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2013年09月19日 満月の演出
今日は中秋の名月で満月の日となっている。

 満ち欠けをする月が真ん丸の姿を見せるのは約1ケ月に1回であるが故に、満月というのは特別な印象を持って人々に迎えられる。

 ただ、最近感じるようになったのは、満月が人々に強い印象を与える要素として、単に丸いということだけでなく、出現する時間帯にも一つの大事な要素があるのではないかと思うようになった。

 満月というのは当たり前だが、必ず西へ沈む太陽と入れ替わるようにして東の空から夕方にゆっくりを顔を出す。

 しかもそのタイミングで顔を出す月は、月からの光が地上の大気で屈折してくるため赤く見える。(夕焼けや朝焼けの仕組みと同じである。)

 このように夜の中が暗闇になりかけた瞬間に顔を出す赤い物体というのは如何にも魅惑的な演出という気がする。

 しかも、人間という生物は昼から夜に変わる夕方のタイミングが心理的に一番不安定な時間帯と言われ、そんな時間帯に人の心に興奮を呼び強く起こすとされる「赤」という色が闇に顔を出すというのは、やはり人の心をざわつかせるのは当然だとも言える。

 さらに水分が3分の2を占める人間の身体が、海が月と太陽の引力からの影響を受けて満ち引きを起すのと同様に、何らかの作用を強く受けるのも当然と思える。

 そういった幾つもの要素が一気に重なる満月の夕方というのは、生物である人間に多くの不安定要素を与え、印象的な夜にさせるだと思われる。

 古くは狼男など満月の晩にこういった逸話が残されているのは、こういった幾つもの自然の演出の産物だという気がする。

 さあさあ、今夜の空は運よく晴れてきたようなので、無事お月見が出来そうです。

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2013年04月24日 中国で初めての東枕
 引っ越してみて初めて気が付いたことであるが、今回の部屋はベッドの向きが東枕になっている。

 以前の部屋は西枕だった。

 過去を振り返って思い出してみると、中国へ来て以来ずっと西枕で寝ていたような気がする。

 いや、それ以前の日本の生活でもあまり東枕では寝た記憶がないような気がする。
 
 まあ、枕が西だとか東だとかそんなことにどれだけの意味があるのかどうか分からないが、占い的なまやかしで考えると言うよりも、人間の身体が地球上で生きる物質であり、その60%が水分であることを考えると、休息を取る時間の寝る角度が、身体に何らかの影響を与えることがあっても不思議ではないと考えることはできる。

 そして南北には地磁気があり、血液の流れに影響を及ぼしたりフレミングの法則のような物理的反応が僅かでもそこにあると考えれば、昔から言われていること全てが迷信とも言い切れず、睡眠の向きというのは気にすることが可能ならば、従っていても損はないような気がする。

 そこで、ネットで色々調べてみると、まず俗に言われる北枕というのは実は決して悪くないようで、頭寒足熱の考えに沿えば理に適っており、死人を北枕に寝かせるのは再生を願うからだと言う事で決して悪い事ではないようだが、死人を寝かせる方角という悪いイメージだけが残ってしまい忌み嫌われているのが実態のようである。

 そして西枕も悪くない方向だが、熟睡しやすく落ち着きを得られる方角と言われる。
 これは推測してみれば西日の当たっていた西側は布団が温められており眠りやすく、朝日がなかなか顔にあたらないから目覚めが遅くなるからではないかと推測している。 で、肝心の東枕だが発展の方角とか早起きの方角とも言われるようだ。

 これは東からの太陽が早く顔に当たるため、早く目覚めることができ、早く目覚めれば早く仕事を稼働できれば人より早く発展できるし健康的な生活を送れる、そんな理由があるのではないかと思っている。

 残念ながら今度の新居には東側には窓がないため同様の効果が期待できるか分からないが、ただ東側に頭があるということは、地球の自転方向を考えると体は頭の方向に動いていることになり、血液の流れは足へ向かい頭に血が上らない状態で眠れるのではないかと考えると、それが健康に何らかの影響を及ぼす面もあるような気がしている。

 最後に南枕だがあまり熟睡できない方角のようで、常に顔に光があたっているからなのか栄誉・人気とかという面では良いようだが健康には不向きらしい。

 まあ信じるか信じないかはともかく、今回枕の向きが変わったことで何らかの発展があることを是非祈りたい。


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2013年03月22日 占いにふわふわ流される
 昨年秋から占いの言葉に流されてふわふわしている時間が続いている。

 まあ傍から見ると現在の私は頼りない状態のように映るだろうし、実際私自身もしっかり地に足をつけているというような実感もなくふわふわと生活している状態が続いている。

 まあ社会常識的に行動するれば、無理やり地に足をつける方法もあるにはあるだろうが、そうやって無理にどこかへしがみついて前へ進むことが決してベストな選択ではないなというのが、過去数年で学んだ教訓であり、敢えて今もふわふわな状態で流れに身を任せている。

 断っておくが決して1人の占い師に洗脳的に諭されたされたわけではなく、幾つか複数の占いを総合すると大同小異で同じような結果を示していたので敢えて占いに流されてみようという気になったのである。

 ただ占いに流されているといっても、突然好運が舞い降りてくるでしょうといった根拠のない棚ボタ的好運の到来を告げられたわけではなく、良い状態へ変わっていく方向性のようなものを示されただけであったため今現在ゴールが見えているわけでもない。

 しかし実際自分の周りの現実が占われたような変化を起しており、良い方向へ向かう兆しもありそうなので敢えてそういった状態を続けている。

 もちろん、ふわふわだからといって決して毎日堕落した状態に陥っているわけでもない。

 むしろ、以前よりストイックな姿勢で日々過ごしているといってもいいくらいで、日々とりあえず今思っている方向へ真面目に進んでいる。

 まだまだ力としてはひ弱すぎて、他人こうだと自信を持って方向性を示せるほどの形にはなっていないが、とりあえずはその方向を信じて立ち止まらず前へ進んでいる。

 先日まで今のこんな状態に非常に焦りを感じる面もあったが、今はそういう時期なのだとやはり複数の占いが示していたものを見て心が落ち着いた。

 まあ1人の人間の意思として、カルト的に占いにばかり人生を左右されてしまうことは私としても避けたいのだが、良い方向へ向かうと言うなら今の努力を続けようと思っている。

 うまく言えないが、私は今そんな状態の位置を過ごしている。


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2011年02月21日 そういえば前厄か?
厄年というのは数え年齢で決まってくるらしいが、そういえば自分の年齢だと厄年にかかってくるようなことに気がついた。
全然忘れていたので、当然厄払いなどには行っていない。というか日本にも帰れていない状態である。

まあまだ本厄ではないが、そういう年齢にかかってくる年齢になってしまった。

 厄年だからといって急に災いが降ってくるといったことではないと思うが、年齢的に体力の分岐点になり、今までのような体力のつもりで無茶を続けていると体が耐えられなくなり、そのツケを突然払うことがあるということであろう。

 まあ今まで相当な無茶をしてきたので、今後は徐々にペースを落とさなければやはり危ないかなと思う今日このごろである。


2010年12月22日 黄水晶を買ってみた。
同僚が金運の効果があるというので黄水晶を買ってみた。
直径6cmのもので28元(約400円)である。

まあこういった縁起物については自分は考え方の整理が決まっていて、この水晶そのものに特別なパワーがあると信じて買ったわけではない。

もちろんそういった効果があることに越したことはないが、もしそんな力が実際にあるとするならば、そういった神秘的な力は諸刃の刃で有る可能性があり、プラスの作用があれば、どこかにマイナスの作用も生じるはずなので、どちらかというとあまり強烈な力に支配されることは好ましくない。私はそう考えている。

 ならば、どうして今回のような水晶を買ったか?

偏に自分の心理的効果のためである。
こういったものを買うことによって、もう少しお金に関心を持とうという心がけのための象徴のような存在として買ってみたのである。
いつも目にする場所に置き、気持ちの中にお金に縁があるようにと心がけることによって本当にお金に縁が生まれるのである。

実は、神社のお守りが何故効果があるのかということを、以前からよく考えていた。
つまり、安全祈願、合格祈願、大願成就など色んな名目のお守りがあるが、別にそれらは神様の神秘的な効果が現れて願いが叶う訳ではないと私は考えている。

お守りは単なる自分の気持ちの象徴であり、実際は自分の心がけそのものが願いを叶える、そう考えている。
安全を祈る気持ちでお守りを持てば、常に日ごろから安全に注意をするようになりお守りがそれを思い出させてくれる。
大願を祈って毎日お守りを懐に入れ精進すれば、大きな願いも叶うのである。
もちろん願いが大きければ大きいほど、成就に必要な覚悟や苦労も大きくなり心が負けそうになる場合も必ずあるはずだが、そこにお守りがあれば自分の初心を思い出すことが出来て、困難を突破できる可能性を持つ。お守りにはそんな効果があると考える。

よく値段の高いお守りは効果が高く、安いお守りは効果がないと考える人がいるがそれは大きな間違いである。
毎月数万円のアルバイト料しか稼げない高校生が願いを込めて買う1万円のお守りと、数百億の財産を持つ人が気軽に買う100万円のお守りはどちらが効果があるといえるであろうか?言い換えればどちらの思いのほうが強いであろうかということになる。

 この場合、収入の大部分を使ってまで願いを叶えたい思う高校生の気持ちのほうが強いとはいえないだろうか?

 つまりお守りは値段ではなく、願いを叶えたいという気持ちに対してどれだけ自分の持っているもの、つまり時間であったりお金であったりするものを注ぎ込む覚悟をするかという決意表明の象徴であるので、表面上の単純な金額の大小ではその効果を計れないのである。
 もちろんお守りを買っただけでは効果はあるはずも無く、願いをかけた分だけの努力をしなければ大願だけではなく小願も叶うはずもないことは言うまでもない。

 また大願という程でなくても、安全祈願の面でも日々の心がけを大事にすることが結果的に自分の身を守ることになる。

 そのいい例が工事会社の安全祈願で、日本の工事会社は毎朝の安全祈願を欠かさず行っているが、たまに榊の水を替えるのを忘れたりどこかの段取りに手を抜いたときに限って、実際に事故が起きてしまうそうだ。もちろんそれは神様の神秘的な力のいたずらでもなんでもなく、安全に対する人間の僅かな気の緩みが社内のどこかに生まれている影響で事故が起きてしまうのである。
 つまりそういった日常の安全に対する僅かな心の緩みを生み出さず緊張感を保つために、彼らは毎朝の安全祈願を行っている。
 逆に言うとそのくらい毎日神棚に向かって自分の心を戒めなければ緩んでしまうのが人間の心だとも言え、一見無意味とも思える形式的なことを厳格に繰り返すことにこそ実は意味が存在したりする。

さてさて話を黄水晶に戻すが、こういった心理的願掛けとも言うべき意味で今回はこの黄水晶を買ってみた。
決して高い金額の買い物をしたわけではないので重大な覚悟というほどの決意は無いが、それでも一種の願掛け的な意味合いを込めて買ったのは事実である。

 実際、この黄水晶を購入後から日々よい影響を願うようになったのは確かで、できることならそのままいい結果が生まれることを祈りたい。
 さてさて来年はいい年になりますように。


2010年04月18日 大家の趣味
昨日、大家がやってきて今の部屋の賃貸契約を1年延長した。
まあこの部屋に引っ越してからどうも運がついていないと思う部分もないこともないのだが、会社からの距離が近いという便利さと、家賃の割には部屋が綺麗であるというメリットは大きく継続して住むことになった。
 一応、先月に不動産屋を訪ねて見たのだが、どうもこれといったヒット物件もなく、引越しそのものが非常に面倒くさく感じ始めたので物件探しを諦めてしまった。
(そういえば浅草で引いたおみくじも凶で「家移りわろし」だった。)

そんなこともあって昨日契約延長のサインをした。家賃は100元アップになったが、まあ昨今の不動産の値上がりを考えれば許容範囲である。

そして、そのついでに大家がカーテンを持ってきて取り替えていった。以前のものは丈が長すぎて引きずっていたので不便であろうということで持ってきたらしい。
最初っから測ればいいのにと思うところは無きにしも非ずだが、私も細かいところは気にしないので1年間放置してきた


 で取り替えられたのが写真のカーテン。

 白っぽい地に赤やピンクの大きな水玉柄となっている非常にかわいらしいカーテンだ。
この部屋、もともと風水的な趣味がある部屋であったのだが、イコール少々女の子の部屋っぽい内装であった。
それが今回のカーテンの取替えでそれに更に磨きがかかってしまったような格好だ。

 このカーテンの色合いが風水的に何か意図したものであるのかは非常に気になる。
それにしても中国人のインテリア嗜好の究極というのはどうもヨーロッパのお姫様部屋スタイルなのではないかと最近感じ始めた。
世の中のパープル色傾向は今後ますます強まりそうな気がする。
 今回のカーテンはインテリアとしては悪くないかなぁと思いつつもなんだかますます他人を招き入れにくい部屋になってしまったなぁと思う。


2009年05月14日 人間関係と方位 南西編
私にとって北東が憧れの方位なら南西は誘惑と浪費の方位である。その割には本気になれない方角でもある。
 この方角には何かとお金を使うような誘惑が多く、実際時々誘惑に負けてお金を使ってしまっている。
 南西といえば太陽が沈む夕日の方向でもある。あの光に誘われてしまうということであろうか?
 あまり詳しくはかけないが、人間誘惑にいつも打ち勝つのは難しく、破滅しない常識の範囲程度ではあるが、時々誘惑に負ける。
 実は日本にいるときからやはりこの傾向は変わらない。趣味も含めてこの方向に多大なお金をつぎ込んでいた。南西にあった会社ではなかなか腰が据わってなかったような気がするし、人間関係もあまり褒められたものは存在しなかったように想う。
 実は先日のお見合いの相手も南西の方角に住んでいたのだが、一見まともな関係のように見えるが、これも考えようによっては、その当時に私が実際に心の中に想っていた別の人物との関係から言えば誘惑という整理もできる。そう考えると納得できる部分がある。
 今度引っ越したことにより、新たに南西になってしまった人や、南西から外れた人もいるが、とりあえず南西に住む人との関係は気をつけたい。(笑)


2009年05月11日 人間関係と方位 北東偏
 最近気がついたのだが、自分の住んでいる場所を基準にして、相手の住んでいる方角によって人間関係に物凄く偏りがあることに気がついた。
 私は専門家ではないので難しい理屈はこねられないのだが、経験統計上方位によって明らかに、差があることに気がついた。全部の方位についての説明ができるわけじゃないのだが、顕著な傾向がある方位について書いてみようと思う。

 まずは北東である。この方角は一般的には鬼門といわれるようだが。私にとって「憧れ」の方位である。今まで気になる異性の実に8割以上がこの方角に集中して住んでいる。それは上海に来る前からで、日本にいたときも同様である。特に手が届く届かないは関係なしに憧れの異性はこの方角に集中する。
 この事実に気がついてから何故だろうといろいろ考えてみたが、専門家ではないので結局答えなど出てこない。されどこの結果である。そういえば上海に来てから韓国スターが気になり始めた。上海からみて韓国はちょうど北東の方角である。
 科学的に判断すれば、太陽の動きと人間の心理に大いに関係があるとかそういうことが言えるのかも知れないが、そうは言っても住んでいる場所を知ってて気に入ったわけではないのだから何とも不思議だ。
果たして私はこれからも北東の人に憧れ続けるのだろうか?楽しみのような複雑な気分である。



プロフィール

1971年千葉生まれ。大学時代は水戸で過ごす。
高校時代テレビで見た高泉淳子に影響され演劇の世界に踏み入れ、以後アマチュア劇団で舞台音響専門として過ごす。就職は一般企業にするものの、趣味が高じて休日にブライダルで音響活動を続け500組近くのカップルを見届けてしまう。
自身は無類のクラシック音楽好きで日本時代は年間120本以上のコンサートに通った時期もある。
 また旅好きでもあり、日本47都道府県はもとよりイギリス、フランス、スペインなど舞台を求めて世界を旅した。
 数年前一つの恋がきっかけで中国語を学び始め、上海に渡ってきた。
まったくの新天地で日々悪戦苦闘中。

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