかの公園を歩いているような気分になる。札幌の中島公園もこんな風景を持っている。
 こういった季節になると必ず聞きたくなる曲がある。
それが今回紹介するチャイコフスキー作曲の「弦楽セレナーデ」(作品48)である。チャイコフスキーの代表作ともいえるべき曲だが、「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」などに比べると、クラシック好き以外の方にとっての知名度はそれほど高くないように思う。
 一時、某人材会社のTVコマーシャルにBGMとして使われたことがあり、聴けばわかる人も大勢いると思うが、そのコマーシャル内ではこの曲が非常に滑稽に扱われていて、この曲を大事にする私としては非常に心外な扱われ方であったので、あの時のイメージでこの曲を聴いて欲しくないのが本音である。


 さてこの曲はタイトル通りヴァイオリンなどの弦楽だけの音楽でモーツァルトへの敬愛から書かれたといわれる。チャイコフスキーの真骨頂ともいえる叙情的で流麗かつメランコリック(物思いに沈み憂鬱なさま)な旋律が非常に印象的な曲である。この曲のユニゾン(違う楽器が同時に同じ旋律を奏でること)の部分や絡み合うハーモニーが美しく、特に第3楽章は「エレジー(哀歌)」と作曲者自身に名付けられとも言われ、聴いているこちらも非常に強い哀愁に駆られ感銘深い。
 この曲の演奏で私が好きな版はカラヤンとベルリンフィル」で演奏された版で、普段小編成の弦楽合奏で演奏されるこの曲が、オーケストラ編成で演奏される音の深さと厚みはまた格別の味わいである。
次々とCDのミリオンセラーを世に送り出し、美しさを売り物にして儲けている娼婦だとまで揶揄されたカラヤンの真髄を見せるようなこの演奏は一聴の価値がある。

晩秋を迎えた上海の風景の中、是非この曲を聴いていただきたいと思う。

ここで試聴出来ます。




2008年12月04日 新聞・雑誌が破壊する日本語
あるライターをしている友人から聞いた話だが、新聞・雑誌の世界には編集基準として、読みにくい言葉や読み方に迷うような言葉はどんどん平仮名化するのが基本方針があるという。
これを業界用語で「ヒラく」という。或いは読みにくい言葉にはルビを振る。
 まあルビというのは理解する面もあるが、この読むという点を主眼として、漢字を平仮名化していくという傾向には非常に抵抗を感じる。
漢字であるが故に文章が読みやすい、理解しやすいという点もあるにも関わらず、平仮名化していく。
 このように本来読み物として、文章の手本であるべき本や雑誌が、日本語能力の低い読者にあわせてどんどん迎合していっては、本来文章として表現したかった伝えたい内容がきちんと表現できなくなる。
 また、知識の窓口としての文章が平易化されては、文章を読んで高められる知識レベルが低く抑えられ、高い素養を得ることが出来なくなってしまう。
結局読むということが学ぶということに繋がらない文章ではあまり読む意味がなくなってしまうのだ。その結果逆に読書離れがおきてしまう。
 また漢字の平仮名化によって発音だけが一人歩きして、言葉が本来の意味から離れてしまっていっては漢字を読めない人がさらに増え、言葉の意味もわからず知ったかぶりで言葉を羅列する人が増えてくる。

もちろん全ての文章で平易化してはいけないということではないが、こういった平易化するという基準をスタンダードとして振りかざしているところに業界への疑問を感じる。
 
 「読み易い本が売れる本」という経済論理の偏った認識が大きく影響してるのかもしれないが、この雑誌の世界にはびこるスタンダードが、文化としての日本語の質を落としており、結果として活字文化の牽引役を担っているように見える雑誌・書籍文化が、実は自ら日本語文化を破壊し、その地位を貶めていると私は思う。

 その結果、今では首相でさえまともに漢字が読めないという顕著な実例が起きてしまっている。

 中国に来て漢字文化の凄さを感じ、漢字と仮名のバランスが取れている日本語の凄さを改めて感じているが故にこの雑誌業界の傾向には悲しみを感じる。



2008年10月29日 芝居活動復活か?
昨日、兵庫県人会に出席している人の中で、舞台関係の仕事をしている人と知りあうことができた。
まあその方とは直接仕事とかということは、今のところ有り得ないのだが舞台関係の人と知り合うということは自分のプライヴェートの面でちょっと刺激的である。
 日本で10年以上アマチュアの芝居にかかわっていたにも関わらず、上海に来てしまったおかげでそういった活動は断絶してしまったので、そろそろ欲求不満というか餓え始めている自分がいる。
 もっとも日本で芝居を続けられていた理由の一つに、日本の日常生活のつまらなさがある故の非日常を求めていたというものがあり、上海は日常がそれなりに刺激的なので、過度に欲求不満がたまっているわけではない。
 とはいえ、時々パソコンの中に入っている音楽を聴くたびに過去の自分の作ってきた芝居のシーンを度々思い出すようになっており、あの時の緊張感をまた再び味わいたいと願望は密かに首をもたげている。
 実は昨日知り合った方に、上海で演劇活動を定期的に続けられている方の話を伺った。かねがね、その方の噂は聞いていたのだが、仕事が忙しいということもあって、まだ連絡を取ったことはなく接触せずにいた。
 しかし、昨日、話をしているうちにとりあえず会いに行ってみようかという気になった。
もしかすると芝居活動復活か?仕事と両立できるのならそれもありかなと感じている。



2008年10月21日 理想の結婚
またもや昔の作品で連発ですが、まあ、お見合い記念ということで発表します。

「理想の結婚」

折角夫婦なのだから一つの仕事を一緒にやりたい。
「ただいま」「お帰り」じゃなくていつも一緒にいられるほうがいい。
毎日飽きる程顔をみれば、ちょっとの変化に気づいてあげられる…
各々が別々に苦労して支えあうのではなくて、二人で苦労して二人で笑いたい。
二人が力を合わせて稼いだお金に誰にも文句を言わせたくはないから…

折角夫婦なのだから大皿の料理を二人でつついて食べたい。
相手の好きなもの、苦手なもの、食べる早さに食べる量、
毎回お互いの様子を気にしながら食事ができるから。
きっと料理にも無駄が少なくなるし、洗いものも減って合理的だよね?
もちろん作るのも片方付けも一緒がいい…


折角夫婦なのだから子供の面倒は一緒に見たい。
親が親の人生を生きる中で子が生まれ、その子が育つ、そんな当たり前のことを伝えたい。
子供には、父親だからとか母親だからとかそんなわけ隔てなく親が親として、
人が人として生きる姿の背中を見せたい。
子供にとって親はほかにいないのだから…

折角夫婦なのだから遠慮せず喧嘩したい。
別々の環境で育った人間が一緒に暮らすのだから意見が違って当たり前。
腹に溜めて無口になるより言いたいことは言ったほうがいい。
相手に気持ちが伝えられるし、相手の言い分も理解してあげられるから。
あとで言い過ぎたなと、相手を気遣って反省できればいいのだから…


折角夫婦なのだから二人で旅行がしたい。
外国とか冒険とかそんな大それた旅行でなくてもいいから、
見たもの聞いたもの食べたもの、あとでまた思い出して語り合いたい。
二人だから乗り越えられる旅があるはずだから…

折角夫婦なのだからできれば一緒に長生きがしたい。
二人で生きた時間が人生の全てであるような生き方がしたい。
自分が先に逝くときは、相手の目を見ながら目を閉じたい。
相手が先に逝くときは、人目をはばからず相手に染まって泣きたい。
やっぱりお墓も一緒がいい…

それが理想の結婚、私はまだ独身 。




2008年10月21日 スペイン紀行
昔の作品を恥ずかしげも無く載せてみました(笑)


「スペイン紀行」         

「それはとてもラッキィね」と帰りに立寄った香港の友人が言った。

バルセロナで押し込められたオンボロの部屋、そこが正規の客室ではないことはすぐに分かったのだが、さんざん歩き回っても宿が見つからなかったので、仕方なくそこに泊まった。翌朝の観光案内所の話だとその晩はどこも満室で仕方なく隣町へ宿泊した人もいたらしい。

湿気の多い部屋から逃れるように飛びこんだセビリアの町でも宿探しは困難を極めた。こうなると自分がジプシーである。安宿をようやく見つけ、レストランのテラスでビールを飲みながら聞いた、流しの歌とギターは心に効いた。



切符売り場が分からずウロウロしていたマドリッドの闘牛場で、ダフ屋がタダでくれた3階席は、6月のスペインの強烈な日差しを浴びながら、酔っ払いがヤジを飛ばす席だった。

「サッカーでも美術館でもなく、ただそこにあるスペインを見て歩きたい」とグラナダで知り合ったドイツ人に、スペインに来た目的を語ってみた。

フィリヒリアナの白い村、ガウディの建築物、何処までも広がる向日葵畑、枠のない絵葉書がそこここにあった。ただ現代的なフラメンコからはシェリー酒の香りがしなかった。

やはり「ラッキィ」だったのかも知れない。私は「そうだよ、やっぱり地球は歩かなきゃ」と答え、パリで見たモナリザを思い出した。





関連ページ旅行関連情報

2008年10月17日 集中力を欠いたときに取り戻す方法
私はかなりの気分屋なので中国に来る前から、時々集中力を欠いてしまうことがある。
 最近は外国にいる疲労なのか、中国だから特別なのかよくわからないが仕事中にもまるっきり集中力を欠いてしまうことがあるようになった。もちろん年齢から来る要因もあろうかと思うが、元々「堅実」という言葉から程遠く「集中力だけ」で仕事を乗り切っているB型なので、集中力が切れてしまうともう全く仕事にならならない。
 それで生きていけるなら良いのだが世の中そんなに甘くないので、どうにか集中力を取りもどして仕事に集中しなければならない。
 そんなふうに気持ちがいろいろ散ってどうにもならないときに、私が集中力を取り戻すためによくやるのは、ヘッドホンで好きな曲を思いっきり大音量できくことである。
 静かな部屋で、外界からの情報をシャットダウンし、目を閉じて音楽を聴く。出来れば横になれるとなおいい。


 私はたまたまクラシックが好きなので主に使うのはクラシックの曲になるが、自分が好きな曲ならジャンルはこだわらなくてよいように思う。
 ただし、できるだけ外界を忘れるため、聴く音楽は、大音量で聞く価値のある、激しくてスピード感があり、かつスリリングな曲のほうが気持ちを集中しやすい。
一般に静かな曲のほうが集中力をを高められると言われるが、それは普通の集中力を保てている時の話で、集中力を欠いているときは、静かな曲を聴いても重さを感じるだけで、その重さにとてもついていけない。
 集中力を欠いているときは、まず好きな音楽で「心」に活力を与えることが大事なので、心が好む曲を聴くことが必要になる。
好きな曲に心が向いて、心に活力が取り戻されたなら、あとは心が音楽を追いかけることによって自然に集中力を取り戻すことができる。
 この方法をやるには人にもよるが5分から10分以内くらいの曲が適当である。
それ以上長く音楽を聴き続けると、もともと力が弱いところからの回復なので、集中力を無駄に浪費してしまい、今度は息切れして集中力の持続性がなくなってしまうのである。



現在、私が時々この集中力ために聞く曲の一つが、グリンカ作曲歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲である。この曲は何しろ曲調が明るくて良いのである。気持ちを明るいほうへ持って行ってくれる。
なので、集中力かつ元気が欲しいときは重用している。

このような方法は以前日本にいたとき、芝居の本番の前に役者が集中力をなくしたときに、よくやらせていた方法で、目の前の状況を乗り切るには一定の効果があった。音楽の不思議な効用の一つである。
但し、この方法は一時的なカンフル剤のようなものなので、何度も連続して使える手ではなく一時しのぎと考えたほうがよい。従ってこの方法で山を乗り越えたときや、この方法でも駄目だったときは、寝れるのなら素直に寝たほうがいい。

こちらで試聴できます。


2008年10月02日 音楽データが復活!
先日のパソコンクラッシュ以後の作業の一連の中で、結局ファイル復旧データを導入することになったのだが、その導入が思わぬ副産物を産んでくれた。

実は日本から中国に来るとき、日本で買い溜めた大量のCDをどうすればよいか悩んだのだが、かの音楽と離れてしまうのも寂しすぎるので結局250G という大型の外付けハードディスクに入れて持ってくることにした。渡航前の一ヶ月は延々とその取り込み作業が続いていたことを記憶している。
 で、なんとかCD数百枚分のデータを取り込んで中国に持ってくることができた。
ところがである!
 中国でその音楽を再生していた時のことである。電圧の問題で、コンセントとの間に入れていた変圧器が容量不足でダウンしてしまい、その煽りをくってなんとハードディスクのほうもダウンしてしまった。
何度つないでもパーテーションを認識しないのでデータを呼び出すことができなくなり、あの一ヶ月の作業がほぼ無駄になってしまった。
故に音楽を聴くこともできず諦めざるを得なかった。


 いれてきたハコは大容量のハードディスクなので、有効活用のために再フォーマットすることも考えたが、音楽への希望を諦めきれず、いつか復活できる日を期待しそのままにしておいた。

なんだか漫画ブラックジャックの話の中に出てくる冷凍人間の技術にも似た将来への期待感である。現在の医療技術では不治の病だが将来技術が進歩したときに治せるかもしれないから、それまで冷凍で保存しておくというあの話である。

そしてとうとう、今回見事、かの復旧ソフトを使うことにより、音楽データを復旧させることができたのである。
 こんなことであるが私にとっては涙が出るほど嬉しかった。中国に来て以来、音楽への欲求を解消するために日本への帰国の度に少しずつCDを持ってきてはいたのだが、手荷物制限重量との戦いで一回に10枚程度がやっとであった。
上海の現地で手に入れようにもロクなCDも売っていない。そんな音楽的に貧しい環境の中で2年間過ごしてきた自分が思い出される。


 さて今回改めて取り出してみると、我ながら非常に幅の広いバリエーションである。大好きなクラシックはもとより、童謡や津軽三味線まで入っている。今すぐ結婚式や運動会などどんなイベントにでも対応できそうなくらいの曲がある。
うーん、これだけ曲数、自分だけで聞いているのはもったいないの誰かどこかでイベントやらないかなぁとか思ったりするのだが、まあなかなか難しいだろう。
 とにもかくにも音楽データ復活万歳である。



2008年09月22日 ドラゴンボールの影山ヒロノブ登場
この夏、故あってドラゴンボールのDVDを買い込み一夏中暇さえあれば、DVDを見続け、なんとその総トータル408話を最近見終えてしまった。
時間にして約200時間近くの消費である。しかもオリンピック放送の合間を見ての鑑賞である。
私はマニアではないが、テレビ放送はリアルタイムでほとんど見なかったので今回はまって一挙に見てしまった。
(よく考えると悲しい夏だ、、、)
そんな状態なので頭の中はすっかりドラゴンボールワールドになってしまっていたのだが、そんな中昨日、そのドラゴンボールの主題歌を歌っていた影山ヒロノブさんが静安寺の久光百貨店前のイベントスペースにやってきた。
 実は昨年の初夏にも彼は一度上海新天地ARKにやってきており、私は友人の招待で彼のライブを見てはいたのだが、このドラゴンボールの曲を含め、まったく彼の曲を知らないままライブに参加していた。
 つまり馬の耳に念仏状態だったのであまり価値を感じず曲を聴いていたので感激も何もなかった。


ところが、今回頭の中がすっかりドラゴンボールワールドに犯されている状態で、昨日のイベントに遭遇したのである。
 彼が来るのは聞いていたのだが、特別執着していたつもりもなく、スケジュールまではチェックしていたわけではない。
なので、わざわざそのタイミングを狙っていったわけではないのだが、今回いざ生本人に遭遇してみて想像以上に舞い上がっていた自分がいた。
ほぼ同じタイミングで来ていたエビちゃんにはあまり食指が動かなかったのと比べると、いかにいま自分がドラゴンボールに偏っていたのかが良くわかる。
 というより、あれだけ世間を席巻したヒット曲の生ライブというのはそうそう聞けるものではないという音楽好きの私の性分にピンポイントでヒットしてしまったのが本音のような気がする。
 そのドラゴンボールの主題曲「CHA-LA HEAD-CHA-LA」は本人にとっても人生を変えた大事な曲といっていた。
 そんな曲を生で聴けたのはひとつの貴重な体験である。

ここで試聴できます




2008年09月21日 翻訳には日本語力が必要だ
最近、よく翻訳の仕事を頼まれる。といっても仕事というほどではなく、中国語から直接訳すのではなく、中国人が訳した日本語文を整えてあげたりチェックしたりするような作業である。当然報酬も何もない話で、せいぜいあとで食事をおごってもらう程度である。
 とはいえ先方にとっては頼みの綱的に頼ってこられるのでなかなか断りがたい。
それも結構翻訳会社の人たちから頼まれる。
 彼らの約した日本語は意味は通じるのだがやはり、日本語としてはちょっと表現力不足である。
それだけ日本語が難しいともいえるのだが、手伝ってみてなかなか翻訳には日本語力が必要だなぁと思う。
これは中国人にとってだけでなく、日本人の私にとってのなかなか骨の折れる仕事である。


日本語は表現の幅が広く、言い回しが一つ違っただけで伝わるニュアンスがだいぶ違う。中国語にはその差があまりないので、彼らにはその微妙なニュアンスを捉えることが非常に困難なのであるが、それは我々にとっても程度は違えどやはり苦労は同じで、言葉選びは慎重になる。言語脳をフル回転させて文章をチェックする。
 てにをははもちろんのこと、主術関係や言葉の定義、修飾被修飾関係、デスマスの文体、さらには業界用語や俗語、慣用句まで日本語として豊かな表現力が求められる。
通訳会社に発注されるくらいの文書であるので、相手はれっきとした日本人で、正しい日本語の文章が求められる。ここのブログは徒然に書いているので大して気を使っているわけではないが、翻訳の文章にはブログの何倍もの気を使う。
 中国に来て何故か日本語力が鍛えられている今日この頃である。



プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

音響さんのこだわり復刻版
上海ワルツ記事目次
エクスプロアブログ同窓会


GOOGLEでブログ内検索

ブログランキング・にほんブログ村へ



空港ドットインフォブログ浦東空港虹橋空港北京空港広州空港香港空港天津空港青島空港ハルビン空港すいすいビザ

コメント一覧


記事タイトル一覧

カテゴリ一覧


RSS 1.0My Yahoo!に追加




上海すいすいビザ代行][空港ドットインフォ][上海の天気][音響さんのこだわり][上海ガイドブック手帳][日中地域交流会
[上海浦東国際空港][北京首都国際空港][天津濱海国際空港][広州白雲国際空港][上海虹橋国際空港][青島流亭国際空港]
Copyright(C) since 2007 カランドリエドゥモンド
h_12